十三、五月十四日木曜日 十三時

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 この彼女がどこの誰で、何の目的でこんなことしたのかが判明しないと、気になって仕事に戻れないと酒井さんが訴えた。ごいんきょも貴広もその言葉に大きくうなずいた。 「わたしが『将来のためにチャンスをつかみたい』って言ったら、順くんが『絶対成功する訳ないんだから、止めろ』って反対するんです」  沙耶香は下を向いたままそう言った。 「『チャンス』って?」  貴広は訊いた。 「オーディションです。映画の。書類選考を通って、これからオーディションがあるんです。それを受けてみたいのに、順くんたら……」  順也は沙耶香の方を向き直って言った。 「だって! 通る訳ないだろ。ひとつの役に、何人が応募したんだって?」 「書類選考を通ったのは、大体二〇人くらいだって……。二五〇人中の二〇人に残れたんだよ」  沙耶香はまた目を伏せて、小さな声でそう言った。  ここ三日間の、自分の可愛らしさを知り抜いて傍若無人に振る舞っていたサヤカとは、まったくの別人がそこにいた。 「それに、順くん、ひどいこと言ったじゃない」 「ひどいことって何だよ」 「『お前なんて地味だから、芸能界で通用する訳ない』って」  沙耶香は唇を噛んだ。 「それはそうかもしれないけど……。やってみてダメだったら諦めもつくけど、やってもみないで『止めろ』って言われても納得できないもん。わたし、何年も経ってから後悔したりするの、嫌なの。だから、チャレンジだけでも、してみたいの。何度もそう言ってるのに……」 「うーん」  貴広は腕を組んだ。 「あなたたちのケンカの経緯は大体分かりました。順くんに反対されて、沙耶香さんは釧路を飛び出してきたんだね?」  貴広にそう言われ、沙耶香はこくんとうなずいた。 「じゃあ、飛び出してきた君は、どうして『喫茶トラジャ』に来たの? どうして僕の祖父のことを知ってたの?」 「それは……」  言いよどんだサヤカの後を、順也が引き継いだ。 「父さんがいつも話してた、『喫茶トラジャ』の話。いつだか俺、沙耶香にも話したんです。旅回りの役者だったマスターと、看板女優のママさんがやってる、札幌の小さな喫茶店だって。常連さんたちに囲まれて、ママさんもマスターも死んじゃったけど、お孫さんがお店を継いでるって」  センセエの息子の順也くんは、ここから東へ三百㎞ほど離れた釧路で、教員養成の大学に通っているのだそうだ。  同じ大学に通う恋人の沙耶香がケンカのあといなくなり、あちこち探したがどうしても見つからず、最後に自分が以前「喫茶トラジャ」の話をしたことを思い出してここへ来た。 「まさか沙耶香ちゃんが、ここに来ているなんて……。道理でどこ探しても見つからないはずだよ」  沙耶香は順也が迎えにくるのを待っていたのだ。  彼がいつやってくるか、いつこの店のことに思い至るか、気が気でなかったに違いない。そのための時間稼ぎのために、ありもしない遺産をでっちあげ、ないはずの「台本」を探していたのだ。  今、順也の隣で身を縮こめている沙耶香は、どちらかというと物静かで、顔立ちはキレイなのに線が細くて……「サヤカ」とはむしろ真逆なタイプに見える。
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