恋人初日(こいびとしょにち)

13/16
前へ
/16ページ
次へ
 上りののどかさから一転、下りはそこそこスピードが出て、スライダーは爽快だった。大人でも何回も乗る人がいるらしいけど、ちょっと気持ちが分かる。 「楽しかった!」 「だろ? シンプルなんだけど、クセになるよな」  天狗山に着いた時より、日が傾いている。日没にはまだ時間がありそうだけれど、初夏の太陽は海に向かってジワジワと落ちている。  ロープウェイの駅が道の先に見えた辺りで、颯介は散策路を大きく逸れた。まだ目的があるんだろう。 「颯介、この山、前にも来たことあるんだろ?」  木立の中の小径を進む。天狗神社の裏手辺りだろうか。景色が似ている気がする。 「ん、今回で、3……4回目かなぁ」  事もなげに答える背中が、ちょっと悔しい。 「か、彼女と?」 「……そう思う?」  彼は振り返ると、思わせぶりにニヤッと笑う。足を止めずに下りながら、プイと顔を背けた。なんかムカつく。訊いた俺のせいなんだけど、さ。 「だって……デートプラン完璧じゃん」 「ははは。そりゃ、ありがとう」 「昨年の、あの子とも、来た?」  俺が、ブックカフェでバイト三昧だった夏休み。颯介は、バイト先の学習塾で知り合った女の子と付き合い始めた。一度だけ会ったことがある。髪の長い利発そうな子だった。夏の途中から付き合って……冬の入口に彼はフラれた。雪の中、身体も心も冷え切って、真っ青な顔で俺の部屋に辿り着いたんだ。 「妬いてる?」  目の前の彼が、急に足を止めた。クルリと身体ごと向き直り、俺の顔をニヤニヤと窺っている。 「……も、いいっ」  恥ずかしくなって、俯いたまま彼の横を通り過ぎようとしたら、背中から抱き締められた。周りに誰もいない木陰だけれど、誰か来たらという心配が、胸のドキドキに拍車をかける。 「来ねぇよ。デートで来たのは、初めて。前に来たのは、ガキの頃の遠足と、高校ん時に野郎とスキーしただけ」  すぐ後ろから降る声が、イガイガした感情のササクレを優しく撫でて消していく。 「本当?」 「本当。嬉しい?」 「う。……嬉しいに決まってんじゃん」  密着していて、顔を見られないから、正直に答えた。なんかもう、色んなドキドキが混じり合って、訳分かんない。 「あー、お前のそういう素直な所、敵わねぇわ」  だけど、頭の後ろから吐き出された声が、やたらと嬉しそうで。背中に伝わる彼の鼓動も、俺の早鐘に少し似ていて。 「颯介ってさぁ……」 「うん?」 「ちっちゃい頃、好きな子に意地悪して泣かせただろ」 「ははっ。こんな風に、困らせたり、とか?」  言って後悔した。彼の言葉が耳の近くで返ったと思ったら、パクリと耳朶を食まれた。驚きと快感が電流のように背中を駆ける。 「やっ……」 「こっち向いて、航」  彼の口に含まれた耳朶がジンジンしている。囁きが媚薬のようで……操られたみたいに顔を向ければ、濡れた唇が言葉を奪う。胸に回されていた彼の右手が、顎を……重ね易いように、俺の顎を固定する。 「ん、ふぅ……っ」  人が来たら誤魔化せない。男同士で抱き合って、キスしている。こんな――散策路の真ん中で。頭では止めなきゃと思うのに、絡まる舌から離れられない。抱き締めてくれている左腕をギュッと掴んだ。外すのではなく、もっと1つになるために。 「は、っ……大好きだよ、航。可愛くて、愛しくて、お前しか見えない。俺の腕の中は、お前だけの場所なんだから、もう安心しろよ、な……?」  どうして、俺が欲しい言葉を知っているんだろう。目の奥が熱い。喉がツンとする。身を捩って抱き付くと、彼の肩に顔を埋めた。 「ぅ……俺、も……大好き。大好き……颯介っ……」  声が掠れて、滲む。もぅ……やっぱり泣かせるんじゃないか。  颯介は、俺の背中と髪をずっと撫でてくれた。そして、俺が「大好き」と呟く度に、律儀に「うん」「俺も」と囁いてくれた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加