恋人初日(こいびとしょにち)

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 太陽が海に触れる前に、俺達は下りのロープウェイに乗り、駅前行きの循環バスに乗った。ロープウェイは空いていたけれど、バスは半分以上席が埋まった。山麓駅近くには、制作体験が出来るグラス・スタジオがあり、そこから乗り込む人々が多かった。  2人掛けの座席に並んで、俺はちょっとだけ颯介の身体に体重を預けた。彼は手を繋ごうと伸ばしてきたが、続々と乗客が増え、通路に立ち始めると、小さく溜め息を溢して諦めた。 「ね、颯介。晩ご飯も……なにか考えてたんだろ?」  山から市街地へ、坂道を下る途中で訊ねる。周りはアジア系の人達が多くて騒がしいので、声を潜める必要もない。 「ああ。お前が嫌いじゃなきゃ、あんかけ焼きそばにしようかな、って思ってた」 「あんかけ焼きそば?」  意外な選択肢に、聞き返す。颯介はスマホを出して、『小樽あんかけ焼きそば』とググった。小樽観光協会のサイトを始め、口コミサイトや個人ブログが山ほどヒットする。 「老舗のラーメン屋とか、元々メニューに出している店はあったんだけど」  そう言いながら、口コミをササッとチェックしている。 「何年か前にB級グルメ選手権に出場したら、一気に有名になってさ、老舗から新しい店まで沢山あるんだ」 「ふぅん。いいよ、食べてみたいな、小樽あんかけ焼きそば」   「じゃ……駅に近いから、都通(みやこどおり)にある老舗で食べようか」 「うんっ」  頰が緩みっぱなしだ。これまでも、颯介とは大学近くのラーメン屋とかスープカレー屋とか、2人で食べに行った。傍から見たら同じかもしれないけれど、ワクワクの気持ちが断然違っている。……恋って、なんでもないことを、特別なイベントに変えるのかもしれない。 「いらっしゃいませー!」  老舗というだけあって、都通というアーケード街にある建物は、外見から年季が入っていた。店の前には「小樽あんかけ焼きそば親衛隊参加店」とデカデカとプリントされた幟が立っており、この町全体で名物を推していることが分かる。店内は、使い古された赤いカウンター、色褪せた紺の暖簾、クリーム色の壁に掛かった読めない行書体の掛け軸……そのどれもが大衆的な中華食堂というテンプレ通り。地元民に愛されてるんだろうな、とすぐに分かる暖かい雰囲気だ。  夕食時にはやや早いけれど、店内はほぼ満席だ。カウンター席の端に、ちょうど2席空いていたのはラッキーだった。 「わ、美味しそう!」 「うん、美味そうだな」  メニューの写真だけで、お腹が小さく反応する。あんかけ焼きそば2つと、餃子を1人前。注文する颯介に、そっとドリンクメニューを示した。 「颯介、ちょっとなら飲んでもいいよ?」  北海道限定、小樽限定、と書かれたビールを指差すと、あからさまに嬉しそうな顔になる。 「いいのか?」 「ルタオ付き合ってくれたじゃん」 「ありがとう。じゃ、1本だけ」  そう言って追加注文した「小樽ビール」の小瓶が、すぐにカウンターから渡される。颯介はコップを2つもらうと、俺に聞きもせず2つに注いだ。グラスに7分目くらいずつ注げば、小振りの瓶は空になった。 「え、俺も?」 「ちょっとだけ、な?」  仕方なく首肯すると、爽やかな笑顔で「乾杯」と促された。コツンとコップを鳴らして金色の液体を喉に送る。ビールはあまり好まないけれど、軽やかな飲み口と喉ごしのよい泡が心地良く、美味しく飲めた。 「颯介、足りないだろ。もう1本飲んでいいよ」  これぐらいの量で、彼が酔う筈もない。苦笑いすると、素直にもう1本もらっていた。  ビールの泡に刺激されて、空腹の主張が大きくなりかけた頃、タイミングを計ったように大皿がドンと並んだ。それから、程なく半月形の餃子が4個並んだ皿が、大皿の間に収まった。 「颯介ぇ……えっと」 「いいよ、乗せろよ」  キクラゲが苦手だ。味というより、見た目。黒くてビロビロしてるのが、俺的にはアウトだ。颯介と一緒に外食するときは、苦手な食べ物を彼に食べてもらっている。ミニトマトとかシナチクとかカイワレダイコンとか。麺の中から探し出してレンゲに乗せると、いつものように彼の皿にゴソッと移動させた。 「ほら、お返し」 「わ、ありがと」  キクラゲを移した空のレンゲに、エビが3個乗せられた。エビは好物だ。  そんなやり取りをして、いざ実食! といきたいところだが、俺は猫舌だ。レンゲに麺を少量乗せて、熱さの確認をするために、恐々啜る。……あっつ。あんかけは、いつまでも熱を閉じ込めるから、猫舌には危険物なんだ。 「航、大丈夫か」 「んー、今、慣らしてる……熱いけど、美味しい」  パリッと焼いた麺に、エビと豚肉、タケノコ、ニンジン、モヤシ、ハクサイ、ピーマン、と具材もたっぷり。あんは、醤油ベースにオイスターソースのコクがあって、シンプルで飽きの来ない――ちょっと懐かしさのある味だ。トロリと緩く、太麺に良く絡む。  結局、彼に餃子を1個多く食べてもらうことで、なんとか完食した。
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