詩情篇

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詩情篇

光は、東方から来るという。 少なくとも、ルネサンスを経た17世紀のヨーロッパ世界では、そのように信じられていた。 その光が、1664年12月6日、サン・ニコラス祭で賑わうアムステルダムにやってくるという。 人々は、その光を乗せたガレオン船が到着するのを、今か今かとアムステルダムの埠頭に詰めて待った。 夜明けとともに、遥かバタヴィア(インドネシア)から来たというガレオン船が一隻、水平線の彼方から見えてきた。 大地がことごとく海面より下にあるネーデルランドでは、その船が、あたかも空から飛んでくるようにも見える。 船が埠頭に着くと、ひとりの東洋人の美少女が降りてきた。 艶やかで健康的な長い黒髪を北海渡りの寒風になびかせて、これまた艶やかな寛永模様の打掛を、白い薄衣からまとった美少女は、朱の切り袴を着けていた。 少女は、出迎えの東インド会社重役、総督オラニエ家の侍従、ホラント州政府法律顧問(事実上の首相)のヨハン・デ・ウィットの出迎えを受けた。 少女は日本式のお辞儀をし、バタヴィアでジャガタラお春から習ったネーデルランド語で名乗った。 「麻亜紗と申します。お出迎え、大儀に存じます」 麻亜紗―本名はまさであろうが、本人がこの字を当てて好んだため、本稿でもその意思を重んじて、この表記に従うーの気品ある態度に、誰もが、この少女が高貴な立場であることを疑わなかった。 オラニエ家差し回しの馬車に乗り、天蓋がはずされた車上から、冷たい風に吹かれながら、満面の笑みを浮かべて、麻亜紗は宮殿への道を走った。 それは、デ・ウィットが仕組んだことであった。 (日本と同盟しているという印象を、連邦市民とイングランドに与えねばならない) 昨1663年末から今年の5月にかけて、イングランド王弟ヨーク公ジェームスの意を受けたサー・ロバート・ホームズの率いる艦隊が、西アフリカのギニア湾へ遠征し、現地のネーデルランド植民地を武力制圧、さらに、この8月には、俄かに3-4隻のイングランド艦が、北米のハドソン河口に現れて、ネーデルランドの植民地ニューアムステルダムを無血占領したのである。 表向きは、ヨーク公ジェームスが経営に関与する王立アフリカ会社の私的略奪行為とされていたが、これが、将来、英蘭二国間の戦争に発展することは間違いなく、そのときのために東洋の軍事大国(と思われていた)日本との同盟を強調しておきたかったのである。
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