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バスを降りて、山麓駅からロープウェイに乗る。混み合っているのは、土曜日だからだと思ったけれど、そうじゃなかった。
『天狗山から眺める小樽の夜景は、北海道三大夜景に数えられています』
乗車中のアナウンスに教えられる。
「期待させて悪いけど、ごめん。日が暮れるのを待ってたら、帰り遅くなるから……夜景は、この次な」
第一展望台の駅に着くと、颯介は申し訳なさそうに頭を掻いた。明日のバイトに差し支えないように気遣ってくれているのだろうか? それにしては、バイトは午後だし。
「え、いいよ。気にしないで」
ロープウェイを降りた他の人達と同じ方向に歩いて行く。人の流れがあるということは、この先に何かあるんだろう。
「今度、夜景を見に来る時はさ、1泊しような?」
それって、お泊まりデートじゃん。あ。なんか突然、昨夜のこととか思い出してきた……やばい。
「そ、そんな、札幌から近いのに、わざわざ……宿泊費とか、勿体ないって……」
顔が火照ってきたのが分かる。何、1人で意識してるんだ、俺。やだな。彼をまともに見られない。
俯いて、そそくさと足を動かす。
「あ、そっちじゃない。こっちの階段」
明るい出口に向かいかけた俺は、腕をグイと掴まれて、引き戻された。フラリとバランスを崩しかけた身体ごと、彼の胸にトン、とぶつかった。
「ごめ……」
「いや……お前、真っ赤」
泊まるとか言うから! ヘンに意識しちゃったんだよ。
「あー、人目さえなきゃなぁ」
な、なかったら、ナニするつもりなんだ……。
「とりあえず、こっち。外の風、当たるか」
残念そうな彼に連れられて、階上に行くと、屋外展望台に出た。
「わ。海、青い。気持ちいい……」
坂の下に町並みが広がる。ちょっと前まで俺達がいた、運河の方まで見える。その奥に、境目が分からないほど紺碧の海と空。北海道の空は広いって聞くけど、初めて実感した。サアッと緑を駆け上がってきた風が、優しく頰を撫でていく。
「帰りは、夕陽くらい見れるかなぁ」
今は日が長い時期だからなぁ、と颯介がぼやく。こんな突発的に誘ってくれたのに、俺のために色々考えてくれているのが、嬉しい。
「この景色だけで、十分。ありがと、颯介」
「……っ!」
隣を見上げて笑ったら、目が合った一瞬、はっきりと彼が息を飲んだのが分かった。それから、ゆっくりと深呼吸して、困ったように微笑んだ。
「今の、効いたな……」
「聞いた?」
意味が分からずに問い返すと、もう一度深呼吸して、うーんと手を上げて背中を伸ばした。
「効いた、っていうか、骨、溶けた。すっかり軟体動物だ」
「何のこと」
「破壊力、半端ねぇわ」
苦笑いするけれど、それ以上教えてくれそうにない。
「そろそろ、次、行かないか?」
「もう山降りるの?」
「いや、まだこの山で幾つか回りたい所があるんだ」
言いながら、展望デッキから離れるので、彼に付いていく。さっき上ってきた階段を降りて、建物の外に出た。
「天狗神社と『鼻なで天狗』ってのがあってさ、鼻を撫でると願いが叶うらしいぞ」
緩い坂道になった小径を上る。俺達の200mくらい前にもカップルの後ろ姿があるところをみると、これも観光コースなのかもしれない。
「え、天狗? 迷信でしょ」
「そうだけどさ、面白そうだろ」
なんか、はしゃいでいる。そんな彼を、ちょっと可愛いなんて思ったりして。
「颯介、願い事あるの?」
「そりゃ……恋愛成就。ずっと一緒に居られますように、って」
「……居るに、決まってんじゃん」
そんなの。天狗になんかお願いしなくても、俺の気持ちは分かってる筈なのに。
「分かってるよ」
心の呟きが筒抜けになったみたいに、彼ははっきりとした声で即答した。
「それでも、願わずにはいられないんだ。絶対に離れたくないから」
横顔を盗み見た。思いがけず真剣な眼差しに、心臓がキュッと鳴いた気がした。
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