第三章

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「さて、と… 」 朝食も食べ終え、支度も終えた東城さんが出掛ける為に玄関に向かった。 いつ見ても格好が良い。スーツが似合い過ぎているし、上着の下襟をスッと引き気を引き締めている。 「じゃあ、行ってくる」 おいで、という様に手を差し出し僕を引き寄せるとキスをする。 舌を絡ませ長い… 。 仕事に遅れますよ、と思う。 堪らずに僕が唇を離し、 「遅れますよ」 声に出した。 「ああ… 今夜も、楽しみにしてる」 昨夜の様な事を今夜もするのかな、そう思っただけで股間が疼いた。 「いっ、行ってらっしゃい… 」 「うん」 その後は、何も未練が無さそうに玄関を出て行く東城さんの背中を見送る。 そうだ、東城さんは凡人じゃない、仕事となれば気持ちなんか忽ち切り替える。昨夜の事を思って後ろ髪が引かれている自分が恥ずかしかった。 朝食の後片付けをしている時に僕のスマホに着信、ばあちゃんからで焦る。 ばあちゃんに昨夜の事が知られる訳がないのに、酷く落ち着かなかった。 「ばっちゃ、どうすたの」 「お盆は帰ってくるのが?」 「うん、今年は帰ろうど思う」 「そうが、美世(みよ)ぢゃんにぎがぃでね」 美世ちゃん。僕の幼馴染で、淡い恋心を抱いていた。 「電話代かがるはんで、電話がげ直すよ」 「そうが、どうもね」 一旦電話を切った。お盆には帰って来るのかと美世ちゃんが訊いているという。 特に美世ちゃんと何かあった訳ではない。幼馴染、小学校も中学校も、高校も一緒だった。東京に出る時、美世ちゃんが涙ぐんでいたのを思い出した。 でも、昨夜の東城さんとの事もあって勝手に気まずくなる。 「もすもす、ばっちゃ?」 「美世ぢゃんが、茉紘帰って来るの楽すみにすてら」 「… んだんず?」 そうなの? と、楽しみにしていると言う美世ちゃんへの返事になる。 「帰る日決まったっきゃ連絡すて」 嬉しそうなばあちゃんの声に胸がズキリと痛む。 「分がった」 ひと言だけ答えて電話を切った。 酷く胸が痛んだ。 東城さんとの事が後ろめたい。 「茉紘さん?」 「はいっ!?」 来栖川さんの声に振り向く。 「専務からお言付けです。今夜はこちらに来ないので先に休む様に、との事です」 日中に来栖川さんがわざわざマンションに来て言う。そんな事、メールでもしてくれれば良いのにと、ばあちゃんの電話の事もあって何だか落ち込んだ。 『今夜も楽しみにしてる』って言ってたのに… 。 「はい」 ひと言だけ応えて、リビングのソファーに座り込んだ。 そんな僕を覗き込んで微笑む来栖川さんと目が合って、咄嗟に逸らす。 昨夜の事は分かっているのだろう、そう思うと、どんな顔をすれば良いのか分からなかった。
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