四節「アドファクト」

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 2 「あれー、知らん人いる」  なんて言われて、そりゃそういう反応になるかと思うも。やはり向こうとて異様に映る人物と言うだけのことだった。  一緒についてきた少年と同じように、猫の特徴を持った少女、年齢も僕らと大して変わらないように見える。 「知らん人だけど、知ってる人を探してるってさ。爺様たち、今どこに居る?」 「爺様? 三階層は下にいるよ、そんな匂いがする」  階層一つでも数メーターの階段を下っていったはずで、そんな遠い場所の人物を検知できるのは異常としか言いようがない。  それを聞いて、少年の方が嫌そうに息をついていた。 「靄のとこ通るのか、面倒だな」 「靄、って?」  行けば判るよ、と詳しくは教えてくれなかった。  手を振る白い猫の子に見送られて、薄暗い通路を進んでいく。 「ここって、具体的に何があるんだ? ここまで大きな施設が地下にあるなんて、って時点で驚いてるけど」 「んー? 何があるかは知らないよ。僕らはこの周辺を生活圏にしてるだけだもの」 「……居ついてるなら、むしろ知ってそうなものだけどな」 「そうかなあ」  自分で言っていても、実際どうだろうなとは思った。自分の住む街のことを、隅々まで知っているなんて人はそう多くないはずだ。  僕だって、陽山で寄りつかない区域にはどういう街になっているのか、よく知らない。 「そのうち皆、どっか行っちゃうしね」 「どっか?」 「うん。知らないうちに居なくなる」 「……地上で出くわす場合もあるけど」  抜け出しちゃうこともあるんだねえ、とそこまで驚いている様子はなかった。 「普段はそうそうないけどね。どうせ外に出たって生きていけないのに」 「……、それはなんか―――」 「別に同情して欲しいわけじゃないよ」 「―――どこにでもある話なんだなあ」  牽制されたけれど、構わず続けた。その反応に向こうも驚いたようだ。  そして、僕の表情をなんだか恐ろしいものを見るような眼で見ている。一体何だというのか。 「遠くを見てる眼だけど。何を思い出してた?」 「んー。修業時代、かな」  先生に連れられて、もしくは母に連れられて、とんでもなく危険な現場を目の当たりにしたことがある。  正確には遠征に出た先で不可思議な事件に巻き込まれてばかりだった、と言うべきか。  とかく異様な現象ばかり起こるものだから、仕組まれているんじゃないかと疑ったくらいだ。  状況さえ揃っていれば、おそらくはニアが出張ってくるような事件ばかりだった気がする。それでも一度も遇うことがなかったのも、妙と言えば妙だろうか。 「足元、危ないよ」  言われてぴたりと止まった。  フロアを行き来する階段、そのはずだったがそこは数メーターの吹き抜けだ。 「僕ら、跳んで移動するんだけど。君はいける?」 「……、僕は可能だけど」  母さんとか糸識さんにはきつそうだな、と考えていて、今は考えていても仕方ないと切り替える。  それよりも、なんだか下の床が見づらいのは暗さのせいだけではないだろう。  下の方に気体の何かが溜まっているように思える。 「何があるんだ、あれ」 「さあ。なんかあの辺、通るとひりつくんだよね」  有毒な気体でも撒かれてんのか? と不安になるけど。  しかし通らないと目的の相手には会えないわけで。跳び下りるしかない、と踏み切った。  風顕を落下しながら発動し、減速して衝撃を殺し着地。 「――――っ痛!」  何かと思えば、この気体「呪影」だ。  こんなものがなんでこんな場所にあるんだ、と不思議で仕方ない。霊気を持つ生命体に対して、必ずダメージを与える特殊な物質。  霊力を持たないニアであれば、ほとんど影響はないのだけど。  以前に街の呪術師が向かい合っていたのを思い出す。五人がかりでようやく小型犬の大きさのものを潰しきっていたはずだった。 「……ぐ」  全身から薄く焔を放出して身体を覆う、朱冴道の霊気でようやく相殺できるくらいの濃度は、そこらの人間にはやはり耐えきれないものだろう。  