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12月31日
翌朝、目覚めてリビングの方へ行くと、真島さんは観葉植物に水を与えているところだった。
「おはよう」
振り向いて、片手に持ったマグカップに口をつける。コーヒーの良い香りが漂っていた。
「……おはようございます」
声が掠れている。
「顔洗ってこいよ。朝食はすぐ用意できるから」
洗面所で顔を洗った。リビングに戻ると、もうテーブルの上にトーストとスクランブルエッグ、サラダが並んでいた。
「コーヒーはそこにある。飲めないなら冷蔵庫から牛乳をどうぞ」
「コーヒーもらう」
むきになったような言い方が面白かったのか、真島さんは愉快そうに笑みを浮かべた。
そもそもむきになるのが、子供っぽく見えていけないのかもしれない。
もっと平常心でいこう。
コーヒーメーカーからカップにコーヒーを注ぎ、ソファに座って食事を摂った。
食後に少しだけ休憩してから、二人で商店街へと向かった。昨日このマンションに来るときに通った道より一本奥まった場所で、細い路地を挟んでさまざまな店が並んでいる。午前中だというのに大混雑だ。
「いつもこんなに混んでるの?」
「今日は特別だ。年末年始の料理の買い出しに出てきてるんだよ」
店の前では大きな声を張り上げて商品を高く掲げている人がいる。かまぼこの大安売りなど、まるで歌うような調子で呼び込み、それに人がたかっている。
魚屋の店頭に並ぶ蟹に釘付けになった。北海道でよく見るものとは姿が違う。先を歩いていた真島さんを呼び止める。
「真島さん、蟹! 蟹買って!」
「あのなあ、そんな高価なもの買えるか。それに蟹なんて道民ならよく食べてるんだろ」
やり取りを見ていた白髪の女性店員が話しかけてくる。
「あら、新鮮な蟹がこの値段じゃ安いですよ」
俺は拝むように両手を合わせた。
「二千円くらい値引きしてくれないかな」
店員は苦笑した。
「二千円は無理ねー。五百円引きでどう? それでもかなり安いよ」
「そこをなんとか千円引きで。ね、お姉さん」
お姉さんと呼ぶには少々苦しい年令の店員だったが、「仕方ないわねー」と笑った。
「じゃあ、千円引きで。他の人には内緒よ」
「ほら、千円引いてくれるって!」
真島さんは呆れたような目でこちらを見ていたが、渋々という感じで頷く。
「やった。お姉さん、この蟹ひとつ!」
「ありがとうございます!」
蟹を包んでビニール袋に入れてくれた。真島さんが支払いをし、袋を受け取って歩き出す。
「意外な才能があるな。何かに活かせそうだ」
「そう? 笑顔でお願いすれば、皆、案外親切にしてくれるよ」
「ちょっと道を誤まると危険だな。とりあえず歌舞伎町に行くのはやめておこう」
含み笑いの意味がわからなかったが、今は蟹を食べられる喜びの方が大きいので気にしない。最初は反対したのに買わせることができたというのも勝った気がして気持ちがいい。何に勝ったのかはよくわからないけれど。
あとは蕎麦や餅、小さめのおせちセットとお菓子などを買った。活気ある様子や店頭に並ぶ商品を見ているだけでも楽しい。
昼食は商店街にある定食屋で食べたが、その古びた雰囲気も、想像していた下町らしくて悪くない。
いろいろな店を覗きながら、両手一杯の荷物を抱えてマンションへと戻った。
元旦に食べる雑煮などの下準備や掃除などをしているうちに日は暮れ、テレビを見ながら年越し蕎麦を食べて大晦日は終わった。
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