カナヲと加奈

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 先に言っておくが、これはたぶん夢だ。 「ねえ、健。話、聞いてるよね」 「ああ」 「じゃあ、何でこっち向いてくれないのよ」  私がそう言うと、彼はそこでようやく振り返った。放課後、窓から入り込む夕日の光が教室の静寂さをより一層深めている。  窓際、彼の学ランに積もっていた小さな埃が慌しく光の中を舞う。  私は、自分の中にある弱さを握りつぶすようにセーラー服の裾を強く握り締め、彼を正面に捉えた。しかしその表情も、視界をぼやけさせる涙と彼の頬で反射する夕日のせいで、はっきりとしない。  久しぶりにあの日の夢を見ている。 「あたしの方が上手だったよね、そう思ってるよね……?」 「お前も、上手だったよ。だけど」  だけど。  その続きは、聞きたくない。知っていたとしても、もう一度知りたいとは思わない。 「嘘つき……!」  こんな夢、さっさと覚めてしまえばいいのに。 「私、頑張った。あんたの一番になりたくて……あたしもう、アイドルやめる」  そう、強く願った。 「いやだ……!」  叫んだような、呟いたような、中途半端な自分の声が聞こえて朝、目が覚めた。  しわくちゃのベッドシーツ、床に半分落ちかかったタオルケット、寝起きの腫れぼったい喉の感覚。  枕元に置いてあったデジタル時計を手に取る。時刻は七時二十九分で、まだアラーム前だ。 「早起きしちゃったなー」  と言っても一分前だけど。  さらに言えば、設定している三回のアラームの内、既に二回鳴った後だけど。  高校への通学時間は、自転車で四十分の長距離走で学校の開始時間は八時十五分。  自転車で四十分というのは、もちろん支度時間は含めていない。 「……冷静になったら遅刻じゃんか! 急いで準備しなきゃ!」  大急ぎで顔を洗って、髪には悪いけれど水洗いで寝癖を整える。リビングに作り置きしてあった朝ご飯には手を付けず、自分の部屋に戻って高校の制服を着こんだ。「お母さん、ごめんね。愛してるぅ」  私は母への謝罪を口にしつつ、家の玄関を出ると父の車が止まった駐車場から自分の自転車を発進させる。父は、まだ寝ているのだろうか。大人って羨ましいなあ、なんてことを思ったりもした。 「くっそう、昨日、遅く、ま、で、配信した、ぜいだっ!」  家を出て、通学路にある急な坂道を登りながら思わず呟く。随分と息が上がっているのは大変恥ずかしいところだが、私はこう見えても新進気鋭のバーチャルアイドル“カナヲ”なのだ。  キャラコンセプトは、強くてかっこいい女。  リアルはちょっぴりお茶目だがね……はは。  そんなこんなで私が奮闘していると、自転車かごの中、もっと言えば通学鞄の中からバイブレーションの音がした。「誰だよ、こんな、ときにぃ!」 初めは、無視しようと思ったがしつこくなり続けるので仕方なく自転車から降りて、鞄からスマートフォンを取り出す。 「健……?」  相手は、暫く疎遠になっていた同級生の男子からだった。本当は良くないが自転車を押し歩きながら応答ボタンをタップする。冷静になってみれば、自転車を漕ぐよりも押して歩いた方が早かったし。 「あ、久しぶり……あのさ、今日の放課後うちの高校、北校の屋上に来て欲しい」  七月の空は、十六時半を回っているにもかかわらず、澄み渡るような青を宿している。  風に吹かれながら屋上のフェンスに寄り掛かっていると、後ろの方で扉が開くがしゃんと言う音がして私は、咄嗟に振り返った。見知った顔の男子、冴えないメガネのオタクが立っている。 「言っとくけど、あんたのためじゃないから。んで、何の用よ」  いやまあ。  突然の誘いに乗ったのだから健のためじゃないと言えば嘘になるけれど、二年ぶりの距離感を上手く掴めるほど私はコミュ力お化けじゃないのだ。 「今、俺さ、ダンス部のマネージャーしててさ」 「あんたがダンス部の? 何で?」 「それが色々あって……で要件を言うと加奈には、部員の指導をお願いしたくてだな」 「はあ……全部、説明して」  妹がダンス部に入部して熱心に練習しているが、中々伸びないとのことで相談を受けた。それで部を覗いてみると部員は全て一年生、さらには顧問の先生もダンスには興味すらない古典教師で。 「へえ、健の妹、泉ちゃんがダンス部に入ったんだ」 「そうそう、だから指導の方お願いできないかなーって」  言いながら健は、拝み手でこちらに頭を下げてくる。