黒猫の少年も隣に着地し、しかしなんでもなさそうに立っている。  あまりに異常で、思わず凝視してしまっていた。  平然とはしていない、少し鬱陶しそうに呪影の刺激にむずかっている。  そういう耐性を持っているってことなんだろうけど、他生物の要素を組み込む意味ってのは―――あるのかもしれない。  呪影が人間だけに強く反応する可能性があるなら。 「早く行こうよ、死にそうな顔になってるよ」 「ああ、そうだな」  こんな場所でのんびりと考えている場合でない、思い直して先を行く背についていった。 ……  戻ってくるよねえ、と恋呼菜がへらへらした表情で零している。  口調の割に苛立ちが募っているらしく、声色に低音が混じっているのだが。 「本当に面倒だ、迷路でもないのにな」  海奈は気付かない、十織は雰囲気で察しているがいちいち言及しない。  仁がいる場所とよく似た、薄暗い雰囲気の通路。特徴のない壁面が延々続くから、マッピングができないでいる。  海奈は自分の持っているメモ帳にいろいろ書きつけているが、そのメモと距離感が一致しない様子だ。 「条坊と同じ造り、だというのに進んだセクションがまるで噛み合わない」 「どこかで違う場所に這入り込んでるとか、ありませんか」 「……それを言ってしまえば、もはや対処不能と突きつけられたようなもんだしな」  恋呼菜はそれに対して曖昧に笑う。 (仁君以上に負けず嫌いだよねえ……変なところばかりよく似ているというか)  それよりも、と恋呼菜の視線が後ろを向く。  抵抗は不思議と無くて、生臭い血の海が広がる光景をじっくりと観察する。  数人の獣の要素を含んだ、人型の生物。有無を言わさず襲い掛かってきた彼らに対し、十織が簡単に切り刻んて打ち棄てていた。 (豆腐でも切るみたいに、だものね)  右手の袖に飛んだ血痕は、もう落ちそうにない。  その血を飛ばした当人は、全く澄ましたもので。  人を殺した感覚を持ってはいなさそうだった。  殺人鬼、と仁は言っていたっけ? 言っていなかったような。  本人が名乗っていたのか、なんだか記憶が曖昧だ。 「うーん、結局迷うんだったら、なんにも気にせず突き進んでみません?」 「―――おまえがそんな知性を捨てた発言をするのは、珍しいな」 「あれ、私のこと知的だと思ってるんですね」 「痴的でもあるかな」 「仁君と同じ返答をしてきますね、ほんと腹立たしいんですけど」  親子だから仕方あるまい、と開き直りのように返ってきて。そのまま歩調が早まった。  恋呼菜はその様子を見て「それでいいんだって思ってんでしょ?」真後ろから十織が囁いて、少し驚いたが態度には出ない。  内心を読まれたのは初めてで、その不気味さに背筋がじくりと固まる感覚が走った。 「狡いね、それが君の常套手段なんだろうけど」 「……この方がやりやすいもの。手段なんてそういうものでしょ」  扱い慣れた手札、というものがいくつかあるわけで。実際、選べるほどに数があるわけじゃない。  人を軽い言葉で唆すのが、糸識恋呼菜の得意な手段。  じゃあ、それはどれだけの他者が模倣できるのだろうか、そう考えて。 「諦めてるよ」 「……」  理解しがたそうな表情に、恋呼菜はそれすらも諦めているように肩をすくめる。  どうだっていい、結局はその程度の話でしかないのだから。  どこかの小説の主人公のように、小さく何かを呟いた。  そんな矢先、ついさっきも聞いた歪んだ和音。ギターの弦を無茶苦茶に張って倒したような割れた音声(おんじょう)に心地よさなどなく、何事かと注意を向けざるを得ない。 「みゃあああああああああ」 「…………なーんか、少し前にも同じような悲鳴を聞いたよ」 「そうなんだ? 君の周りって変なことが起こるのかな」  確実に白羽仁の所為だよ、とは言わなかった。そんなものは単なる陰口でしかないから、そういうもんなんでしょと言うに留める。  海奈がストリングスを使って逆さ吊りにしている相手。  どうやら簡単に捉えられるようなレベルの獣らしい。
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