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「ほら、あそこに看板が見える」
圭人が指差す方を見た。看板は通りにもビルの上にもあり、目が痛くなりそうなくらい色が溢れている。藤崎農場のカフェの看板は、水色の円に白い牛のシルエットというシンプルなマークで、むしろ目立っていた。
カフェはビルの一階にあり、幅は五メートルもなさそうだが、同じ通りのケーキやクレープ店も似たような大きさだ。食べ歩きする人も多く、藤崎農場のカフェからもソフトクリームを手にしたカップルが出てきた。
その後ろにいた若い男性店員が、こちらを見た。
「藤崎さん」
え? 俺を呼んだ?
初対面のはずなのに、と一瞬焦ったが、呼ばれたのは圭人の方だった。
「ああ、百瀬くん」
百瀬と呼ばれた男は白いシャツにジーンズ姿で茶色いカフェエプロンをしていた。それがこの店の制服のようだ。胸には「店長」と書かれたプレートがあった。
入口横にある黒板風の立て看板には、FUJI CAFEと書かれていて、藤崎農場カフェの別名らしい。店長は立て看板に貼り付けていたランチメニューを下げるために出てきたようだ。空は少し薄暗くなりつつある。
店長は接客慣れした人懐っこそうな笑顔で言った。
「会社はもう年末休暇に入ってるんですよね?」
「そう、今日は従兄弟を迎えに成田まで行ってたんだ。そういえば年始にここにバイトに入るんだっけ」
「え、従兄弟って、社長の息子さん? えええーっ」
顎がはずれるのではないかというくらい口を開けて、俺の顔をまじまじと見た。
「はじめまして、藤崎玲です。年明けのバイトよろしくお願いします」
バイト先の上司になる。最大限にっこりと微笑んだ。
「これはまた、あの険しいゴリラみたいな社長から、随分と愛らしい子供が生まれたものですね」
褒められているのだろうが、やはり幼く見られている気がして面白くはない。複雑な思いで隣を見ると、圭人は苦笑していた。
「確かに、玲はどちらかというと母親似かな」
「そうでしょう、そうでしょう」
店長は何度も頷いた。テレビで見かけるお笑い芸人にいそうなタイプだ。
「少し時間があるので、玲をこちらに連れてきたんだ」
「どうぞ、いらっしゃいませ」
店長はにっこりと笑った。見事な接客スマイルだった。
店内に入る。正面奥にカウンターがあり、セルフサービス式だ。壁はロゴマークと同じ水色、テーブルや椅子は真っ白で、女性が好みそうな雰囲気だった。歩道に面した窓際は一人席が並び、ほかにテーブルが十ほどある。それほど広くはなく、イートインスペースという感じだ。
席は若い女性客でほぼ埋まっていた。皆、パフェやソフトクリームを幸せそうな表情で食べている。
「何を食べる? ここは僕が奢るよ」
注文カウンターまで行き、テーブルに置かれたメニューを眺める。
ソフトクリームのほかは主にパフェで、ドリンク用みたいな透明カップ入りで、テイクアウトできる。フルーツの断面が見えるよう綺麗に並べられていて、それが映え写真になるのか、パフェを掲げて壁を背景に写真を撮っている人もいた。
「ありがとう。じゃあ、俺はチョコバナナアーモンド」
トッピングの種類も豊富だが、奢りなので基本メニューで我慢した。
圭人が頷く。
「それと、ホットミルクで」
農場の新鮮な牛乳も人気らしい。
若い女性店員が復唱すると、カウンターの奥のスタッフが答えてパフェを作り始めた。ホットミルクが先に用意される。
「じゃあ、座ってるね」
支払いを終えた圭人が入口に近い空席へと向かう。パフェも長時間待たされることなく出てきたので、カップを持って圭人の正面の席に着いた。
カップを掲げて眺める。スライスしたバナナが張り付くように並んでいる。バニラアイスの上にはたっぷりチョコレートソースがかかっていて、スライスアーモンドがトッピングされていた。
ドーム状の蓋を開けて、スプーンですくって食べる。
「あー、やっぱ美味しい。疲れ吹き飛ぶ」
うっとりするように目を閉じる。
見栄えもいいけれど、濃厚なのに後味もいいアイスが最高なのだ。
「そういえば、空港で何かあったの。もしかして僕に電話くれたの真島さんだったのかな」
「……そう。圭人と会えなくて館内図見てたら、迷子なら電話してやるって真島さんが声かけてくれて。助かったけど……、なんか小学生以下だとか笑われて」
印象はどちらかといえば、最悪だ。
キャリーバッグを置き去りにしたことは言わないでおこう。恥ずかしいので。