私は、少し考えてそれから言った。 「申し訳ないけど、お断りさせてもらうわ」  私にだって予定がある。九月の頭には、バーチャルアイドルのダンスコンテストが控えていたし、何より久しぶりに会ったと思えばお願い事なんて虫が良すぎる気がした。  私たちの間には、忘れてはならない壁がまだ横たわっていたから。「私、帰るね」  そう言って、屋上を後にしようとしたとき健の手が私の腕を掴んだ。その手を振りほどくのに大きな力は、きっと必要ない。それでも私は、中々振り払うことができず、彼の言葉を待ってしまった。 「泉たちのダンス、帰る前に見ていってくれないか。そしたらきっと加奈だって……」  健の言葉が途切れたのを見て、私はその手を振り払う。  結局、私はその日、何も言わず屋上を後にした。  けれど、その晩。  私は、見てしまったのだ。 「健から送られてきた動画……これって泉ちゃんの」  チームの息が合っていない上に、キレも不足している。  お世辞のつけようもないくらい下手なダンスユニットの踊り。  ただ、失敗する度に同じ振り付けを繰り返し練習している。  諦めるという言葉を知らない馬鹿みたいに。  そこには、上手くなりたいという情熱が、人を惹きつけるだけの熱い心が宿っていた。 「加奈……? 来てくれたのか!」  北高校、ダンス部の部室は風通しのいい空き教室だった。エアコンの完備されていない校舎だが、幸い日陰となる位置だ。環境ポイント高めで助かる。 「まずは、着替えるかー」  私は、先程まで教壇の辺りでストレッチをしていた泉ちゃんとその他二名の(莉緒ちゃんと美沙ちゃんだっけ)、驚きに支配された視線を受けながら、制服を脱ぎ活動着に着替える。  活動着、なんて言っても動きやすいティシャツだけどね。 「加奈ちゃん……?」  目をまん丸にした泉ちゃんが私を見てそう言った。それは当然の反応で、私は健にさえ練習に来ると伝えていない。ダンスユニットのメンバー名だって、彼女たちのホームページを見て勝手に勉強してきた。  私は、自分の意思でここに来たのだ。 「加奈ちゃんじゃないよ、私は今日からあなたたちの先生。加奈先生でしょ」  熱量という最高の才能をもつ彼女たちに、ダンスを教えるためにね。  私は、健に真っすぐな視線を送る。「レッスンを始めるわよ、マネージャー」  あれから一カ月と少し、八月も下旬に差し掛かる夏休み終盤戦。  北高校ダンス部の日陰で風通しの良い、とは言えバターを放置すれば秒で溶けてしまう熱気に満ちた部室に私の声が響いた。 「よし、一旦昼休憩にしよう!」  私がそう言うと泉ちゃんたちが元気よく「はいっ」と答え、部室を出て行った。部の雰囲気は、思っていた以上に良好だ。彼女たちは、私から技術を盗むことに貪欲で、どんなに過酷なトレーニングを与えても弱音を上げることなく、みるみるうちに成長している。  問題があるとすれば私の方だ。  九月の頭に控えたバーチャルアイドルのダンスコンテスト。  今は、彼女たちをコーチングしながら練習終わりにレッスンへ通っているけれど。 「それも、限界かなあ」  呟いて、その声は教室の黒板へと虚しく吸い込まれていく。  そのとき、私の頬にひんやりとした湿り気のある感触がした。 「健……? このスポドリ、あたしにくれんの?」 「ああ、お礼。こんなことくらいしかできないけどさ」 「あんがと」私が言うと、健は軽く笑みを見せて教壇に腰を下ろした。同じ空間に二人きりでいながら距離を取っているのも何だか気まずかった私は、彼の隣に座る。別に、二人きりでお話がしたかったとか、そういうんじゃない。 「加奈。一カ月も、あの子たちの練習に付き合ってくれてサンキュ」 「改まってなによ。この一カ月、一度だって感謝の言葉が聞こえなかったけどー?」  私は、茶化すように言葉の語尾を伸ばす。照れ隠しもあったかもしれない。しかし健は、動じることなく相変わらず真っすぐな声で答えてくる。 「だから、今言ったんだ。俺の周りにダンスが上手な人は、加奈以外にいなかったから、断られるかもしれないけどお願いさせてもらった。ごめんな、加奈にだって予定があっただろうに」 「……そういうところ」 「え、そういうところって?」  こちらの気なんて知らずに彼は、首を傾げる。私の声は、ほんの少し熱がこもり上ずった。 「何でも正直に言うところ、嫌いじゃない……昔から変わってないのね」  健は、小学校の入学式で出会ってからずっとそうだ。