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スライダーは、銀色のアルミ板レールの上を、レバーの付いた台車みたいなボブスレーの上に座って、滑り下りる遊具だった。子どもでも乗れるけれど、安全面からヘルメットの着用が条件だ。乗車前に係員のお兄さんが、レバーの操作方法を説明してくれる。スライダーのコースは、まず山頂付近のスタート地点まで自動運転で一旦上って、それから一気に滑り下りるのだという。最速40kmくらい出るらしい。これは、ちょっと楽しそうだ。
「颯介、先に行ってよ」
「いいけど?」
深く訊かれなくて良かった。本当の所、彼の背中が前にあれば安心かな、って思ったから。
係員に案内されて、ヘルメットを被る。
「じゃ、先に行くぞ」
「うん」
軽く手を振って、後ろ姿を見送る。距離を開けて、次に俺が台車に乗る。膝を立てた体育座りみたいな姿勢で、足の間の操作レバーを握った。
「はい、いってらっしゃーい!」
係員のお兄さんの元気な声を受けて、ボブスレーが動き出す。ゆるゆる……歩く方が早いかな、というくらいののんびりとしたスピードだ。しばらく木々の間を進み、視界が開ける。小鳥のさえずりが聞こえる。直線になると、遠くに颯介の背中が見えた。不安だった訳じゃないのに、ホッとしている自分がいる。
夢みたいだ――。
1週間前のあの夜、酔って終電を逃した颯介が俺の部屋に泊まった。明け方まで他愛のないことを色々話して……その内に、弾みで、俺が弟に対して許されない感情を抱いてきたことがバレた。ずっと隠してきたのに。実家を出て、北海道まで逃げてきたのに。
溢れた秘密にたじろぐ俺を、颯介は抱き締めて、受け止めてくれた。でも、翌朝、彼はそそくさと帰ってしまった。口では理解してくれても、やっぱり生理的に受け入れられないんだろうって……ドアの向こうに消えた背中を思い出しては、絶望の底に沈んだ。失ったのは、友情……だけじゃなかった。いつの間にか颯介は、かけがえのない大切な存在になっていたんだ。
自暴自棄になって、引きこもった。なにもする気が起きなくて、授業もバイトも休んだ。ただただ辛くて、悲しくて。世界のどこにも、俺の居場所がなくなった気がしていた。
雷のような激しい音に、飛び起きた。誰かがドアを連打している。誰か――そんなの、ひとりしかいない。
怖かった。顔を見るのも、声を聞くことすら。けれども、それ以上に近所迷惑なノックを止めたくて、仕方なくドアを開けた。ずかずかと強引に部屋に上がった颯介は、怒ったような、思い詰めた表情をしていた。――それが、昨夜のこと。
本当に、嘘みたいなんだ。
俺の秘密を知ってもなお抱き締めてくれた、1週間前のあの夜、彼もまた俺に対して友情じゃない感情が生まれたんだと、告白してくれた。
こんな俺を――樹への劣情を抱えたままの俺を、それでも好きだって。丸ごと愛させて欲しいって、颯介は真摯な心を差し出してくれた。
草の青臭さ。土の匂い。地面に近いスライダーだからなのか、心地良く舞う風が初夏の熱を切り裂く。目まぐるしく変わる緑色の景色の中で、唯一揺るがない前をゆく背中。頼もしく、大きな……あったかい背中。
絶望のあとに待っていたのは、蕩けるように甘い夜だった。初めてのキス、初めてのエッチ、初めての朝。なにもかもが熱くて、浮かされたみたいに幸せで――まだ夢心地だ。
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