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「火で避けてくれない方が多いな」
「だからと言って痛覚でも怯んでくれない子も結構いるからね」
廊下を駆け抜けながら、定期的に襲い掛かってくる猛獣を蹴散らしていく。一時しのぎで充分と判断し、相手を怯ませることに重点を置くとそれが利かない相手が、結構な頻度で出てくる。
「だから私が居るんだよ、っと」
弦楽器を鳴らしたときのような鋭い音を響かせて、母の持つストリングスが飛びかかってきたでかい蟹の脚を縛り上げる。
「Dm7+11」
「耳が結構なのは分かったから、気ぃ取られんなよ!」
分かってる、と内心で答えつつ、動きの止まった蟹の脚を斬りつける。
光華・爆星。
関節に三重の斬撃を与えて斬り落とす。関節と言うよりすぐ傍の組織を断ったような感触だった。
それを繰り返して、同時に十織も分厚いナイフで別の脚を切断していた。
「やっぱり硬いな。人とはまるで違う」
「人斬ったことないだろ、あんた」
「そう思うんだ?」
見りゃあわかるわ、とは言わない方が良いのだろうか。何にせよ無駄口を叩いている暇もなく、動けなくなった蟹を放置して先へ進む。
別に動物たちの集まっている拠点を目指しているわけではない。
むしろそこを避けるように動いている。
この少人数で、集団の大型生物を相手にできるわけないと知っているし、僕らの目的は人間の方だ。
「……人間の可能性ってなんだろうな」
「さあね。ただ、人は汎用性に特化した生物種だってのは聞いたことあるよ」
他の生物よりも尖った性能は少ないが、大概のことはそれなりのラインに届く。
大体なんでもできることが地球上で生き残れた理由じゃないか、なんて話があるくらいだ。言われてみれば、否定しづらい話だ。
器用貧乏、は個体レベルで。
得意の違う集団なら、まあ強くはなるのか。
「異能者がその典型で、才能を極端に強くすればああなるってものだろ?」
母の言葉には、なんだか恨みがましい響きが混じっているように思える。
僕ら「白羽」の持つ体質とは異能は合わないのか、先祖から異能者が生まれたことが全くないという。
「なんだか、私たちが無能って言われてる気がしねえか?」
「そうは思わないけど。母さんは自分で無能だって思ってんの?」
「まさかな。そこらの異能者程度なら上手に立てると思ってるよ」
「じゃあいいじゃねえの」
何を思ったのか、母の右手がポケットに動いて、止まった。しばらくその手を彷徨わせて、顔に持ち上げて顎を掻いている。
「親父がな。仁にとっては爺になる白羽限ってのがそこら辺を拗らせててさ。あたしはその呪いを受け続けてるってだけだよ」
白羽限。僕が生まれたときには既に無くなっていて、全く面識のない祖父。
母はその人を反面教師にしているらしい、それは普段の生活から見てもなんとなく判ることだった。
その様子を見た十織が、「海奈さんって、一度はちきれたらとんでもないことしでかしそうですよね」なんて言い出した。
とんでもないこと、ってなんだ。
そう訊いたら、「世界の歴史に残るような途轍もないこと。破滅的な大事件と大変革ってところかな」と返ってくる。
それは、昔にも似たようなことを聞いたことがある。
それだけのことをできる才覚と行動力を持っていて、何の偶然か爆発していないだけ。
白羽海奈が「画兵器(パンドラボックス)」だなんて物騒なあだ名をつけられる理由の一つだ、と。
「……だから、私はここにいたんだよ」
それだけ返して、先へ進もうと言いながらそっぽを向かれてしまった。
「どこへ行こうか」
分かれ道に出た。どうやら目的によって行き先が変わるようだが、三つある選択肢のうち、どれを選べばいいのか、よくわからない。
