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最寄駅で降り、街を歩いた。高層ビルが立ち並ぶ様は生まれ育った田舎とはまったく違う。空があまり見えないし、自然がない。葉のない街路樹が並んでいる。
鋪道には人が溢れ、時折ぶつかりそうになる。冬の街は着膨れしている人が多く、余計に道が狭く感じた。動きやすい服装ではあったが、キャリーバッグが邪魔になる。
横を歩いていた圭人が腕時計をちらりと見た。
「ちょうどいい時間だ。山根さんのお宅まではすぐだよ」
賑やかな道から逸れて中通りを歩いているうちに目当てのマンションに着いた。エレベータで八階まで上がり、メモに書かれていた部屋の前に立つ。
「……山根さんって言ってたよね」
「変だね」
指定された部屋番号の表札に書かれていた文字を見る。
そこには『真島』と書いてあった。
「番号が違ってるのかな」
「いや、僕が聞いていたのも、この番号だったよ」
少しの間、途方に暮れていたが、圭人はコートのポケットからスマホを取り出した。
「社長に確認してみよう」
ホテルに泊まるほどの貯金はなく、父親の古い友人がやっている民泊用の部屋を、安価で貸りられる手筈になっていた。その友人の名は山根のはずだ。
「会議中かな」
電話は繋がらないらしい。圭人がポケットにスマホを戻したとき、廊下の突き当たりにあるエレベータが動く気配がした。
チン、と鳴って扉が開く。
出てきた男と目が合い、声を上げそうになった。
黒いコートにスーツ姿。
空港にいた男だ。
ぽかんと開けていた口を慌てて閉じ、軽く頭を下げた。
「……さきほどは、どうも」
「なんで俺の家の前にいるんだ? 方向音痴にも程があるだろ」
その言葉にまた腹が立つ。
「間違ってないって。俺は山根さんの家に来たんだ。なんで真島になってるんだ」
「あのなあ、ここは俺の家で、俺は真島なの」
きっぱりと言い放った後、「おや?」というような顔をした。
「今、山根と言ったか?」
「言った」
「あ」
真島さんは顔をしかめた。ポケットからスマホを取り出す。
「……あの」
何か心当たりがあるのだろうか。
「山根は俺の母親だ。聞いてないけど、留守電入ってた。推しアイドルの話ばかりで用事もなく電話してくるから、あとで聞こうと思ってたんだった」
スマホをチェックして留守電を再生すると、早口の甲高い声が流れた。
『俊介、電話かけても出ないから伝言残しておくけど、母さんの学生時代の友人の息子さんが東京来るんだって。安宿探してるって言うから、民泊用の部屋あるからそこ泊まんなさいよーって言ったのよ。息子が年末年始休みだから観光案内させるしって。ところが、ちょっと聞いてくれる? 上の階から水漏れあって、部屋をしばらく使えなくなって。ほんと困るわよね。それで俊介の住所を教えておいたから。一人ぐらい泊まれるでしょ。あんたが働いてる会社の社長の息子さんだから、ちゃんともてなした方がいいよ。じゃ、よろしく!』
プツリ、といきなり切れた。
沈黙。
真島さんはゆっくりと、大きな溜息をついた。
「……ということだそうだ」
圭人が一歩前に出た。
「あの、営業部の真島さんですよね。僕は広報部の藤崎です」
「ああ……、俺はあまり会社にはいないから、話したことはなかったですけど。とりあえず、ここで立ち話もなんなので中に入ってください」
圭人が頭を下げる。
「すみません、突然」
真島さんは鍵を開けて中に入った。コートを壁のフックに掛けて室内に入っていく。俺は「失礼します」と言って、圭人と一緒に家に上がった。
廊下の先へ進むと十畳ほどの広さの部屋があった。入ってすぐ横が対面式のキッチンで、奥にソファとテーブル、テレビがある。インテリアは白と黒で統一されていて、ほかの色はところどころに置かれた観葉植物の緑だけだ。ほかに余計な物は一切ない。
三人がけのソファに圭人と並んで座る。
真島さんはカウンターテーブルの方から椅子を一脚持ってきて、正面に座った。
圭人が心配げに言った。
「あの、大丈夫なのでしょうか。話が伝わってなかった様子ですが、玲を泊めていただくことは可能ですか?」
「ホテルに泊まったらいいのでは」
「ホテルに何泊も泊まるお金はないから、安いところを探してたんだ」
「僕が引っ越し荷造り中じゃなければ泊めてあげられたんだけどね……。ホテル代、僕が出そうか」
慌てて首を横に振る。
「そうはいかないよ。父さんにバレたら、なんでも圭人を頼ってって怒られる」
でも、ここに泊まるのは無理だろう。
カプセルホテルを探すしかないか。
手持ちのお金で足りるだろうか。年明けのアルバイト代をすぐにもらえないなら、厳しいかもしれない。ネットカフェしかないか。どんなところか、よく知らないけれど。
うつむいて頭を抱えそうになる。
「わかった。うちで引き受けよう」
その声に、顔を上げた。
「リビングの他に部屋はひとつしかなくて、俺もいるが、それでも良ければ。年末年始は予定入れてなかったから、観光案内くらいしてやろう」
圭人が尋ねた。
「いいんですか? 宿泊だけではなく観光まで」
「藤崎さんは引っ越し準備で忙しいんでしょう? こんな方向音痴を一人で歩かせたら面倒なことになる。この時期じゃ、はとバスツアーも予約が取れないかもしれないし」
「ありがとうございます」
圭人が深々と頭を下げた。
「俺の母親が部屋を貸すと言ってたんだからな。こっちの落ち度なのに放り出すわけにもいかない。ということで、どうだ」
こちらを見た。からかうような笑みを浮かべている。
少し頭にきたが堪える。手持ちの金が少ないのも、道に迷いそうなのも事実だ。
渋々頭を下げた。
「……お願いします」
顔を少し上げると、真島さんは身を乗り出すようにしてこちらを見ていて、視線が近くで合いドキリとした。
「まあ、うるさい猫を一匹預かったと思えば腹もたたない」
睨みつけた俺の隣で、圭人が「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「準備に少し時間もらってもいいだろうか。掃除したいし、二人だと足りない物もあるから買ってきたい」
「わかりました。カフェに玲を連れて行って待ちますね」
藤崎農場のカフェが近くにあるらしいので、そこに行くのだろう。
圭人と一緒に立ち上がる。
「足りない物、近くに店あるなら俺が買ってきましょうか」
居候なので、それくらいは申し出てみる。
「いや、いい。余計なことしてまた迷子になっても困る。準備ができたら迎えに行く。ああ、キャリーバッグは置いていっていいぞ。その方が安心だろ」
ニヤリと笑われて、今度は堪えきれなかった。
「あれはたまたま、うっかりしてただけなんで!」
圭人が不思議そうな表情で二人の顔を交互に見た。
「そういえば、顔見知りなの? キャリーバッグ置いていった方が安心って?」
「……それは後で話す」
あまり話したくはない内容だけれど。
軽く頭を下げてから、二人は部屋を出てカフェへと向かった。
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