圭人はホットミルクを飲みながら苦笑した。
「確かに割とはっきり言う感じだけど、声かけて助けるなんて親切だよね。それに急なのに宿泊だけじゃなく観光案内まで引き受けてくれるとか、面倒見がいい人なのかも。歳は僕のひとつ上だけど、有能だって聞いたことあるよ。全国の出店計画とか担当してたはず」
「うーん……」
冷静に客観的に考えるとそうなのだ。
親切で面倒見がいい。何にイラつくのか上手く説明できない。とにかく今も頭の中が真島さんのことでいっぱいで、それがまた腹立たしい。
圭人が腕時計で時間を確認した。
「ごめん、今日は人に会う予定があるから、もう行かないと。真島さん迎えにきてくれるまで、ここで待ってて」
「うん、わかった。今日はありがとう」
「滞在中に一度は食事に行こう。連絡するね」
「本当? やった」
久しぶりなのに忙しそうで諦めていたが、また会えるのなら、うれしい。
圭人はミルクを飲み干して、食器返却口にトレイとカップを置いて出ていった。去り際に手を振り合う。
いろいろ予定外のこともあったが、なんとか東京で過ごせそうだ。真島さんと仲良くなれる気はしないが、どうせ一週間程度の付き合いだ。仲など良くなくても問題はない。
考えながらパフェを食べていると、カウンターの方から言い争うような声が聞こえてきた。
髪を派手な色に染めた男が二人いて、一人がタバコを手にしている。
女性店員が頭を下げていた。
「ここは禁煙になっておりますので、おタバコは御遠慮願います」
「なんでだよ。携帯灰皿持ってきてるし、あんたに迷惑はかけてないだろう」
「タバコの煙が他のお客様のご迷惑になるので……」
客たちは揉め事が起きている方をちらちらと見ている。立ち上がり、急いで店を出ていく人もいた。
「客に迷惑だ? 俺たちも今、ソフトクリーム頼んだ客だろう?」
もう一人の男も加勢する。
「出ていけっていうのか」
店長は休憩中なのか、女性しかいない。
長旅の疲れがパフェのおかげで吹き飛んだところなのに、空気を乱されて我慢ができなかった。
「すみません、静かにしてくれませんか」
男二人が、俺の方を見た。
「なんだよ。やる気か?」
悪役の台詞みたいな言葉を吐き、近づいてきて俺のテーブルを囲んだ。思いっきり凄んでいるが、熊みたいな大男ではない。怯える理由はない。
「みんな怖がってるでしょう」
「女がたくさんいるからって、カッコつけてるのか」
「そうじゃなくて、俺の美味しいパフェが不味くなるって言ってるんだ。大人なら少しくらい我慢して、吸ってもいいところで吸ってください」
「生意気言うな、ガキが!」
胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてきたので、立ち上がって壁際に下がった。繰り出された拳を避けると、男は壁を殴る形になった。
「いってー!」
うずくまって呻く。もう一人の男がそれを見て口をぽかんと開けたが、また慌てて強面を作る。
「てめえ、調子にのんなよ」
男がテーブル上のカップを手で払った。宙に浮いて、床に落ちる。
「あ」
まだ残っていたのに。
頭に血が昇ってきた。それでもこれ以上ここで騒いでは迷惑になることくらいはわかる。どうすればいい。
「文句あるなら、外で聞きます」
まるで喧嘩を受けて立つみたいな言い方になってしまったが仕方ない。子供のころから走り回って遊んでいたから弱々しくはないが、二人相手にして勝てるほどの武闘派でもない。外に誘って遠ざけて、逃げるしかない。
逃げてビル街で迷ったらどうしよう。
躊躇しかけたが、どうにかなるだろう。
しかし男は誘いに乗らなかった。
「うるせえ。外じゃなく今ここで死ねよ」
死ねとか物騒すぎるだろう。
男が飛びかかってくる。慌てて避けて場所が入れ替わった。もう一度、拳が繰り出されたので、後ろに下がった。
その瞬間、足がつるりと滑った。
床に落ちたパフェを踏んでいた。
「うわ!」
バランスを崩して後ろに倒れそうになる。その瞬間、背後から羽交い締めされるように支えられた。
殴られるのを覚悟していたのに拳は振り下ろされない。咄嗟に瞑っていた目をゆっくり開けると、拳は、後ろにいる男が片手で受け止めていた。
「お客様、店内での乱闘は御遠慮ください」
聞き覚えのある声。
真島さん。
抱きかかえていた手が離れる。
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