優里の指示にはそこまで詳しくは書かれていない。
だが、人のデータを集めたセクションを目指すべしとはあるので目的を引き当てるまで虱潰しが正解なのだろうとしか思えなかった。
猛獣に襲われるよりはマシじゃないか、とその場で多数決、右から順番に攻めていこうと決めた。エレベーターに乗り込んで移動かと思えば、なんだか光っているタイルが置かれた小部屋だった。
「転送技術か」
「楽だよなあ」
上に乗って自動で転送が始まる様子を体感する。熱と冷気が同時に全身を覆ったような気分だった。
数秒の浮遊感、それが収まって眼を開けば。
さっきまでとは随分と雰囲気の違う、薄暗く湿った通路が広がっている。
蛍光灯に似た照明は、燭台に置き換わり、その上には妙に色数の多い火が灯っている。
虹色と言えばいいのか、一つの色では表現しきれない光。
可視光線外の周波数帯も混じっているのは明らかだろう。
「星晶石の照明か、結構霊気が満ちているようだが――――」
母がこちらに目を向ける。何だろうと思っていると、自分の内部にある朱冴道がざわついているようだった。心臓の拍動が少し熱く、暴れそうになっているのを二人で抑え込んでから息を吐く。
さて、厄介だね。
そう言いつつ、十織はなんだか楽しそうだった。
それに対して、糸識さんがずっと無言のまま綾取りを続けて、ちろ、と視線を軽く向けるだけなのが不自然だった。
「こういう環境なら、人を活かし続けるくらいできるのかな」
「ん?」
糸識さんの思いつきみたいな台詞に、思わず反応する。声色が違っていて、無視するのが難しかったから、と言うのが大きな理由だけど。
「星の砂を使えば、身体の組織を若いまま保つことくらいはできそうだよ。サンプル取っておいて、簡単に細胞の培養ができる物質なんだから」
理論上、不老不死のようなものが再現できる、と思わない?
「それがここの目的だって?」
「どうだろうね、通過点じゃないの? 死なないだけの人間で満足すると思えないし、そこから先にできることを目指すと思うよ」
例えば高次元時空を認識できる脳機能の開発、とか。
時間軸のみをその場で遡行できるような異能の開発、とか。
「今は時間の逆行じゃなくて、過去の情報を読み込んで再現する、って考え方だし。ロールバックにしても意味が違うんだよね」
あとは個体レベルで宇宙境界を超えるような能力を作る、とか。考えようによっては色々あるはず。
「詩歌さん、ガチギレしそうね」
「ああ、それはあるだろうな……」
言いつつ、周囲を見渡す。青紫色のフィルタでも掛かったような暗さの中、冷えた雰囲気が腕をなぞり上げる。
複数の気配が僕の範囲に感じ取れる。
それを他の三人も察したのか、何かあるのかとさっきと同じように周囲を探っている。
「人間の気配、とは言えないな。なんとも判断できない」
脚を進め、気配を避けるよりは正体を確認してからの方が良いんじゃないのか、そう考えた。そう思った瞬間に、僕以外の三人が見当たらなくなってしまう。
どこに行った、と見渡せど薄暗い通路には人影が見当たらない。
「……心の方にも連絡はつかないし、いきなり個別行動とはハードだな」
校舎内で受けた呪術、認識を阻害して誰も見えないようにするのなら、持っている呪刀で切って捨てられる。真っ先に思いついて手元にある黒い太刀を振るったが、何も起こらない。
霊気を斬った手応えもないなら、別の何かだと判断した方が良いだろう。
ワープ移動が採用されているなら、どこかで気付かれずに分断されたと考える方が早いか。合流するより、先に進むほうがいい気がするけれど。
悩むよりも先に脚を進めることにした。
気配はあるけれど、殺気は感じ取れない。
純粋な猛獣よりも穏やかに圧し殺された狂気や害意の方が、僕には怖いが。
