初恋のかけら

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大学の門を走り抜け、一号館に駆け込む。勢いをそのままに講義室の重たいドアを押し開けて、目の前に広がった大きな教室の後ろの座席を見上げた。 教壇の位置から雛壇状にせりあがった先の最後列の座席は、早くも学生たちで埋まってる。後ろの席が埋まっちゃう。私は最後尾を目指して再び駆け足になる。 これから始まる講義では、前列の学生が指されて発言を求められるから、なんとか後ろの座席を確保したい。 私は講義室の端の、階段状の通路を一段飛ばしで階段を登り、わずかに空いた最後列の空席を目指した。 その時、室内のてっぺんを見据えた私の視界に、軽快に跳ねる小さな白い塊が飛び込んだ。消しゴムが、目の前の段をころころと転がり落ちてくる。 手を伸ばしてみると消しゴムはタイミングよく私の掌に飛び込むように収まった。握ったその手を開き、私は息を飲んだ。 角の無くなった台形型の消しゴムには、サインペンで、トオノ、と大きくかかれていた。 ――遠野くん 見上げると、後ろから三列目、一番端っこの通路側の座席に座っている男の子が私を見ていた。 さらさらの長めの前髪の下からのぞくまっすぐな瞳、通った鼻筋。涼やかな目元とは裏腹のあどけない口もと。 間違いなく、遠野くんだ。 私は息を切らしたまま歩調を緩めた。 すぐさま彼との距離を縮めることができなくて、跳ねる自分の心臓をなだめながら、ゆっくりと段を上がった。 消しゴムを差し出したとき、胸が爆発しそうにどきどきした。言葉が出ない代わりに、精一杯、満面の笑みを遠野くんに向けた。 遠野くんは軽く頭を下げる仕草をして、消しゴムを私の手の平から取った。すぐにうつむき、大学ノートのページ半分近くまでかかれた文字を勢い良く消し始める。 私を覚えてないの?呆然として足が動かなくなってしまって、しばらく遠野くんの横に立ち尽くしていると、彼ははっと顔を上げ、何か?と訪ねるような顔をした。 完全に忘れられている。そうと分かって涙がにじんだ。こんなにも思い続けてきたのに、彼は顔を見ても気づいてもくれないなんて。 仕方なく首を横に降って微笑んでから、最後尾に唯一空いた座席を目指して身体をよじりながら進んだ。 席に陣取り、斜め後ろから遠野くんを眺める。彼は必死にノートになにかを書いては消し、書いては消しを繰り返している。 まるで、消すために書いているみたいで、その姿を見ていた私はなぜだか泣きたくなった。 元気で明るくて、優しかった遠野くん。 今はまるで目の前に幕がかかったような目をしていた。何も見ないように、感じないようにしているような、そんな暗い目だった。
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