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昨夜、親友に抱かれた。
彼の名前は、手塚颯介。大学の入学式から10日後。彼は、初めて挨拶以外で俺に話しかけてきた人だった。
あの頃の俺は、自分の内面に踏み込まれないように警戒して、距離を置いた人付き合いしか出来なかった。なのに……気づいたら手塚が傍に居て、それがなんだか自然で、不思議と安らぎすら感じていた。
同い年なのに妙に落ち着きがあって、大人っぽい。かと思えば、少し過保護なくらい世話焼きなところもある。お酒が好きで、飲み会も好き。人付き合いはいい方だろう。けれど、決して他人に流されたりしない。自分のモノサシを確り持っていて、ありきたりな偏見や、不確かな噂なんかに振り回されたりしない。
それが、これまでの1年と2ヶ月余りの間に分かった手塚という人間だ。彼は、確かに友達――いや、気の許せる親友だったのだけれど。1週間前までは。
「あ、海、見えてきたぞ」
隣に立つ颯介が、耳元に囁いた。息が擽ったくて、思わず震える。その拍子に、手すりに捕まっていた身体がグラッと傾いた。
「おっと。大丈夫か」
すぐに彼の掌が肩を掴んで、支えてくれた。
「ん、大丈夫。ありがと」
観光地に向かう列車内は混み合っていて、ドアの近くの手すりに捕まって並んで立っていたのだけれど、彼は斜め後ろに立ち位置を変えて、俺がより安定するようにしてくれた。揺れると、背中に彼の胸が当たる。昨夜、散々重ねた胸板だ。ヘンに意識してしまい、頰に血が上る。
「どうした? 暑い?」
「ち、違うよ、大丈夫。あの、さ……海、すごく近くない?」
慌てて誤魔化す。ドキドキしてるなんて、恥ずかしい。周りに沢山人が居るのに。車窓に広がる光景に視線を向けて、話を逸らす。
「そうなんだよ。ここ、海のすぐ側を線路が走ってるんだ」
海が荒れたら波を被るんじゃないかと心配になるくらい、波打ち際を走っているみたいだ。そして、晴天のせいか、海が真っ青。紺碧って、こんな色をいうのかもしれない。
「綺麗だね」
俺の実家は東京だから、海と言えば神奈川か千葉だった。記憶の中の太平洋の海は、もっと青が薄くてぼんやりしていた気がする。
「夏になったら、海水浴に来ようか」
昨年の夏休みは、バイト三昧だったっけ。
「クラゲいない?」
「えー、どうだろうなぁ」
「ちゃんと調べといてよ?」
「はいはい」
トンネルに入った瞬間、丸きり普段着の2人が車窓に映る。颯介の嬉しそうな表情に釣られて、口元が緩んだ。
浮かれている。思いがけず出かけることになった、日帰りのプチ旅行。初めてのデートだから……ホント、ワクワクが抑えられなくて。
『あのさ、お前が嫌じゃなきゃ――この後、ちょっと出掛けないか』
それは、ほんの2時間前のこと。初めての朝を迎えた俺達は、札幌駅構内にある「おにぎり専門店」でモーニングセットを食べた。今日は土曜日で、大学の授業はない。俺のバイトも、明日の夕方まで入っていない。それを知ってか知らずか――多分、颯介のことだから、ちゃんと知っているんだろうけど――彼はデートに誘ってくれた。通学・通勤でも利用される特急列車に乗って、およそ30分。札幌の隣町、彼が選んだ行き先は小樽だった。
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