03 青年

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03 青年

 魔女狩りだ。階段下の広場に集まった民衆が皆こちらを見ている。階段の上に設置された特別ステージとも言うべき処刑台の上で、オレは「悪魔と契約した者」としてのオレに投げかけられる罵声を聞いていた。  当然魔術を使った覚えなどなければ悪魔と契約した覚えもない。しかしオレは疑いがかけられた時点ですぐに悪魔と契約したことを認めた。認めなければ家族や愛する人間、自分を庇う人たちが同じように拷問に遭い、殺されてしまうからだ。魔女狩りとは「そういうもの」だと分かっていたし、容疑者になった時点でこちらの負けは決まっている。今更抵抗したところでどうなるのだという気持ちがあった。  死ぬことはあまり怖くない。この世界に遺していく人間がいることが怖い。オレを慕ってくれた人間がいることを知っているから、その人たちが悲しむかもしれないことが怖い。でももう、どうしようもない。遺していくのが怖いからと言って一緒に死ぬ気にはなれない。  悲しんでいたって処刑は進む。オレは台の上で自分の身長よりも長い棒と一緒に縛られ、磔にされる。地面に足がつかない。民衆の中に知っている顔を見つけるのが恐ろしく、目を逸らす。階段下の広場から野次が聞こえる。死ね。殺せ。異端者、クズ、その他色々。  死ぬのは怖くない。最後までオレを信じていた家族と友人を遺して死ぬのが怖い。自分自身に言い聞かせるように心の中で言って、深呼吸をする。オレの足元に火がつく。歓声が上がる。足元から、静かに燃えていく。 *  *  *  いつ物心がついたか分からないのと同じように、いつのまにか目覚めている。また、知っている天井だ。そして、また殺される夢だった。「魔女狩り」だなんてファンタジーな夢だ。  殺されたのは夢の中のことで、ここは病院で、自分は通り魔事件に遭って記憶喪失になっている大学生だと意識がはっきりしてようやく理解する。幸いにも――念のためもう一度言っておこう、――思い返すべき記憶が少ないので、現状の把握はすぐに済む。  警察が帰ってから昼食を取って、することもないのでぼんやりしていたら眠ってしまっていたらしい。手を伸ばしてベッドサイドのスマートフォンを取り時刻を確認すると、すでに午後三時を過ぎていた。起きていたってやることはないが、だからといって二時間ほど昼寝をするのは一日を無駄にしてしまったような気がしてくる。ため息をついて、どうにかベッドのリクライニングボタンを押した。 「よく眠れた?」  声をかけられて初めて人の存在に気づいた。ドア付近の壁に、知らない青年がもたれかかっていた。同年代だろうか、物腰柔らかで女性が好みそうな整った顔立ちをした男だ。 「……誰、ですか?」  面会時間内ではあるから、不審者とは言い難い。オレの知り合いなのかもしれないが、もちろん今のオレには知らない顔だ。  そもそもオレが眠っている間、男は何をしていたのだろう。オレの寝顔でも見ていたのか? 普通見舞いに来ても患者が寝ていたらそっと席を外すだろ。 「座ってもいいかな」 「どうぞ……?」  オレの問いには答えず、青年はベッドの横に置かれた椅子に座った。記憶を失う前の自分を知っているらしい人間に会うのは、目覚めた当日から何度か来ている姉を除けば初めてだ。知らない顔で自分の記憶が呼び起こされないかと、失礼を承知で顔を見つめる。  綺麗な顔だ。おそらく染められていないであろう黒髪はきちんとセットされており、短すぎない髪が整った顔の落ち着いた雰囲気によく似合っている。イケメンというよりは整っているという言葉が合うし、線の細い印象を受ける。自分のことながらこんな知り合いがいるようには思えない。  こちらを見ていた美しい顔の青年は、ふと視線を逸らした。 「そんなに見られると落ち着かないよ」 「あーっと、すみません……」  そんなことを言いながら美青年はたいして何ともなさそうだったが、オレが青年を見つめていたのは事実なのでとりあえず謝っておく。青年は微笑んだ。 「で、ミコトくん、一週間ほど前の僕のことを聞いてくれるかな」 「え、あの」 「僕はその日、恋人……ではないんだけどもそれに近い存在の人の家に行ったんだ」  口を挟む暇もなかった。 「インターホンを鳴らしてもは恋人……ではないけれどそれに近い存在の人は出なくて、でもどうしても僕はその人に会いたいから探しに行ったんだよ。途中から雨が降り始めて寒かったんだけど、傘も持っていなかったしそのまま探した」 「えっと……スマホとかで連絡は?」  聞いていて不思議に思ったので質問してみる。青年は少しきょとんとしたあと、「僕は携帯電話を持っていない」と小さく打ち明けた。 