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 解放されたのは一年後のことで、蝦夷地での戦いも完全に終わった頃であった。同時に解放された三兄弟の前に示された選択肢は二つあって、会津藩主松平容保の息子、容大を藩主に据えた斗南藩に参加すること。もう一つは武士としての身分を捨てることであった。  一にも二もなく斗南藩に参加した兄たちを、恭造は冷めた目で見ていた。下北半島に土地を与えられたことで会津松平家の再興に望みをつなぐことができたが、広大なばかりで会津よりも厳しいという環境下でそれを成し遂げるのはあまりに分が悪いと思われた。大目標が叶ったとしても、そのために少なくない犠牲を払わされるのも割に合わないと感じたし、解放されたことを言祝ぐでもなく、次の仕事を淡々と言い渡した藩に、藩士たちの暮らしを保障する力があるとも思えなかった。
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