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満腹を抱えて、駅までの坂道を歩いた。アーケードに覆われた商店街を抜ければ、本日何度もバスで通った駅と運河を結ぶ大通りと交差した。
開けた空が、青く変わっている。残照のせいか、青いセロファンの向こうに光源が隠れているような、澄んだ透明感のある色をしている。寒色の寒々しさも、黄昏の心許なさもない、鮮やかな移ろい時。街が深呼吸しながら夜を纏い、光に包まれていく。
コインロッカーから荷物を回収して、小樽駅の改札を潜った。
俺達が乗る列車は、既にホームに到着していたけどドアは閉じられていて、清掃員のおじさんが、ゴミの回収や忘れ物の点検作業をしている。ここを起点として、札幌駅、更には新千歳空港駅まで走るため、ホームには行列が出来ていた。ホームの柱に括りつけられたランプの灯りが宵闇に映え、ロマンチック……と言いたいけれど、大型キャリーケースを引き連れた観光客がワイワイ談笑していたので、さほど雰囲気に酔うことはなかった。通勤客と思われるスーツ姿の人々も混じり、スマホに瞳を落としている。彼らに取っては、観光地も日常の利用駅に過ぎないのだから、特別な感慨を持たないのも当然か。
颯介は、ホームをどんどん進んだ。10両編成の列車は、先頭に行くにつれ行列が短くなった。
清掃作業が終わり、列車のドアが開くと、一斉に行列がなだれ込んだ。車内は、来た時に乗ってきた車両と同じタイプで、長い座席が通路を挟んで向かい合う形で配置されている。俺達は、進行方向からみて右側、山側の窓に背を向けて座った。
「疲れたか?」
「ううん。楽しかった。颯介は……」
右隣の彼の顔を見る。穏やかな微笑みが質問の答えを語っている。
「ふふっ。聞くまでもないか」
発車を待つ間にも乗客が増えてきて、ぽつぽつ空いていた座席はすっかり埋まった。座席を詰める振りをして、ちょっと颯介に身体を寄せたら彼も近づいてきて、ピタリと肩が触れる。
結局、発車する頃には通路もびっしりになり、林立する人垣で、向かいの座席も、その奥の窓も見えなくなった。
「あのさ。土曜の午後って、いつもはバイトじゃなかったっけ?」
駅を2つ過ぎた辺りで、気になっていたことを口にした。颯介の塾講師のバイトは、月曜と木曜の夜と、土曜日の午後。今度、いつデート出来るかな、なんて呑気に考えていたら――はたと気づいたんだ。もしかして、俺のために、バイトを休ませてしまったんじゃないか、って。
「ああ……今日だけシフトを変えてもらっていたんだ」
食い入るようにジッと見ていたら、彼は困ったように苦笑いした。
「え、なんで」
「昨夜、何が何でも、お前の誤解を解きたかったから。持久戦、覚悟してたんだ」
苦笑いから照れ笑いに変わる。やっぱり、俺のせいだ。俺が勝手に絶望して、彼からの連絡に一切応えなかったから……。
「そう、だったんだ……」
俯きかけるのを引き止めるように、膝をポンポンと叩かれた。
「ああ。必死だったんだぞ」
思わず「ごめん」と呟くと、「俺も悪かったんだって」と明るく苦笑いしてくれた。それからニヤリ、唇を意味深に歪めた。
「それより、俺のバイトシフト把握してたんだ?」
「えっ。そ、そりゃ……覚えてるよ、そのくらい」
親友だった頃から、俺はちゃんと覚えていた。彼は、俺のバイトシフトをうろ覚えだったみたいだけど。
「そうかぁ」
隣の人の邪魔にならないように、買ってきたルタオの紙袋は身体の前でぶら下げていたんだけれど、ふと颯介が右手を伸ばしてきて引き上げ、俺と彼の膝の上に半分ずつ乗せた。車内が混雑しているからかな、なんてぼんやりと思っていたら、紙袋の陰に隠れて俺の左手に触れてきた。はっきりと意思を持った指の動きが伝わり……ドキドキする。彼はなんでもない顔をしているのに、掌を重ねただけじゃなく、ゆっくりと指の間に指を絡めてきた。これって……恋人つなぎってヤツだ。周りから見えないって分かってるけれど、ヘンに意識しちゃって、恥ずかしい。俯くと、ギュッと握られた。心臓がうるさい。多分、その鼓動さえ彼には伝わっているんだろうな、なんて思いながら、そっと握り返した。
列車の規則的な震動も、人々のざわめきも、どこか遠く――恋人から与えられる幸せの温もりだけを全身で感じていた。
昨夜、親友に抱かれた。
つい1週間前までは、確かに仲の良い親友だった。大学に入ってから最初に出来た友達で、俺のことをなにかと気にかけてくれた。ちょっと世話焼きで過保護なところもあるけれど、あったかくて、優しくて、いつの間にか傍に居るのが当たり前になっていた。
今夜、再び彼に抱かれる。
親友は、世界でたった1人の大切な恋人になった。これからも、当たり前のように、俺達は傍に居続けるのだろう。ずっと――。
【了】
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