満州事変 五・一五事件 連盟脱退

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満州事変 五・一五事件 連盟脱退

みなさんは近衛文麿をご存知でしょうか。 あまり知らない人も多いのではないのでしょうか。 彼は、日中戦争が始まった時の内閣総理大臣だったのです。 この人が日本を戦争のレールに乗せて、動かし始めたと言っても過言ではありません。 ところで、このレールを作った出来事は知っていますか。 柳条湖事件だ。 いわゆる「満州事変」というやつだ。 満州事変は知っている人も多いだろう。 1931年 中国の柳条湖という場所の鉄道が爆破される。(柳条湖事件) 1932年に、中国の満州を独立させ、満州国を作った。満州の人のためというが、そんな訳がない。 なぜなら、これは、満州の豊富な地下資材をたくさんとるという世界恐慌の乗り越え方だったから。 世界恐慌とは、アメリカのニューヨークから始まった世界規模の不景気である。 同年32年 5月15日事件が起こった。 青年将校らが、朝、内閣総理大臣犬養毅の家に入り、殺害した。 これにより、政党政治は途絶え、軍部の発言が強くなっていく。 その頃、どうして柳条湖で事件が起きたのか、満州国の人は日本をどう思っているのかを調べる国際連盟が派遣したリットン調査団が満州にいた。結果は、柳条湖事件は日本の仕業で、満州国は日本が利用するために作った。という結論が出た。国際連盟では武力制裁(武力を行使すること)を禁止していた。 国際連盟での会議が起きた。日本の外務大臣松岡洋右は、2時間異国語を話し、満州事変は、自主的に独立した国と話すが、話をわかってもらえなかった。 結果は、42対1(日本)これによって連盟から善処されるはずだった。 しかし、松岡は椅子を蹴り倒して行った。これにより国際連盟脱退。つまり、国際社会から、日本は孤立した。 戦争が、近い。 どうですか?少し難しい知識かもしれませんが、松岡洋右くらいなら問題で出てもおかしくないのではないでしょうか。 それでは!ばいばい!
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