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ここから侵入するのか、と驚きはあった。
……結構な高所だし、用途不明の建物の屋上となれば、既に危険な場所だろう。
「仁くんは飛べるから大丈夫でしょ」
「それはそうだけど。あんま大っぴらに使いたくないんだよね」
今更じゃない? と言われてしまえば返す言葉はなく。いいから行こうと促した。
もはや最初の目的から離れすぎてるなあ、自分が何をしているのか分からなくなりそうになる不安定を払って、大きな空洞の縁を踏み切った。
自由落下も面倒くさいので、折を見て壁面を蹴って加速してみる。
視界にも感覚にも、着地点には二百メーター以上あるらしい。ビルはそれほど高くないから、地下の方が圧倒的に深い。
「あんまり急かないでもいいでしょ」
すぐ隣で十織が諫める。困ったような口調なのは、言行が一致していないからだろうか。
それとも。
「イラついてる? あの子たちは癖があるからかな」
「まあね。ただ、それ以上に僕に敵意が向いているのが気に入らないんだ」
「……、」
この状況を僕が呼んだようなもの、言われて否定しきれるものじゃない。
それでも。
「別にいいじゃない。君だって同じような場面になれば、同じことするでしょ」
言いつつ、右手で地面を指差す。
僕は脚を地面に向けて風顕を発生させ、十織を抱えて大きく減速した。
五メーターを切ったところで停止に近い速度になり、数秒かけて着地。
「やっぱり便利だね、風。魔術なんだっけ」
「うん。これしか使えないけど」
上を見て、少し遅れて着地してくる全員を予測し、場所を移動。
周りを見つつ、広場と言うには殺風景に過ぎると感想を持つ。
「緊急用の吹き抜けって感じだな」
降りてくるまでの壁面にいくつもの扉が、なにもないのに穿たれていることから、そう予測した。
行っている間に、青い球体に包まれた心たちが勢いよく着地した。柔軟な表面とかなり緩いゲル状の厚い層が衝撃を受けきっているらしい。
数メーターの球体は全く崩れることなく、しばらく震えてから元の液体に戻って心の持つペットボトルに戻っていった。
「体積とかどうなってんの、それ」
「秘密。……なんて言っても大体わかると思うのだけどね」
「便利なもんだな、本当」
お互い様、とあしらうように笑っていた。
……で。
「母さんと糸識さんも付いてきちゃって、随分と大人数になったな」
「おまえが潜入なんてするなら、私たちも乗るしかないんだよ、いくら何でも知らんと言い切るには無理がありすぎる」
どうせ表の街にいても拘束されるだけだろうから、と言われてみれば当たり前の話だった。どうせ一蓮托生、なんて投げやりな言いようだろうが。
そう言っている間に、心の仲間、隊員らしい一人が近くの扉を開けていた。解錠作業が得意と言っていたっけ。
彼は、晴空椎人と名乗っていたか。
「結構厚めのロックですねえ、デフォルトでこれなら自由に見て回るなんて無理でしょう」
「そっかー、いける所だけでいいよ」
全員で中に入り、扉を閉じると再び施錠された音が聞こえる。
オートロックは基本、と。
人が居るなら、室内は個人のパスを使って移動するのだろう、誰でも簡単に行き着く答えだ。
「そんなもんがあるわけないしなあ」
なら、と三人が同じことを同時に言った。
「見当たった職員引っぱたいて、少しだけ借りればいいんじゃない」(夏泊十織)
「そこらの奴から拝借すればいいだろうさ」(白羽海奈)
「誰かの持ってるパスキー抜けばいんじゃねーです?」(御堂筋仲子)
……。結構物騒なのが揃ってるな、自分の母親含めて。
「人気がないけど、それ以前に」
僕の五感の及ぶ範囲に、他の人間の気配を捉えられない。聴覚だけでも数十メーターは先まで観られるはずだが、その範囲に人が居ない。
しばらく歩きまわって人を探そうという話になった。
心の率いる小隊とは別行動にして、僕らの見知った面子で動くことにした。
やっぱり糸識さんと十織がにらみ合いのようになっている。
「こんな所でまで警戒しあうことないんじゃないか?」
「…………」
反応すらなかった。まあどうでもいいやと周囲に気を向ける。
薄いグレーを中心にした通路、こつこつと硬い足音が鳴るあたり、コンクリートのような素材だとはなんとなく感じる。
渡されたブレスレットがチカチカと光る。
晴空くんの持っているPCにマップ情報が蓄積されているらしい。
ならば可能な限り歩き回った方が良いのだろうけど。
「さーて、ここの部屋は何だろうな」
手近にあった随分と古臭いドアを、無造作に開く。なんだかトイレのドアに似ていて、そのノリでぱっと開くのは違っただろうかと、あとから思った。
「……倉庫かな。食料と言うより、飼料って感じの匂いだ」
部屋自体は対して大きくもなく、いくつか似たような部屋があるのだろうと感じた。
