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死人に口紅
「あたしね、ワザと忘れ物してくるの」
そう笑って先日買ったばかりのピアスを耳に通す。次に忘れてくるならコレだなとまた笑って、鏡越しに目があった友人には舌を見せた。
「げえ、いつか刺されてもしらないよ~」
「刺されないよ。ちゃんと選んでるし」
「相変わらずエグいね、李々子」
「褒め言葉として受け取っとく♡」
昔から、人のモノが欲しくなる性分だった。いや、違うか。良いなと思う人が悉く誰かのモノだっただけ。だからあたしは悪くない。
今回だってそう。狙ってた人がたまたま彼女もちで、その相手がたまたまあたしの大っ嫌いな相手だっただけ。だからやっぱりあたしは悪くないし、悪いのはあの女と下半身がだらしない男の方でしょ。
「で、今どんな感じなの?」
「ん~、別に。一回ヤっただけで彼氏面してくるようなキモい奴だったし付き合うとかはないよね。まあでもあの女と正式に別れるまでは適当に遊んで適当に引っ掻き回してやろっかなって感じ」
「マジで?てか、その男フツーに二股野郎じゃん」
「ね、クズだったのウケる」
「相手にはまだバレてないの?」
「さあ?愚図だけど鈍感じゃないから気付いてはいるんじゃない」
ずっと、あの女が気に食わなかった。仕事が出来ないくせに年寄りからは甘やかされて。同期や後輩からは慕われて。あまつさえ取引先の人にまで可愛がられている。彼もその一人だった。ほんと、気に食わない。なんであんな奴がちやほやされるのよ。
『谷さんは仕事できるし美人だけど性格悪そうなのがな~』
『わかるわ。その点、鮎川ちゃんは仕事は正直微妙だけど憎めないっつーか、ほっとけないし、謎の魅力があるんだよなあ』
『それな。特別かわいい子ってわけでもないのに不思議だわ』
『遊ぶなら谷さんだけど結婚するなら鮎川ちゃん一択ってやつ?』
『あー、確かに』
『ヤるだけなら今すぐ谷さんとヤりて~!』
『おい止めろ。俺このあと谷さんのとこ行くんだぞ』
どいつもこいつも見る目がなくって反吐が出る。いるんだよね。ニコニコしてるだけでなんの努力もせず、全てが勝手に上手くいく善人気取りの地味女。マジでムカつく。まだ計算高いぶりっ子の方が潔くて理解出来る。彼女らはあたしと同類。ちゃんと自分を磨いているし、流行にも敏感。欲しいモノを得る為に妥協はしない。
妥協をしないからこそ、余計に腹が立つ。ああいった連中に。
ダサい格好が逆に良いってなんなの。センス育って無さすぎでしょ。伸びっぱなしの黒髪が幼くて見えて似合ってるだとか、すっぴんに素の爪が安心するだとかも。バカばっかり。こっちはお金も時間も掛けて綺麗にしてるんだよ。それを同列に扱って否定しないで。
(ああ、ああ、ムカつく。彼氏寝取ったぐらいじゃ気が済まない)
めちゃくちゃに拗れて仕事もさっさと辞めちゃえばいいのに。なんなら悲劇のヒロインぶってあたしを悪者にしてくれたって構わないよ。まあ、あたしはあたしであの男の所為になるように仕込んでるし、痛くも痒くもないんだけど。今さらヘマなんかするわけないじゃん。
「あ、てか見て。殺人事件。ストーカーだってさ。やっぱり男女のトラブルは怖いよ~!李々子マジで気を付けて!危機感もって!」
「紗瑛は何気に優しいよね。男の趣味も合わないし大好き♡」
「えっ!もしかして私と友達の理由ってそれ?!」
「……ばっかりじゃないけど、ウーン、まあ、それもある?」
「も~!李々子ホントそういうとこ!!」
夕方のテレビ番組はどこもニュースばかり。いつもなら気になる紗瑛のザッピング攻撃も今日は気にならない。だってこれから美味しいご飯とお酒が待ってるし。明日は例のクズとも会う約束がある。順調すぎて怖いぐらい。
「そういえば」
リモコンをソファーに雑に投げ、紗瑛がこてんと首を傾げる。
「李々子が置いてきたモノってなに?」
「置いてきたんじゃないよ。忘れてきたの」
「あー、なるほど。あくまでそういう感じでいくわけね」
「いくわけです♡」
「で、なによ?」
「ふふ、えっとねえ、イニシャル入りのぉ――口紅」
『《ピンポーン》』
嫌なタイミングでチャイムが鳴った。水を差されちゃったなあ。せっかく気分が上がっていたのに。あと話も盛り上がるところだったのに。
むすっとした顔でモニターを確認すると、馴染みの宅配業者の制服が見えた。そういえば化粧品の定期便がそろそろ届く頃だっけ。巻き掛けの髪の毛をひと撫でしてオートロックを解錠する。今のうちに印鑑も用意しておこう。職業柄かな。あたしって意外と几帳面。
少し狭いけれど一人暮らしなら充分な広さの玄関で待つこと数分。
「……いや、遅すぎ」
幾らなんでも時間がかかりすぎている。チェーンロックをはずし、そろそろと外の様子を窺った。――ゴト。何かが邪魔をしてドアが開かない。なに、なんなの。白。白い箱。ああ、なるほど。最悪。
「勝手に置き配にされてるし」
誰に聞こえるでもない大きなため息を吐いて、もう二度とあの宅配業者を指定するのは止めようと心に決める。地面に直置きとかほんっと最悪。潔癖症じゃなくてもこれは普通に嫌。信じらんない。
「しかもなにこれ。……うわ、嘘でしょ」
玄関先で固まるあたしの異変に気付いた紗瑛が声を掛けてくれる。でも、返事が出来ない。出来なくて、口の端だけがヒクヒクと引き攣る。焦りとか、後悔じゃない。強いて言うなら悔しさ。
「え、ちょ、李々子どした?」
「…………これ」
「ん?結構デカイ箱だね。中身なに?あー、口紅か。いや待って。口紅だけぇ?箱の大きさミスなんてもんじゃなくない?てか口紅〝括弧〟忘れ物ってなによ。意味不明すぎるんだけど」
「この、字、アイツの、」
「アイツゥ?……あっ!え、うそ!!」
思っていたよりも早くバレてしまった。ううん、それはまだいい。そんなことよりもあの女の本性を見抜けなかった自分に怒りを覚える。やられた。欺かれた。アイツもしっかりこっち側じゃない。
「李々子のものだって確信して送ってきたってこと?」
「多分ね」
「わー、宣戦布告じゃん。にしたって箱デカすぎない?ゴミとか石とかも一緒に詰めて送ってきてんじゃないの?バスケットボールぐらいなら余裕で入りそうだし嫌がらせを兼ねて~的な」
「確かに臭うし重いわ。あー、ほんと腹立つ。なんなのマジで」
『《――、――、○○公園の遊具のなかから首のない成人とみられる男性の遺体が発見されました。警察は他殺と断定し――》』
「げえ、今度は近所で殺人事件かあ。……あれ?なにこの染み」
「染み?」
「うん。赤黒いのがホラ」
「ほんとだ」
「口紅ってリキッドだったの?」
「ん?ちが……」
「なんか口紅っていうより血みたいだね」
「――え」
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