「……、んー」
それなのに、少しそわそわするというか、なんだかわくわくしてしまっている。
きっと、その正体が人間以外の何かと立ち合える好奇心だ。
背に負った竹刀袋から、影楼を取り出し、腰のベルトに差した。
端末にメッセージが入る。この心境を見抜かれているのか、優里の方から「好戦的よね、案外」と言われている。
その通りだよ、と内心で思うにとどめ。
十数メーター先に立っている誰かを、しっかりと見据える。
耳と尻尾と、爪と牙。それを無理矢理に人の身体に貼り付けたような歪な身体構造。
「黒い、猫かな。眼球が黄色に光っている」
殺気はあまり感じない。こちらに興味がないなら、別に立ち去っても構わないのだけど。
だが、向こうもこちらを認識している。視線が僕の胴体に向いているのが感覚で判るのだから、気付いていないわけがない。
「……」
様子見に脚を止めると、向こうも脚を折って姿勢を低く構える。猫の狩りの姿勢と共に、視線に警戒の色が混じる。
「……、ふぅ」
左手を刀に添える。合口の刀だが、感覚でどこに手を置くかは分かっていた。
手が触れたと同時、ぎんっ、と軋る音が聞こえた。
刹那だけ遅れて、相手が一気に距離を詰めてきてどちらかの腕で切り裂きにかかり、それを僕が抜刀で応じたと知覚。
肉が斬れた感覚はなく、真後ろに走り抜けた相手がグリップで即座にこちらに向き直るのを、気配で確認しながら僕も後ろを向いて相手の姿を確認する。
その前に相手が飛びかかっていたから、右手が握っていた刀をスナップで跳ね上げて軌道上に置くことで妨害、躱して体を捻った相手がもう一度僕の正面に戻ってきたところに、刀を両手で握り直し下段の構えを取る。
両腕まで使って四足駆動を優先するなら、切っ先の位置を低くする構えを選ぶべきと判断したからだった。
黒猫の少年。その両腕に白色の光が灯る。
わずかに青色を含む光は、彗星の光に似ていた。
速度に差がありすぎて、まともな剣術では対抗できない、と仁も判断し。自身が最も素早く剣技を扱える「光華」にシフトしている。
抜刀術、居合抜きに重きを置くスタイルは、確かに得意ではあるが。
ほとんど護身や奇襲用の技しか教わっていない現状、切り抜けるのが精一杯だろうとも感じている。
「せっ!」
黄色の光を纏って閃く刃。霊力を乗せる、イメージを自身に重ねる暗示術を含んだ剣技であることを、仁はまだ知らない。
爪が仁を切り裂こうと伸びてくる。
それに対して流星のような斬撃で応じる。
ぶつかり合う火花も相まって、そこで花火が弾けているような様相だった。
脚を止めて打ち合っている訳でなく、わずかに押される形で仁の方が後退している。威力はそこまででもないが、猫の方が手数で勝っている以上、退いて躱す選択がどうしても発生していた。
「くあっ!」
威嚇のために声を上げる。相手はそれに対して大きく後退して距離を取った。発声による威嚇に慣れていないのだろうか。
向こうは着地と同時に、低い唸り声を響かせる。
習性が猫なだけで、声帯はヒトのものだ。人の発音できる周波数を越えることなく、おそらくあまり低くない声質なのだと知れた。
「rrrrg」
「シィッ!」
摩擦音を出せば、応じるように叫んだ。
「grr,rroarrRR!」
向こうも引く気は無いようだ、と仁はもう一度刀を鞘に納める。意識は相手を捉えながら柄に添えた右手に。抜刀一閃で倒せるわけでないと知っているから、違うイメージを頭の中に浮かべていた。
向こうは大きく距離を取り始める。
同時に彼の両手に彗星の光が強く纏わりはじめる。何か大技でも出してくるのか、とぼんやり警戒しながら、右腕を動かすタイミングを計っていた。
ばんっ、と空気が爆ぜる音。
