第一章

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「本当に美味しかったし、楽しかった。有難う」 東城さんがスーツの上着を羽織って、玄関で靴を履き終えると、もう一度名刺を差し出した。 「俺、怪しいモンじゃないから、安心して」 そんな事を言われなくても、東城さんの事はもう怪しく思っていない。 今度は素直に名刺を受け取り、「ご馳走様」と言う東城さんを見送った。 楽しかった。久し振りに楽しい夕食だったと胸が弾んだ。今日初めて会った人なのに僕も変だな、とクスリとひとり笑った。 片付けついでに、貰った名刺に目を遣って仰天する。 【 まるとうフーズ 専務取締役 東城瑛大 】 えっ!? “まるとうフーズ” は僕が勤めている工場の会社で、しかも専務取締役って… 東城さんは二十三歳って言ってたよな、そんな若さで専務って… 。 「!!」 会社の社長の名前は“東城”だと思い出した。 そんな人がどうして僕の部屋に… “まるとうフーズ” と言えば誰もが知っている食品会社で、ここに就職が決まった時には、ばあちゃんが村中に自慢して歩いていたのを思い出す。 沢山、失礼な事をしてしまった。工場をクビになったらどうしようと不安になり、その夜は眠れなかった。 ✴︎✴︎ 「え?その人ゲイだろ」 東城さんの名前は勿論伏せて、昨日の出来事を話した。 『俺と付き合うと楽しいよ』 そう言っていたのを思い出し、同期入社で同じ高卒、地方出身の寺田君に会社の社員食堂で昼食を食べながら話しをした。ちなみに寺田くんは北関東の出身で、僕の田舎より東京に断然近いから少し都会人ぶる。 ゲイ?僕を好きになったの?この会社の専務が? 「茉紘、お前もそうなの?」 「ち、違うよっ!」 慌てて否定した。 僕は女の子が好きだ。可愛い、素朴な女の子が… 田舎の美世(みよ)ちゃんを思い出して少しニヤけた。 「でもまぁ、お前ってゲイに好かれそうだよな、よく見ると綺麗つか可愛い顔してるし」 「何でそんな事が分かるの!?」 ゲイに好かれそうと言われて、そんな事を初めて言われて驚いたし、ゲイに好かれそうって何?と思って食いついて訊き返した。 「まぁさ、しねぇけど、しねぇけどな、お前は何だか可愛がってやりたくなるってか、ちょっかい出したくなるみたいな?そんな顔と雰囲気出てるから」 寺田君は答えてくれたけれど、さっぱり分からなかった。 可愛がりたいって?ちょっかい出したいって?どうやって? そう言われて、中学の時に男の先輩からキスをされそうになったのを思い出す。 え?  あれって… そういう事だったの? 「俺、先に行くぞ」 考え込んでいる僕にそう言って、食べ終わった寺田君はトレイを持って席を立った。 「ねぇっ!聞こえちゃったんだけどさ!」 小声で周りを見ながら、パートの杉山さんが、食べかけの昼食のトレイを持って僕の隣りに座った。 「何?茉紘くん、男の人に好かれちゃったの!?」 小声だけれど内容がハード過ぎて、僕は目が泳いで思わず杉山さんに人差し指を立てて口に当て、「しーっ!」と、肯定する動作をしてしまった。 「茉紘くん、可愛いもん… 」 杉山さんが頷きながら、食べかけの昼食に箸を入れた。 「で、誰?その人」 おばさんは容赦ない、遠慮がない、忖度がない、核心を突いてくる。 「あ、いや、杉山さんの知らない人ですよ」 そう言って手を横に振って笑った。 僕は仕事場の人達が好きだった。家では部屋で寂しく一人だけれど、工場に来ると結構、いや、かなり、そんな杉山さんや寺田君なんかに囲まれて、そこそこ楽しく過ごしている。
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