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調子に乗るから言わないけど、好きだから
ロンドンでの公演を終え、帰国した晶を羽田空港まで迎えに行ったのが、3年前の夏。振り返ればまあ、結構いろいろあったかな、と思う。晴也はベランダで、眼下に広がる晴れた光景を見るともなく視界に入れながら、シーツを広げた。
フリーのダンサーのショウこと晶が、旧知の英国人の演出家に招聘されて出演した音楽劇「真夏の夜の夢」は、興行的に大成功をおさめた。ロンドンでの公演は1週間で9回だったが、2日目が終わったくらいから一気にイギリス国内で話題になった。千秋楽までチケットは完売し、翌年の春に追加公演が予定されていた。その後にはバーミンガムやリバプールといったイングランドの大都市を巡回する話も出て、晶は会社を辞めずに出演できるかなと困惑していた。
ところが、新型感染症の世界的な流行が、その計画を白紙に戻してしまった。感染者と死亡者が激増したイギリスでは、あらゆる舞台芸術が延期や中止に追い込まれて、そこに携わる人が生活の困窮に陥った。
晴也は晶がロンドンに発つ前から、一緒に暮らそうと言われていたが、踏ん切りがつかずにはっきり返事をしないでいた。それで相変わらず、高田馬場の晴也の家か、高円寺の晶の家で、「週末だけ同棲」のような生活を送っていた。しかし、いつも能天気で明るい晶の様子が変わったことが、遂に晴也の決心を促したのだった。
感染症の感染拡大を食い止めるという名目で、新宿二丁目の夜の店は軒並み休店した。晴也の副業先である女装バー「めぎつね」も、晶が踊るショーパブ「ルーチェ」も、2020年は長期的に休業になった。晶はロンドンで共演した俳優や歌手、そしてダンサーのことを気にかけていたが、舞台出演やレッスン講師の依頼が全て棚上げとなり、自分自身も日本で全く踊れなくなってしまった。しかも晶の会社は、海外の菓子や嗜好品を取り扱っているため、輸入がストップして業務が減った。晶は昼の仕事でも、自宅待機を命じられることになった。
晴也もめぎつねが休みになったことで、何か自分の中の大切な部分が欠けてしまったような気分を味わっていた。外出もままならない中で、晴也は晶と楽しめるように、週末は映画やミュージカルのDVDを借りて来たり、ゲームをしたり、手の込んだ料理を一緒に作ったりした。晴也が勉強していたカラーコーディネーター資格講座のテキストにも、晶は興味津々だった。しかし晴也と違い、平日まで引きこもった状態の晶は、ほんの少しずつ、精神を圧迫され始めていた。
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