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とにかく、平常心だ。
昨晩のキスを意識していると思われたら、からかわれる。あんなのただの酔っぱらいの遊びだ、というスタンスでいこう。
キッチンへ向かい、マグカップにコーヒーを注ぐ。その場に立ったままリビングの方へ視線を向ける。真島さんは観葉植物に霧吹きで水をかけながら、葉を掴んで眺めたりしている。
「真島さんって面倒見いいよね」
「え、そうか?」
社長の息子とはいえ、負担なら宿代を出してでもホテルなどに追い出しただろう。観葉植物に水をやるように、適度に力を抜いて面倒を見ている気がする。性格なのか大人の余裕なのか、わからないけれど。
「自分では意識したことないけど、母親がアレだから、根はオカン気質なのかな」
首を傾げている。
「オカン」
留守電の内容を思い出し、吹き出した。
「どっちかというと世話を焼くのは苦手だと思ってた」
「そうなの?」
「子供のころ猫を飼ってたけど、どうすればいいかわかんなかった」
真島さんはキッチンまで来て、カウンターに霧吹きを置いた。棚からマグカップを出してコーヒーを注ぎ、リビングに戻る。
テーブルには既に朝食が用意されていた。真島さんがソファに座ったので、俺も隣に座った。
「いただきます」
黄金色に焼けたトーストをかじる。
「親が離婚してね。寂しいだろうって母が猫を連れてきてくれた」
「じゃあ、かわいがってたんでしょ」
「いや、かわいがろうとしたら逃げるし、かと思えば肩や膝に乗って邪魔するし、腹がたったから邪険にしてたなあ」
「ええ……」
猫に同情する。
「もっとかわいがっておけば良かったかな。突然いなくなったから探したけど見つからなくて、亡くなる前は姿を消すものだから、そっとしておこうって母に言われた。それっきりだ」
「……そうか」
「もしかしたら、もっといい飼い主を見つけたのかもしれない。その方がいいかな。少しでも長く生きててほしいし」
二人とも食べ終えて箸を置く。
「ごちそうさま」
「そういえば何時からだ? バイト」
「十時開店で一時間前に来るように言われてる」
まだ三十分くらいある。制服のシャツとエプロンは用意してもらえるから、ジーンズだけ自前だ。
「歩いてすぐ行けるところで良かったな」
「ほんと」
大きく頷く。迷って遅刻することはない。たぶん。
「昨日、玲が眠ったあとに藤崎さんと電話で話したけど、食事会は四日の夜でいいな」
今日から三日間バイトがある。食事をするなら夜しかない。
「うん、わかった」
圭人に婚約者を紹介された直後は、一緒に食事する気になどなれなかったが、今は少し気持ちが落ち着いた。おめでとうと言わなければ。
立ち上がり、食器をキッチンに運んで皿を洗った。身支度を整えてアルバイト先へと向かった。
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