空気を読まずに正直な気持ちをぶつけてくる。好きなアイドルの話になれば、自分の推しを譲らないし、そのくせ推し以外の良いところもちゃんと押さえている。  健は、良いものを良いと言える人だった。  そういう彼と話すのは、いつだって楽しい。  私は今も、健のことが好きなのだ。  自分の中にあった感情を再確認して私の心臓は、どきどきと音を大きくさせた。  一般乙女かよ、アイドルのくせに私。 「ありがと。それはそうと加奈、お前ってまだバーチャルアイドルやってるの?」 「やってる、中学の時とは名前違うけど……でも、それがどうしたのよ。健は、リアルダンサーのマネージャーでしょ?」  バーチャルアイドルのマネージャーじゃない。  健はもう、私のマネージャーじゃない。  昔と今、そこだけが違っている。  私はそう思っていた。だけど。 「いいや、俺は今もバーチャルアイドルのマネージャーだけど?」 「へぇー……は?」 「このダンス部の三人、九月の頭にあるコンテストでバーチャルアイドルとしてデビューする予定なんだよ。それで、俺はそのマネージャー。グループ名は、“トゥインクルスター”で、その衣装とか宣伝とか任されてて」 「ちょっとまて! まてぇい! 九月の頭って、バーチャルアイドルのダンスコンテスト!?」  おいマジかよ、敵だったのかよ。「あれ、俺言ってなかったっけ? 加奈も出るの?」ふざけんなよ、健。「ぶっ〇すぞ」  と言いかけて、それを遮るように教室で響いた優しい女の子の声。それは泉ちゃんのものだった。「加奈せんせーとお兄ちゃん、二人の飲み物も買ってきたよー。あ、あれどうしたの二人とも……そんなに顔近づけてキスしようとしてたの?」 「けっ!」私は、ガムを吐き捨てるように言って教壇から立ち上がる。バーチャルアイドルとしては、強くてかっこいい女キャラでやっているが関係ない。健を一度睨んで、それから泉ちゃんを見た。 「泉ちゃん、悪いけど私は、もう先生じゃないの。あなたの敵なのよ」 「ど、どどどどういうことですか?」 「私はね」  大きく息を吐く。  もう中学の私じゃない。  私は、生まれ変わって成長した。 「バーチャルアイドル“カナヲ”よ!」  泉ちゃんも、その後ろにいた莉緒ちゃんも、美沙ちゃんも、そして健も。  みんなして言葉を失い私を見つめている。  カナヲ、それは飛ぶ鳥落とす勢いで名を挙げている無所属バーチャルアイドルの名だ。  それから私は、静かに健だけを視界の中心に収める。 「私、もうあの頃とは違うんだから」  決勝で会いましょう、元マネージャー。  中学生の頃、私と健は二人でトップバーチャルアイドルを目指していた。けれどその夢は、バーチャルアイドルのダンスコンテストにて最下位という現実に叩き潰されてしまう。  思い知らされた、私たちには才能がないっていうことを。 「私はそれでも良かった。健の傍にいられれば、彼の一番でいられれば」  でも、健はそうじゃなかった。彼は、私のことを一番だと思っていなかった。  私は、裏切られたんだ。  見返そう、コンテストでトゥインクルスターを倒し、健を。  勿論、簡単なことじゃないだろう。泉ちゃんたちの実力は本物だ。コンテストの参加資格を得るために八月中にあった一次審査と二次審査を通過してきたのだから。育て上げたのが私自身だからこそ分かる。身に染みて知っていた。  だけど。 「カナヲは、負けない」  九月の頭、大会当日までの間、私は死に物狂いでダンスの技術を磨き、空いた時間は全てバーチャルアイドルとしての配信活動に捧げた。だからそのせいで学校の補修授業に遅刻してしまうこともあったけれど、いやそのせいではないけれど、ここ一カ月は命を削る感触と隣り合わせの日々を過ごしている。 「お陰で毎日、筋肉痛だよーあはは」  なんてことを配信でファンに呟いたのが昨日、今日はいよいよバーチャルダンスコンテスト当日だ。朝早くにスタジオ入りして稽古場でゆっくり時間をかけてストレッチをこなす。何度か健や泉ちゃんたちとすれ違ったが、挨拶なんてしてやるもんか。「大丈夫、あたしは上手」  本番十分前、スマートフォンで配信アプリを開くとダンスコンテストの生放送には、たくさんの視聴者が待機していた。その数、なんと八万人だ。  日本中がこのコンテストに、バーチャルアイドルに、カナヲに注目している。  カナヲは、一番手だ。そして何組か挟んで大トリにトゥインクルスターがいる。 