第一章

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それから東城さんは、しばしばボロアパートに現れては僕の節約丼を美味しそうに食べて帰るようになる。 豆腐丼、きつね丼、納豆とオクラのネバネバ丼、白菜とかまぼこのあんかけ丼、全部丼もので自分で可笑しく思う。 「茉紘は料理の天才だなっ!」 安くお腹いっぱいに食べたいだけなのにそう言われて、ちょっと得意になって、照れて微笑んだ。 「おばあちゃんはとても元気な方なんだね」 ばあちゃんの話しをよくするからか、東城さんが優しく微笑んで僕に言った。 「はいっ、僕が小学校三年生の時には、ばあちゃんと二人で暮らす事になったので、僕を育てるのに、辛いとか苦しいとか言ってる暇は無かったって、今も笑って話します。お陰で若くいられたって、茉紘のお陰だって言われて、何と言うか… 負い目を感じずにいられました」 「そうだね。だから茉紘はこんなに真っ直ぐに育ったんだね」 そんな風に言われて、僕は頬を少し赤らめた。ばあちゃんが褒められたみたいで嬉しい。 「青森の何処?」 「津軽の小さな村です。山の中で交通の便が悪くて… 東京に来て、車とか電車とか、本当に腰が抜けるほど驚きました」 東京に慣れてきたような僕が笑って言うと、東城さんもにこにこと嬉しそうに笑ってくれる。 「普段話す言葉は、地方出身って分からないね」 「本当だがっ!?… あっ… 」 訛ってないと言われて嬉しくて、故郷の言葉が出てしまい顔を赤らめた。 「本当に、食べちゃいたい位に可愛いな、茉紘は」 「や、やめてください… 」 そんな話しをしながら、東城さんと食べる夕飯は、美味しかったし楽しかった。 初めて会った時に比べて東城さんの印象が全然違う。最初はなんて勝手で強引な人なんだと怪訝に思っていたけど、 「何でもね、最初が肝心だよ。遠慮してたらうまく行くものもうまくいかない。相手の懐に入り込まないと」 そう言って、スーパーで会ったあの日や部屋の前で待って強引に入って来た日の言い訳をするように笑った。 「それは仕事の世界の話しなんじゃ無いですか?」 僕も笑って言うと、「そう言うなよ」と照れ隠しをする東城さんと過ごす時間が段々と特別になってきていた様に思う。 テーブルの下に敷くラグも、新しいのに買い替えた。 「おっ!新しいの、買ったの?」 そう言われて、東城さんの為に買い替えたのがバレてしまうのではと酷く恥ずかしくて 「たくさんお醤油をこぼしてしまって… 」 と誤魔化した。 ✴︎✴︎ 「茉紘、工場の近くに越して来ないか?」 突然に東城さんが言った言葉を怪訝に思う。 「引っ越すお金なんて無いし、というか、僕、ここで充分です… 」 少し機嫌悪そうに答えると、東城さんは焦った様に話し出した。 「ああ、ここも勿論いいよ、俺もとても居心地が良い。仕事行くのに近い方がいいだろう? … 費用は、心配しないで… 」 どういう意味? 確かにここから工場までは、案外面倒で時間は掛かった。近くなるのは有難いけれど、そんな申し出を受ける訳にはいかない、何も言わずに東城さんを見つめた。 「出来れば、俺も泊まっていける所に越してくれると嬉しいんだ」 泊まっていける? 僕の眉毛がひん曲がった。 「ああ!ああ、そういう意味じゃない。少しでも長く茉紘といられたら、と思うんだ」 両手を顔の前で横に振ると、様子を伺う様に僕に言う。本当に僕をそんな対象で見ているのかと思うと、応えられないから申し訳ない。 … にしたって、何で僕なんかを、と何度も思った。 「茉紘の顔を見ながら食べるご飯は、世界中のどんな御馳走よりも美味しい」 そう言って嬉しそうに笑っていた東城さんが、ここ暫く来なくなっていた。 言ったって専務だし色々と忙しいんだろうと思うが、どこか心寂しい。 カタン、と玄関から音がして、東城さんかと思って走り寄ったけど、ただの風で軽く溜息を吐いた。
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