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早い時間に一見さんがパタパタと二組入った。貴広はホッと胸を撫でおろした。
常連さんしか来ない店に未来はない。どんな業種だってそれは変わらない。常連さんたちに支えてもらっている間に、いろんな客層を呼び込めるようにならなければ。この辺は商社員としてさまざまな業種の取引先と組んでマーケティングを繰り返した貴広の経歴が役に立つところ……なのだが。
大手商社でのマーケティングは多額の予算を投入して、それまでなかった「市場を作る」ところから行うことが多かったし、そもそも実際のアクションは外注に出してしまうしで、こういう街のスモールビジネスに役立つノウハウの蓄積はなかった。
その代わり初めから終わりまでの工程を、良平とふたりで考え、やってみて効果を判定し、次の手を考える、このスケール感はかなり楽しい。
(きっと、大企業向きじゃなかったんだ)
貴広は今、自分のことをそう思う。
オムライスもなかなか完成しないし、客単価を上げるための必殺メニューを別に開発しないとダメかもしれない。
コーヒーに簡単にくっつけられるデザート系のフードメニューか。オムライスより調理の簡単な食事系か。酒井さんのカスガ・フーヅに頼めば、業務用のソースや調味料類、冷凍惣菜などを紹介してもらえる。
利幅を考えると、今はそういうものに頼りたくないが、自分のキャパを考えるとやむを得ないかも。
客が少ないと、手空きの時間にいろいろ思い悩んでしまう。貴広はごいんきょのバカ話につき合って、思いを頭から振り払った。
サヤカは店の隅で本棚を漁っている。心配しなくても、そんなところに台本なんて飾ってないのに。
酒井さんと言えば。
昨日の空き物件。
もう二度と、こんな好条件は出てこないだろう。
その物件で営業すれば、ショッピングモールの周りのマンション住民と、自家用車で移動するひとたちが顧客だ。モールに買いものに来るひとの何%かが立ち寄ってくれるだけで、今の何倍もの客数になるだろう。
そして、今の常連さんたちは、ごいんきょの七十代を筆頭に、五十代がメイン(多分)だが、そこへ引っ越せば客層は若返るし、メニューを工夫すれば親子連れだって呼び込める。
駅前ではあっても、中心部へ出勤するひとたちのベッドタウンで、昼間の人口は案外少ない今の立地より、集客しやすいに違いない。
だが。
貴広は思うのだ。
祖父の代から「喫茶トラジャ」に通ってくれている、栗田さん、菅原さん、ごいんきょなどは、そうそう来られないだろう。少なくとも、仕事の合間に足繁く顔を出してくれたりはできない。
貴広がこの店を継ぐ決心をしたのは、そのとき商社マン人生に行き詰まっていたこと、こじんまりした店舗兼住宅が案外気に入ったことだけではない。
出張先で祖父の訃報を受け取り、取るものも取りあえず、そのまま札幌入りした二年前。
タクシーに住所を告げて葬儀場にたどり着くと、こじんまりした斎場にはごいんきょと菅原さんがいてくれた。通夜だ、告別式だと、慌ただしい式の段取りを手伝ってくれた。
常連さんたちは「あのマスターのお孫さんが、立派になって」と温かく迎えてくれた。通夜の席で、彼らは祖父の、そして祖母の思い出話をしてくれた。
父の和広が語った分量をはるかに上回るエピソードの数々。生きて、笑って、しゃべって歌って、コーヒーを淹れて暮らした、老夫婦がそこにいた。
片づけをするために、貴広はその後も有休を使ってたびたび札幌を訪れた。
店に貴広の気配がすると、おいしいコーヒーはもう出ないのに、通りすがりの誰かが代わる代わる店をのぞいていってくれた。ごいんきょが来ているタイミングで栗田さんが顔を出し、ほかの常連さんがやってきて……。
利害関係のない、ただ世間話をするだけのひとの輪がそこにあった。常連さんたちひとりひとりは、店を出たら仕事に家事に追われる普通の人間だろう(ごいんきょを除いては)。
だが、ここにいる間は、雑事を切り離して、ほっとラクな呼吸ができる。エアポケットのように。
昼メシのおかずになるような惣菜を差しいれられたり、近くのうまい餅屋の大福を誰かが持ってきたり。貴広も、札幌へ飛ぶたびに、ちょっとした土産の菓子を買うようになっていた。それを、立ち寄ってくれる誰かにふるまうことが、案外楽しくなってきて。
古い昭和のコミュニティだ。これからの世の中、なくなっていくことはあっても、再生することはないかもしれない。縮小していくだけのひとの輪に頼っても、商売は正直難しいだろう。
だが貴広にとって、もっとも嬉しかったのは。
いつか貴広は良平に語って聞かせた。良平のあちこちに跳ねた髪をなでながら。
(俺が一番嬉しかったのはね)
(うん)
(誰も俺に、「ご結婚は?」とか「彼女はいるの?」とか訊かなかったんだよ)
(うん?)
(俺はそれが、本当に居心地よかった)
(……そっか……。貴広さん、いっぱい苦労したんだね……)
コミュニティを形成するとき。誰かと何かをともにするとき。
この社会では、相手のことをカテゴライズするために、そうした人柄やスキルに関係ない、属性を知りたがる。そうして、属性によって相手を決まった箱に入れてしまって、それからようやく安心して関係を築くのだ。
そこには、個人は存在しない。
カテゴリーとカテゴリーとの力関係があるだけだ。
社内の人間関係、取引先との会話。古くは学校でも、ほんの短いバイト先でも。
決まった箱に押しこめられる窮屈さを、多分貴広は誰より苦しく感じていた。
自分が押しこめられる箱は、そこに貼られたラベルは、貴広の世渡りを、この上なく不自由にしたに違いないから。
のらりくらりとかわしながら、貴広は別の箱、別のラベルを貼られるようにふるまってきた。それが。
ここでは誰も貴広を箱に入れようとしなかった。
「虎之介さんのお孫さん」であるだけでいられた。
三十男がいつまでも独りでいても、こまごま詮索されないこの緩さが最高に居心地よかった。
いつかまた。
自分のように、箱に押しこめられる窮屈さに息ができなくなって、新鮮な空気を求めてやってくるひとがいたら。
そんなひとが詮索されずに緩く集える場があれば。
そんな場の管理人でいるのもいいものだ。
少なくとも、自分が商社マンだったとき、こんな店が近くにあったら、箱を出て、新鮮な空気を吸える場所があれば、会社を辞めずに済んだかもしれないから。
多分、祖父の人柄のおかげであろうこの店は、いつの間にか貴広の大事な居場所となっていた。
だから、正直、サヤカのようなノイズは歓迎できない。
どうしたものか。
貴広は今日何度目かのため息をついた。
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