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02 事情聴取
気がつくと目の前にいる女の子が泣いていた。十五歳くらいだろうか、泣きじゃくるわけではないが、その表情は恐怖に染まり、握りしめた拳は震えている。彼女の喉元にはナイフが突きつけられていて、そのナイフの持ち主を視線で追うと黒い布で顔を隠した男が立っていた。少女は人質らしい。
オレは少女の目の前で座らされていた。いや、オレだけではない。周りを見ると数人の人間がオレと同じように座らされている。拘束されているわけではないが、周りには男の仲間だろうか、同じように顔を隠した人間が銃を持って立っていて簡単には抵抗できないだろうと思われた。
「最初の一人はお前だ」
男は少女にナイフを突きつけたまま言う。
少女が人質なのではなく、オレたちみんなが人質なのだとすぐに理解した。遅かれ早かれ、この状況を打開する何かがなければ少女は死ぬ。オレもだ。
少女の瞳から堪えきれなかった涙がほろりと落ちるのが見えた。
「あの!」
思わずオレは声を上げる。
「最初に殺すならその女の子じゃなくて、オレを」
自分で思ったよりも冷静な声が出た。横から引き留めるように誰かがオレの手を引く。こういうときに手を引いてくる人間が誰か、オレはよく分かっていた。そして、その人のお願いをオレは聞けないことも、よく分かっている。だからオレは手を引いたその人を見ずに立ち上がって前に出た。
「……じゃあ、お前にしよう」
「ありがとう、その子を解放してくれ」
女の子は解放されたが、背中を押されて地面に倒れ込んだ。代わりにオレは男に捕まる。少女と同じように首にナイフを突きつけられ、ひやりと金属の冷たさが肌に伝わった。
「じゃ、気を取り直して」
こんなことをしても、いずれあの少女は殺されるのかもしれない。人質は1人ではなくここにいる人間皆なのだ。オレが最初に殺されたところで、変わるのは殺される順番だけなのかもしれない。でもオレは女の子と代わる以外考えられなかった。誰に手を引かれようと止められようと、最初に死にさえすれば、女の子の涙はもう見なくて済む。オレの手を引いた人間の涙も。
ナイフが食い込んでくるのが分かって目を閉じた。
「ごめん」
オレは弱い人間だから、人の涙なんて耐えられない。
食い込んだ刃がついに皮膚を突き破って、勢いよく引き裂かれる。痛みに思わず目を開けると、見たくなかった泣き顔が赤く滲んだ視界に見えた。
* * *
警察が事情聴取に来たって何も話せない。憶えていることがないからだ。しかしそうは言ったって警察も来ないわけにはいかないのだろう、どれだけ「記憶がないから話せることはない」と言っても「それでもお話を」の一点張りだったらしい。「らしい」と言うのは、警察から電話を受けたのはオレではなく医者だったからで、オレは別に警察が来たって来なくたってどっちでも良かったのだが、結局は病室に警察関係者二名を招くことになった。
病室には朝早くから坂木と名乗る若い男性と桂という年配の男性が来た。目覚めた日に軽く状況の説明を受けたときは女性警官が来ていたので、警察内でも聴取の担当は別なのかもしれない。坂木は警察だと言われても驚いてしまうくらい緩い風貌と口調をしており、反対に桂は警察じゃなければ何なのだというくらいに威圧的な態度である。ちなみに桂は名前の通りカツラを被っているわけではなく、むしろ潔く禿げていた。
「で、四月十九日のことなんですが」
自己紹介とも言えぬほど簡潔に名を告げられたあと、桂が早速聞いてくるので慌てて口を開く。
「憶えてないので、特に話せることはありません。捜査に協力したくないわけではなく、むしろ協力したいと思ってますけど……」
「何がなんでも思い出してください。そうでなければ犯人は捕まりません」
桂がそんなことを言うのでオレは驚く。
「オレの記憶以外に手がかりはないんですか?」
桂は顔を顰めた。坂木はニコニコしている。
「……捜査中のことはお答えできません」
「監視カメラとか目撃者とかは?」
「捜査中です」
「気になるのは分かりますけど、言えないことも多いんですよー、僕らって」
坂木はへらへらとして言った。
捜査の状況は読めないが、記憶喪失のオレのところにまで聴取をしにくるくらいだから芳しくはないのだろう。オレとしても「必ず犯人を捕まえたい」というような熱意があるわけでもないので捜査状況を突っ込むのはやめた。
「残念ですけど、今のところ本当にオレは何も憶えていないんです。事件後に目覚めてからの一週間くらいしか記憶はありません。……あなたたちが」
「桂です」
すぐに口を挟んでくる。
「……桂さんたちが来なくても記憶は取り戻そうとは思ってます。協力したくないわけじゃないので、お二人が来なくても思い出す努力はしますし、思い出したら聴取にも応えますよ。……警察の方って忙しいでしょうし、わざわざ病室まで来なくても……と思いますけど」
「都築さんは気遣いの方なんですねえ」
「そういうわけでは……」
単純に、オレが刺された事件よりももっと重大な事件があるのではないかと思っただけだったが、坂木はそれをプラスに取ったらしい。一方で桂はオレの言葉を事情聴取の拒否と取ったようだ。
「そうは言っても、都築さんのところに来ないわけにはいきません。一週間に一回は坂木が様子を見に来ます」
「あ、僕が?」
初めて聞いたと言わんばかりにポカンとする坂木を、オレは哀れんだ。こうやって振り回されてきたのだろう。しかし坂木はまだニコニコと笑っていて「まあいいですけどねえ」と和やかに言う。
「話相手がいるのは嬉しいですけど……」
「話相手ではありません、聴取です」
「僕でよければ! たくさん話しましょうね」
こうも性格が合わないバディでやりにくくないのだろうか。心配になるが、これくらいのほうが被害者も被疑者も面食らってしまって警戒も解けるのかもしれない。特に警戒していたわけではないが、オレも坂木のほうにはなんだか親しみすら覚えている。
「今日は挨拶程度に来たので、また今度ゆっくりお話できればと思います。じゃあ桂さん、行きましょう!」
「ああ。都築さん、何か思い出したことがあればこちらまで」
「あ、僕も名刺置いていくんで暇なときにかけてください」
「えーと、ありがとうございます……?」
暇なときに警察に電話をかける奴はいないだろう。思いつつも二枚の名刺を受け取ると、「じゃ!」と言って坂木は病室を出て行った。桂は一応というようにこちらに頭を下げ、坂木の後ろをついていく。静かになった病室で、あれはバディというより父子かもしれない、と二人の距離感を思い返した。
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