相手は青白い光に全身を包んで突撃してくる。
それこそ隕石じみた特攻だった。
仁は、その攻撃に対して、抜刀術で受ける。口内で小さく「光華・球綺羅閃星」と呟き、右手が弾け飛びそうな負荷を掛けながら。
剣閃が球体を描き、仁を守る結界を形作る。それを維持するために閃光を伴う抜刀を無数に繰り返す荒業だった。
彗星色の突撃と、流星の連続斬撃による防御。
十秒ほどの競り合いだけで、仁の右腕が砕けそうに痛んでいく。既に骨のどこかがひび割れていそうな激痛が走っているが、相手を押し切るまで止めるわけにはいかない。
ぼんやりとした目が、白色光の向こうにいる相手とかっちり合った。
向こうにあるのは、未知への恐怖と、仁と同様の興奮だった。
「……、……っ。っぜああああああ!」
仁の方が吼えた。肺を潰しそうな大声は、相手の横隔膜にでも響いたのか。
ほとんど同時に互いの攻撃が中断された。
白い光が霧散して突撃の勢いを無くし、仁の肩がぎちりと嫌な軋み方をして動かなくなる。砕けたわけでもなさそう、と判断し左手だけで刀を構え直そうとした。
「凄いな、こんな人間がいるなんて」
向こうがそんな声を上げていたが、仁は肩の痛みに気を取られて、うまく返事ができないでいた。
「しかし、どうしてここに部外者が居るんだろう? ここは僕らのようなアドファクタしか入れないはずなのに」
「……アドファクタ? それが君らの名前なのか」
獣人、と単純に認識していたが、それは少し違うのかも、とぼんやり思った。
ファクタを追加する、だけでは意味が広いから。
肩を意識しつつ、呼吸を整える。それだけで痛みは少しずつ引いていく。
「人探しをしているんだ」
「こんな所に人なんて居ないでしょ」
「どう返せばいいのかわかんねえな、それ」
「つまり、ぼくを人間のうちに含んでいるんだ? 面白いね」
面白いと思う感性は、仁にはわからなかった。
「誰を探してるの? ぼくが知ってる人なら案内できるけど」
「上鴨逃水、音壊咲喜。知ってるかな?」
「……んー。二人とも別のフロアにいるかな。聞き覚えはあるけど、たぶんみんなは爺様って呼んでる」
渾名が爺様は昔話っぽくて面白かった。
「なんで爺様なんだ?」
「なんか世話好きらしいよ。穏やかで、なんか僕らのできないこともやってるし、奇術師みたいって、人気がある」
「…………、………。」
「どうしたの、怖い顔して。爺様のこと、気に入らない?」
「まあ、確かに気に入らないなあ」
少年は仁の台詞に、不思議そうに首を傾げる。
「いいや、文句は本人に言わなきゃ意味が無い。―――ええと」
名前を告げて、向こうにも訊く。
黒猫の少年は、「イリジウム33」と名乗った。
「それ、名前なのか? なんかコードネームっぽいけど」
「固有名持ってる君たちが羨ましいよ、外の人間はみんなそうなんでしょう?」
大体はね、と返した。
通称が元素名ってのが、なんか格好いいと思ってしまったら負けなのだろうか、そんな予感が脳裏をよぎる。
「……僕の他に人は見てなかった? はぐれちゃったみたいでさ」
「さあ。気付いたら君を見つけたってだけだから」
そうか、と言いつつ唸る。十織が付いているなら滅多なこともないだろうけど、全員バラバラにでもされていたら、それは危機的だろう。
糸識さんの物理的な戦えなさは知っている。
付け焼刃の弦術でどうにかなるような状況とも思えない。
「急がないと」
「白羽君、そっち逆方向」
腕を引っ張られる。手首周りの毛が柔らかかった。
仁にしてみれば、尻尾は実際に動かせるのかの方が気になるところではあるが。
今、考えることじゃないかと軽く頬を張った。
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