第21章 はじめての

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「誇張とかじゃない、実際に文字通りの意味だよ。保育園一緒だったでしょう僕たち。覚えてないの?…って言いたいけど。まあ、羽有ちゃんがあの頃のこと記憶にないのはわかってるよ。でも、僕の方は。しっかり覚えてるから」 …保育園時代? それは、頑張って思い出そうとしても。…無理かも。 わたしたちは今どこに向かおうとしてるのか。とにかく喋るために歩いてる、としか言いようのないきっぱりした足取りで歩みを進めながら、奥山くんは言葉の先を継いだ。 「僕は小さい頃、ほんとに周りの誰よりめちゃくちゃ弱くてさ。身体も小さかったけどそれより何より性格が弱くて…。保育園のみんなよりたくさん習い事は通ってて、いろんなこと身につけてはいたけど。そんなの小さい子同士は関係ないよね」 少し遠い声になって、わたしを曲がり角でエスコートするように促す。 「口の立つ子は当時でももうすごくて、強気でがんがんまくし立てられて結構苛められてたんだ。みんなで囲まれて囃されるともう、何にも言葉も出てこなくて。言い返せなくて一方的に責められっ放しで」 …なんか急に昔語りが始まった。 でも、同じ保育園に通ってた時代の話だし。おそらくそのうちわたし自身に関係あるエピソードに繋がっていくんだろう。と大人しく黙って先を待つことにする。 「こんな風に言いたい放題にからかわれるのも僕がちゃんと言い返せないからだ。考えたことをはっきり口にできないと何も抵抗できないんだな、このままじゃどうしようもない。と思いはしたけどいざとなるといつも頭が真っ白になっちゃって…。結局一方的に言われるばっかり。後になると言いたかったことはいくらでも思いつくのに、ってすごく毎日歯痒い気持ちでいたんだ。その頃、君の存在に気がついた」 …わたし? 「全然当時の記憶がないから。…何かした?奥山くんに」 まさか意地悪する方に回ってた、とかあるまいな。正直いくら自我の曖昧なニ、三歳の頃とは言え、わたしはわたしだし。小さな頃でもそこまで自分が他人に強い興味を持つような気がしないんだが…。 ありがたいことに彼は落ち着き払ってその疑念を否定してくれた。 「君が僕に何かしたことなんてないよ。っていうか、僕の存在に気がついてもいなかったんじゃないかな。ただ一方的に僕の方が君を見てた。…僕をいつもからかってたやつが君にも目をつけて、ある日絡んでいったんだ」 ふぅん。本人はそう言われても、全然覚えてないけど。 彼はまるで行き先に確固としたイメージがあるみたいな勢いで、わたしを促してさくさくと歩いてゆく。 「君はとにかく無口で、普段から誰とも喋ってる様子もなかったし。その上女の子だから大人しいに決まってる、与し易いと思ったんじゃないかな。三人くらい、クラスでもやんちゃな男の子たちが園庭で君を囲んだんだ。僕は矛先がよそに向いてほっとしたような、あの子が可哀想だなって同情するような気持ちでそれを離れたところから見てた」 不意にその声が柔らかく、思い出を懐かしむような響きを帯びる。 「次の瞬間、そいつは吹っ飛んでぼとんと尻餅をついてたよ。別に怪我した様子でもなかったけど。びっくりしたのか、大きな声で盛大に泣き出した」 …あーあ。 「なるほど。…そうなるかもな。当時のわたしなら」 考えてみたら奥山くんとの馴れ初め(わたし主観の)からそうだったもんな。親から聞いた話だけどとにかくわたしは言葉が遅くて、家の中ではまだ何とか最低限の意思の伝達くらいは可能だったらしいけど。 大人相手ならまだいいが、こっちの意を汲もうなんて気さらさらない同年代の子どもとは全然やり取りにならず。嫌なことされたりからかわれたりすると口を開くよりも早く即、手が出て相手の子をぶっ飛ばしてしまっていたそうだ。 園からも懇々と注意されるし何とか家で躾けてください、と毎回怒られるけどあんたはまるで聞き入れないから。あの頃はちょっとした地獄だったわー、と何度か母から愚痴られたなぁ。そんな、本人の記憶もないし今さらどうしようもない過ぎたことの話されても。そりゃ大変だったね、申し訳ない。としか言いようがないんだよね。 「保育園時代の記憶はさすがにもうないけど。小学校低学年頃でもまだそんな感じだったから、当時のことは割と思い出せるな。親から小言も言われてたし言葉には言葉で返せ、って理屈は頭ではわかってるんだけど。とにかく言語能力の発達がだいぶ同年齢の子より遅れてたんだろうね。咄嗟に何返すべきか思い浮かばないんだよ」 今ではすっかり口の減らないやつになった。尤も普段は思い浮かんだ返しをいちいち口に出すことは稀で、脳内で呟くだけで済ませているが。その気になれば多分相当ディスり合いでリードを取れるとは思う。 「それでも不快な思いさせられて黙って我慢してるほど堪え性もないから。考えるより早くぱっと手が動いちゃう。むかっと来た、とか意識してる間もないくらい疾風迅雷だから自分でも結構どうしようもなくてさ。あの頃は野蛮だったなぁ、実際。狼に育てられた子みたいって親に言われた」
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