実験動物でも居るのかな? 後ろで十織が推測し、それも間違っていないだろうと思う。そもそも街中で獣に似た人類を認識している以上、どちらか、もしくはどちらもが居るだろうという判断だ。
「この辺りに動物の匂いはないからな。もっと下層に行く必要があるか」
「母さんも、この辺りは初めてだよな」
「もちろんだよ、少し恐ろしく、そんで」
まあまあ楽しい、と当たり前のように続ける辺り。なんだか子供だなあと感じてしまう。その考えが読まれたのか、人間なんざ何歳になったってこんなものだよ、とふて腐れた声音が返ってくる。
その隣で糸識さんは綾取りに集中している。なんでこんなところで、と思った。
「糸繰りの練習だよ」
あまり余裕がないのか、それでも僕の疑問を察して一言で返してきた。
糸繰り。母の扱う弦術の訓練をしているようだった。時間もないから付け焼刃で行こうと思ったのだろうか、せわしないな。
階段を下りる。横ばかり探っていても日が暮れそうだと判断して、可能な限り深く進もうと決めていた。「階層1226」、通常のフロア表記でないところが面倒臭い。
「侵入に対して反応が鈍いんじゃないか?」
「そうだよなあ、廊下も部屋も監視とかされてないみたいだし、ほとんど放置されてるようにしか見えねえよ」
「ただ、それでも襲われるところを見るに、この獣たちに任せていると思う方がわかりやすいんだろうね」
十織が八つ裂きにした大型の熊。人であればまともに向かい合うなんてできやしない、その猛獣を豆腐のように細切れにする手際には感心の方が勝ってしまった。
血の匂いに鼻を押さえ。
奥の方から聞こえる叫び声に意識が取られた。
群れになるわけでもなく、ただ徘徊している個体に行き遭っただけの様子。それでも血を流す戦闘で、別の獣を呼び寄せてしまったようだった。
人が居ない理由かもね、と糸識さんが珍しく韜晦のない様子で口にする。
巡回している警戒個体、拠点から一定の距離を歩き回って警戒しながら食餌を探しているなら、こういう風に行き遭うだろう。
病院のような白い廊下で、野生そのものの大型獣に行き当たるというのが、軽く笑える状況にも思えたが。
次に襲い掛かってきたイノシシの、突進を真正面から刀で薙いで細断した。
無数の風で細かく切り裂くのは、威力は絶大だがコントロールが難しい。ほんの二秒ほど間違えれば、僕の方が撥ね飛ばされていただろう。
飛び散る血液を拭いながら、それでも進んでいく。
「集団で一気に来ないことが救いってとこか」
「元よりバッティングして同士討ちを避けているんだろう、貴重な個体であることに変わりはないからな」
言いつつ、母は近くの部屋のドアを開けて内部を検めている。
どの部屋にも人が居ない、と言うよりほとんど放置されている様子の、荒れた内部を見れば。きっと表層も表層、もっと深く潜らなければ見たいものなんて見えやしない。
「もういいだろ、さっさと降りよう。気配が感じられるくらいで止まればいいよ」
「一回ずつ見て回るんじゃあ、それこそ百年あっても足りないもんね」
糸識さんが僕の台詞を読んで付けてくる。
何も間違っていなかったので、特に文句は言わなかった。
「その階段も、なんだか不穏な色合いになってきてるけどねえ? さっきまで病的に綺麗だったのに、端々に赤黒い汚れが目立つ」
十織が目ざとく、風景の変化を指摘する。
僕にしても気づいてはいたんだけれど、あまり触れていても仕方ないと切り捨てていた部分だ。
「気になるというなら、足跡だよ。獣のものとは思えない大きさと、模様」
よく見てみ、といくつかを順繰りに指していく。階段を下りながら見つけていけば、延々と見つかるような数と種類。
「スニーカーのような跡がいくつも行き来を繰り返してる」
「そう。猛獣の巡回だけでなく、やっぱり人も居るのかもしれない」
「その割に人の気配がなくて、妙な寂しさがあるよ」
それは同感だった。思った以上に、人の思考や意識は外に漏れ出していて、僕らはそれを気配と認識して安堵する要素にしていたのだろう。
「気配を探るってそういう意味かな」
「自分の中で納得すんのやめてくんね? なんにしても、あと十階層は潜らないと何もなさそうだ」
十織は雑にアタリを取ってぽんぽんと階段を下っていく。
あまりそれには賛同できなかったが、彼女を孤立させるのも違う気がしたので、見失わない程度に速足で背を追っていく。
階層2076。
十階層は、と言ったけれど。その表記法では実際どのくらい潜ったのかが判別できない。これを正しく読むには、地下施設の歴史を基礎的に知っておく必要があるのだろう。
とても面倒くさい。
「そして、とても生臭い」
ずっと遠くから獣の吠える声やら呼吸音、体温の密集する気配が五感で嫌というほど感じ取れる。
位置が動いていないようだった。
「病院のような場所だというのに、動物たちの牢獄とも言える施設を用意しているんだな」
「落ち着いてるな」
「まあ、驚くこってもねえし? 私からすれば、日本にいないような種を持ち込んで育成しているってなっても大して反応しない自信があるよ」