「は!? そりゃまたなんで」  思わず敬語が抜ける。 「最新の文明にまだ僕は追いついてないんだよ……。持っていても使いこなせない」 「テレビもなかったりする? あんた本当に現代人?」  驚くべき事実に、この一週間使ったことのない無愛想な口調が出た。 「まさか。流石にテレビは使い方くらい分かるよ。でもスマートフォンは……苦手なんだ。パソコンは使えるから、それで連絡を取ることが多い」 「へえ……それはまた……不便、だな」  整っている顔ではあるが、天然記念物並みの時代遅れ男らしい。 「たしかに不便なんだよ。それは僕も分かっている。実際その日は恋人に近い存在のその人にも連絡を取れなくて傘もないままに探し回ったわけだからね。そう、それでだよ。僕は雨に濡れながら恋人ではないが恋人に近い存在のその人を」 「長いからもう恋人でいいよ、勝手に頭の中で補完しておくから」 「え? いいの?」  青年は目を輝かせた。 「いいかどうかは知らないけど……長くてめんどくさいだろ」  一回口調を崩してしまえば、元からこの口調で話していたかのように馴染んでしまって敬語に戻れなかった。青年が気にした風もないのでそのまま続けさせてもらう。 「……それじゃあ、『恋人』と呼ばせてもらうけれど。僕は雨に濡れながら『恋人』を探し続けて、ようやく最寄りの駅で見つけたんだ。でも『恋人』は……僕ではない男と二人で傘に入って歩いていた」  オレは数秒前の自分の発言を後悔した。恋人ではない人間を恋人と称したせいで話が余計ややこしくなってしまったからだ。修羅場みたいな表現になっているが、この青年の言う「恋人」は本物の恋人ではなくて「恋人ではないが、恋人に近い存在」であることを忘れてはならない。彼の言葉には悲壮感が漂っているが、つまりは仲良しの女の子が他の男と相合傘をしていてショックだったという失恋に近い話でしかないのだ。 「で、あんたは『恋人』にフラれたって話?」  思いやりもなく疑問のままに聞くと、美青年は慌てて噛みついてくる。 「フラれてない! 僕は結局そこでは声をかけられず、『恋人』の住むアパートの近くのコンビニで『恋人』の好きなシュークリームを買って時間を潰した。……時間を置いて家に行ったら、『恋人』はすでに帰ってきていて、『なんでそんな濡れてんの』って言いながらタオルをくれたし家にも上げてくれた」 「へえ……」  女性が男を家に上げるのはそんなに多いことなのだろうか。恋人でもないこの青年を受け入れていることを思えば、「恋人ではないが恋人に近い存在」というのもあながち間違いではないのかもしれない。 「で、相合傘の男は?」  青年は黙り込んだ。 「え、聞いてないのかよ」 「聞いたよ。友達って言われた。……その上僕は雨の中探し回ったことを怒られたよ。勝手に探して勝手に友人を見て勝手に嫉妬するなとも言われた」 「あー……まあ、付き合ってないならそうだろうな」  家にいないからと言って、連絡が取れるわけでもないのに探し回った挙句、一緒にいた友人を見て嫉妬されるのは「友達」の関係性には確かに収まりきらないだろう。いくら恋人に近いとは言え、付き合っていないのならば尚更友人関係にまで口出しはすべきではない。 「君までそう言うんだね。僕は心配だったんだよ。すぐに死にに行くような人だから」 「メンヘラってやつ?」 「メン……なんだって?」 「メンヘラ。精神病んでるってこと」 「違うよ。むしろ精神は健康すぎる。ただ自分を顧みないだけ」 「すごい人と付き合ってるな」 「……付き合ってはない」  そうだった。  少ししょんぼりしてしまった青年を見て失言を反省する。 「それで、もう少し聞いてくれる?」  それからも男は『恋人』との喧嘩にもならないような日々や大学の授業についてを喋った。どうやらオレと彼は同じ大学に通っているらしく、なぜか名前は頑なに教えてくれなかったが、ある程度の情報を得られた。オレは社会科学部なのだが、彼は人文学部で歴史を学んでいると言う。友達は少ないらしく、言い寄ってくる女性は苦手。美形の言うことはやはり違う。  彼はオレの記憶がないことに対して特に何かを思っているわけではないのか、気を遣うわけでもなく自然体で話しかけてきた。何回か病室を訪れた姉でさえ、気を遣ってああでもないこうでもないと毎度態度が違うのに、殊勝なことである。最初はその遠慮のなさに面食らったオレも、おかげで気を遣わずに話すことができた。 「じゃあ、また来るよ、ミコトくん」  最後にそう言うので、オレはまた名前を尋ねたが、青年は曖昧に笑うばかりで病室を去っていってしまった。
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