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四
広間に輝くシャンデリアは太陽を集めたように眩しくきらめき、その下に集う貴族たちは綺羅星のごとく華々しい。
圧倒的な雰囲気に、アリシアは呑まれた。
濃厚だけれど眩暈を誘う一歩手前で抑えられている香水の香り。耳に届く人々の巧みな言葉遊びの声。ドレスや小道具の色の組み合わせの妙。
これほどまでに洗練された世界を、アリシアは知らなかった。
ようやく納得できた。
目をそらしても脳裏に鮮明に焼きつく奇抜な衣装は、こういった場に皆が集まってこそその意味を現してくるのだ、と。
百花繚乱。
国中のありとあらゆる花々をもってしても、今日この夜、大地の間の舞踏会の華やかさにはかなわない。
かわされる目と目の会話。すっと胸に添えられるその手にこめられた意味。
アリシアの前に開けている世界は、父マルクが猿真似していた『王の宴』そのものだった。
なんてこと。
アリシアの胸に浮かんだ言葉は、それだけだった。
己がどれだけ場違いな存在かが、圧倒的な力でもって突きつけられた。
付き添う隣のヴォルに居並ぶ貴族たちを次々紹介され、目がまわった。貴婦人たちの顔は晴れやかに輝き、紳士たちは恭しく礼を返してくる。
ひととおりの紹介を終え、雰囲気に圧倒されたこともあって、アリシアは大地の間正面にしつらえられた席に腰を下ろしていた。皆は眠りから覚めた遥かな姫、アリシアに興味を隠しきれない。根掘り葉掘り、さまざまなことを訊かれた。なんとかという伯爵夫人など、太祖は美丈夫だったかと真剣に尋ねてくる始末。
この時代、とにかく華やかだった。
タイツをはいた男性も、真っ白な鬘をつける者も、アリシアの知る時代にはひとりもいなかった。なにもかもが珍しく、なにを見てもただただ感嘆の溜息しか出てこなかった。
ここは明らかに〝王宮〟だ。戦国の跡など微塵もない。
「すごすぎる……」
「あなたの知る舞踏会は、どんなものでした?」
思わず漏らすと、隣に腰掛けるヴォルが尋ねてきた。ヴォルは鬘もつけていなければ、脚の線を見せるタイツ姿でもなかった。普段より豪奢な装飾ではあったが、上着の裾こそ長いが動きやすさを重視したかつての衣服と似たものを着ていた。
こちらを見る彼の眼差しはどこかしら冷めていて、まるで目の前で繰り広げられている饗宴を嘲笑っているようだ。
気のせいだろうか。
「もっと荒削りで田舎臭くて、地味でした」
そんな舞踏会に興じる父たちを莫迦にしていたが、いまなら父の気持ちが判る気がする。
目の前の輝きに、己が恥ずかしくすら思えてくる。
父の求めた『王の宴』がどれだけひとを惹きつけるものなのか、どれだけ心を奪うものなのか、自分はあまりにも知らなさすぎた。
「やはり驚きましたか」
「ええ。同じ舞踏会だとは思えない」
顔を輝かせて踊る貴族たちから目が離せなかった。
ヴォルが腰を浮かせる気配がした。
「ではどうぞ楽しんでいってください」
「え? どこに行くんですか?」
「まだ仕事がありますので、ここで失礼させていただきます」
「仕事?」
夜は始まったばかりだ。人々の向こうの国王は、楽しそうに王妃と歓談している。
どうして舞踏会最中のいま、ヴォルが仕事をしなければならないのだろう。
「わたしには、こういった空気は合わないので」
言われてアリシアははっとする。そういえば紹介されるたび、貴族たちはヴォルに言っていた。こういった席で会うのは久しぶりだ、と。
アリシアが返した視線には、無意識だったが追いすがるものがあった。
それを見たヴォルはほんの一瞬、眼差しを深くする。そうしてひとごみの中に顔を向け、なにか合図を送った。返った彼の口元には、うっすらと微笑みらしきものが見て取れた。
「心配ご無用。これから弟のオーヴルがあなたのお相手をいたしますゆえ」
アリシアは自分がどれだけ無防備な顔をしていたのか、まったく気付いていなかった。
「夜はまだ長い。心置きなく楽しんでください」
そう言うヴォルだったが、さきほどの冷めた眼差しが脳裏に焼きついて、アリシアは言葉どおり受取れなかった。
「―――はい、兄上?」
横から別の声が飛び込んできた。
見ると、アリシアと同じ年頃の青年が立っていた。彼が、ヴォルの言うオーヴル王子なのだろう。
「姫のお相手を」
「兄上は?」
「仕事だ」
オーヴルは顎先を上げるようにし、軽く頷いた。
「それでは姫。存分にご堪能くださいませ」
言い残し、ヴォルは颯爽と部屋から出て行ってしまった。その物腰はとても丁寧なものだったが、どこか引っかかるものがあった。
「さあ姫。どうぞこちらに。蝶はひとつの花に留まるものではありませんよ」
「……蝶?」
きょとんとなったアリシアに、オーヴルは軽く苦笑いをした。
「こういった場所は久しぶりなのでしょう? 皆も、あなたと踊りたがっています」
「……あッ」
やっとオーヴルの言葉の意味が判った。オーヴルは今度は朗らかに表情を和ませた。
「新鮮な反応ですね」
「ど……、どうも……」
ほんのり赤らむ顔を俯かせ、アリシアは言葉に詰まった。
本当にここにいてもいいのだろうかという思いは確かにあったが、目の前の光り輝く広間に、胸が躍っているのも事実。
アリシアは浮き足立つ思いに、知らない世界へと飛び込んでいった。
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