「法に触れるような動物とかいるわけ?」
「居るだろうな、動植物分けることなく、使えるもんなら何がなんでも手に入れる奴らだぞ? 閉鎖型で露見しにくいから、ある程度持っているようなものさ」
「軍が目をつけているのって」
「……そういうこった。協力関係とはいえ、譲りきれない部分はあるに決まっているさ」
どうしたって相容れないラインは存在している。
見せないことで安定を保っている関係性は、結局薄氷の上でしかないだろう。
「御柱(みはし)が持ち込んだのはただのゴシップみたいなもんなんだが。期せずして軍が心に要請した調査も近い部分にあったようだよ」
なんて母の台詞。それが終わると同時に僕の端末に着信がある。
こんな地下で電波が届くのか、と思ってみるとやっぱり圏外だ。
「ダイレクト通信だね。トランシーバーみたいに直接つないだんだ」
よく知っている、と言う風な糸識さんの言いよう。
「特別に付けてもらったんだよ、仁の端末は色々特殊仕様だからな」
「……。街のショップで買った気がするけど?」
「オプションにあっただろうに、それに開発には香炉木も関わっているからな」
父親の会社が一枚噛んでいる、と言うより試作機能を無理矢理乗せられた感じだろう。身内の強権使いまくりで、そういう点でうちの両親を尊敬しきれないんだよなあ……。
僕のために、と言うのがまあ隠せていないから、そこに強く苦言を呈することも難しい。不利にならないことなら、別にいいんだけどね……。
「こっちの方に実験用のデータがあるらしいってさ。探してくれとよ」
「動物たちのデータとかかな。そんなもの回収してどうするんだろうね」
人間にも関わることだし、それに……、
「どこから動物たちが来たのか、どんな種が居るのか。現存しない種が居る可能性だってある、なにも無駄なことなんてねえよ」
「絶滅種を匿っている可能性、ですか」
数千年存在している柳廉であれば、やっていない可能性の方が低いだろうと考える方が自然だろう。
だからさ、と誰もいないはずの方向から声が聞こえる。
視線は感じない。だが振り向いた。
「……、……。どこに」
その反応に十織が強く反応した。彼女は僕とは違い視覚と聴覚の方が鋭く、即座に逆方向を向いて索敵を始める。
それとは何も関係なく、僕たちの感覚をすり抜けるような曖昧さで、「あまり嗅ぎまわるのはよくないねえ」とまるで脳に直接語られたような声が響く。
少ししゃがれた声。
誰のものか、という判断はできなかった。聞き覚えがあるなら判断はできても、知らない相手なのは確実と言えるくらいの不明。
「……何だ、おまえか」
相手を探すようなこともなく、しかし母がそんな風に対応した。
「上鴨逃水。さすがに呪術師だからか、気取らせない伝達は得意のようだ」
「……この声が、上鴨逃水?」
なんだか、随分とのんびりしているような雰囲気だが。
それと同時に、遠くから聞こえる動物たちの鳴き声が激しくなる。
(彼らも住処を探られるのは好みではないようでね)
「んなもん、誰だって同じだろうさ」
(分かっていても、退く気が無いんだねえ。本当、君は昔から強情だ……君たちは、と言うべきかな、ここは)
………………、息を詰めて神経をとがらせる。
霊気を読むには修練が足りないと分かっているが、それでもやれるならやっておこうと思うが。
駄目か、範囲をどれだけ拡げても、僕のリーチ内に相手がいない。
大分離れた場所からこっちに呼びかけているみたいだ。
「とにかく、僕はあんたにも用があるんだ。このまま帰る選択肢はねえよ」
反応がない。既に向こうからのコンタクトが切れているのか、気配も何も感覚には残っていなかった。
真後ろ、遠くから抉るような双眸が僕の背を射抜いた。
殺気よりも色濃い殺意。それは狩猟のように感じ取れる。
「群れの肉食獣ってとこか、チームで狩りをするのは厄介だぞ」
母の言うことにはそうだろうと思うも、そこまで広くもない一本道の廊下、遮蔽物のほとんどない見通しのよさで、そのチームワークや戦術が活かせるとも思えなかった。
一人で充分、そう言いながら右腕に意識を集める。
思った通り、この空間は霊気の抑制がされていない。思いきり力を籠めれば、焦熱する意識と合わせてあかあかと焔が噴き上がる。
「焔牙炎浄―――」
見えている獣たちに向かって腕を突き出し、焔を全力で放出した。
広くもない廊下は数秒で真っ赤な炎に埋め尽くされ、その奥にいたよくわからない獣たちもあっさりと呑み込んでいく。
吠える声が炎に紛れて蒸発していく。
二十秒ほどかけて焔が消え去ったのちには、こちらを睨んでいた獣の姿は見当たらない。散り散りに逃げていったのだとすぐに判った。
内壁に熱の影響はなく、これではあまり威圧にならないのかも、とは思った。
プラズマ体とはいえ、実際の火と霊気の火では性質が違う。
不便だと思う方に揺れてしまった。
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