【第一章】 一

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【第一章】 一

 ひとはこうも変わるのか。  父の姿に、アリシアは思う。  燦然(さんぜん)と輝くシャンデリアのもと、玉座にふんぞり返るマルク。身体を堅く守っていた筋肉は厚い脂肪に成り果て、いまにも溶けだしそうだ。常にみなぎっていた緊張感は、どこかに消えてしまった。  アリシアの知るマルクは、常に戦国武将だった。いつも遠くを見据える鋭い眼に、身内ながら羨望めいたものを感じていた。たとえ姉たちのように見知らぬ諸侯に嫁がされても、誇りに思いこそ、決して恨んだりはしなかったろう。  それなのに。  軍人上がりの貴族にちやほやされてご機嫌顔のマルクに、アリシアは吐き気すら覚えた。  あの剛毅な父はどこに行ったのか。  荒れ狂う戦をかいくぐり、勝ち抜いた先にあるのは、こんな怠惰か。  日が高くなるまで寝台にもぐり、無駄に金ばかりをかけた派手な服を着、召使いにかしずかれ滑稽なほど高邁な態度を取る。眉をひそめるほどの豪勢な食事を残し、貴族たちとわけの判らない遊びに興じ、毎夜晩餐会やら夜会やらを開く。  知らないはずないのに。  いまのこの享楽の根底に、血みどろの戦があったということを。  友人や仲間、部下たちが凄惨な死を迎えざるをえなかったという事実を。 「相変わらず不機嫌ですね」  知らず険しい顔になっていたアリシアに、横を歩くクラウスが小さく笑う。 「理由くらい判ってるでしょ」 「『舞踏会なんて莫迦(ばか)ばかしい。わたしまでお気楽な大人の遊びに巻き込まないで』でしょう?」 「監視役がクラウスじゃなかったら、出席なんてしないわよ」 「これは光栄」 「誰もかれもお父さまの顔色を窺ってばかり。無様になってるってこと、みんな判ってるのに」 「あなたもね」  遠慮のないクラウスの言葉に、アリシアはカチンとくる。だが、怒りの言葉を吐く前に先を制された。 「あなたの言うことも聞かない陛下が、誰の言葉に従うんです? もし玉座の主がマルクさまじゃなかったら、使命感に燃えた誰かか野望に燃える誰かが力づくでなんとかしている。でも、みんな知ってる。それでもマルクさまは、我らの勝てる相手ではないのだ、と」 「変なところで相変わらずの豪傑なんだものね」 「あなたも相変わらず剛毅な方ですよね」  クラウスは素っ気なく言う。 「そこに惚れてくれる方もいますので」 「それはまた命知らずな。あなたの監視役をおおせつかっているわたくしとしましては、その者の名を教えていただきたいものですね」  アリシアの口角が小さく上がる。教えてあげましょうとクラウスを見つめ、 「嫌になるくらいいい顔で、莫迦みたいに背が高い。厭味(いやみ)ったらしい性格そのものの黒い髪と目をしてて、剣を取らせればお父さまに次ぐ腕を持っている。なのにひ弱な娘の護衛に甘んじている風変り。誰だか判る、クラウス?」 「さあ。胸を熱くさせる美しい顔に、頼りがいのある背丈、正直な性格で、澄んだ夜空のような髪と瞳を持ち、己の分をわきまえ、我儘娘の護衛に()える者なら存じておりますが」 「よくもまあぬけぬけと言えるわね」 「なにぶん、嘘をつけない性分でして」  アリシアは溜息まじりに息を吐き出す。 「これがお父さまに信頼されてる男だなんて、世も末ね」 「なに言うんですか。エルフルト王家は始まったばかりですよ? アリスがそんなこと言うもんじゃありません」 「あらそう。じゃあ、お詫びになにをすればいい?」 「繊細なわたくしを慰めてくだされば」  含まれた意味に、アリシアも意味ありげな目を返す。 「あなたが繊細だなんて、初めて知ったわ」 「ならばもっとわたくしを知らなくてはなりませんね」  ふたりの身体が近付き、軽く触れるだけのくちづけをかわす。 「あなたに免じて、今日も出て差し上げましょう、つまらない舞踏会とやらに」 「ありがとうございます」  ふたりは至近距離で(ささや)きあい、目と目で愛を語り合いながら、大広間に向かった。  クラウス・ラグレーは、長く続いた戦争で数々の功績を打ち立てていた。勢力的に不利な戦闘や、率いる隊が裏切りによって窮地に落とされたときも、常に勝利をおさめエルフルト王国建国に大きく貢献していた。  建国後、王都の隣を占めるディグニー領を封じられ、侯爵となった。にもかかわらずアリシアの護衛に甘んじているのは、彼女を愛しく想うがゆえのこと。  これまでの勝利もすべて、その果てにアリシアの存在があった。  王は口にこそ出さないが、ふたりの関係を認めているのだと重臣たちも暗黙の了解をしていた。自分の娘を諸侯に嫁がせたマルクではあったが、末娘のアリシアに限っては、互いに想い合うクラウスに降嫁させるのだと。  ただでさえ末娘のアリシア。しかも若いままに亡くなった正妻に生き写しだった。一途な面もあるマルクが、そんなアリシアを遠く手放すはずがなかった。  これまでも由緒ある王族や頭角を現し始めた貴族たちから、正妻に迎え入れたいと打診はあった。マルクがそれらをすべて蹴っていたのは、クラウスを押さえてあるからだと、誰もが皆思っていた。  だから、この日の舞踏会で現れた新たな求婚者に対しても、エルフルトの貴族たちは、ただただ同情の眼差しを送るばかりだった。  アリシアもまた、彼との出会いが己の運命を大きく突き崩すものであると知るよしもなかった。
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