「カナヲさん、お願いしまーす」  私は、席を立ちスタジオへ向かう。楽屋のドアノブに触れたとき、もう片方の手で空を握り締めた。「カナヲ、あなたは強くてかっこいい。みんなをあなたの色に染め上げるの」  コンテストが終わる頃、八万人の視聴者は十四万人にまで膨らんでいた。  バーチャルアイドル、仮想空間で活躍する彼ら彼女らには、人を惹きつけて離さない魅力がある証拠だ。そんな力が果たして私にあるのだろうか、それはどれだけ有名になっても分からない。  私は、他のバーチャルアイドルと同様にスタジオで結果発表の時を待っていた。席に座り、膝の上で握り締めていた拳が汗ばんでくる。  審査は、視聴者部門、プロダンサー部門、プロダクション部門の割り出した点数合計で決まる。ただ正直なところ、視聴者の点数にはあまりウエイトが置かれていないのだ。それも当然で、人気が高いアイドルほど優位になってしまうから。  だからプロダンサー部門とプロダクション部門でトゥインクルスターに勝る必要がある。 「お願い……神様」  心の中で呟き、そのときを待った。 「プロダンサー部門、プロダクション部門、両部門揃って百点判定を受けたアイドルは」  私は勝ちたい……。 「なんと初参加、トゥインクルスターの方々です」  気が付くとコンテストは、既に終わっていて私は、カナヲとしてではなく加奈として街の中を歩いていた。そのまま無感情という空白を抱えて電車に乗り、家の最寄り駅で下車。その間、スマートフォンを開いて、恐らくトゥインクルスターを称賛しているだろうSNSを見る気にはならなかった。 「おい、待てよ加奈」  住宅街、赤い夕陽に向かってとぼとぼと歩いていると、そんな私を呼び止める声がした。ここ一カ月で聞き慣れたその声に、私は振り返ることなく返事する。 「なに……てか、良かったね。自分がマネジメントしたアイドルが優勝してさ」  カナヲは、準優勝だった。勝ち取ったのは、視聴者部門のみでそれ以外は、泉ちゃんたちに完膚なきまでに叩きのめされた。歌も、踊りも、衣装も、全ての評価点で劣っている。 「トゥインクルスター可愛かったよ。歌の選曲も、衣装のデザインも、アイドルとしての宣伝文句もコンセプトも、全部。あんたが考えたとは思えないくらいね……」 「……」 「ずるいよ……あんなの。私、無所属で選曲も、衣装も、コンセプトも、全部自分でやってるのに、私の方が死ぬほど頑張ってるのに」  ずるい、泉ちゃんが。ずるい、健が。ずるい、全てが。  喉元に熱いものがぐっと込み上がってくる。それを抑えるのがやっとで、私は自然と早歩きになった。しかし、後ろから近づいてくる足音は、消えてくれない。  そのうち健は、私に追いついてそして肩を掴んできた。思わず立ち止まってしまう。 「加奈、お前は上手だったよ」  聞きたいのはそんなことじゃない。  私は振り返り、彼の瞳に問いかけるように言った。 「だったら私と泉ちゃん、どっちが一番だった?」 「それは……」 「泉ちゃんたちでしょ……それはそうよね、だって中学のときだってあんたは、私のことを一番だって言ってくれなかった! 信じてくれなかったんだから! コンテストで最下位になった私のことを見限った!」  だから私は、あのとき健とアイドルを続けられなかった。  せめて、慰めてくれたら。 「裏切り者!」  彼の裏切りに対する恨みが濁流のように流れ出す。 「だったらどうして」 「は?」 「だったらどうしてあの時、一緒にトップ目指そうって言ってくれなかったんだよ」  健の声は、落ち着いている。しかし、その奥で何かが燻っているような気がした。押し黙る私を横に彼は続ける。 「確かに加奈と俺は、コンテストで最下位になった。理由は……はっきり言って加奈の実力が足りなかったからだよ。だけど俺は、お前を見捨ててなんかない。裏切ってなんかない。加奈のマネージャーとして一緒にトップを目指したかった。だけど、それを選ばなかったのは、加奈の方だろ!」 「あたしが……あたしがあんたを裏切ったって言いたいの? それは違う、あんたがあたしのことを一番だって言ってくれなかったから、それで……」 「一番じゃないんだよ! まだ加奈は、一番じゃなかった! 踊りも歌も上手だけど、光るほどの魅力がなかった! だからまだ、まだまだ一番じゃない! 嘘なんかつけるかよ!」 「だったらどうしろってのよ! あたしは、いつも死ぬ気で、血反吐吐きながら練習してたの。寝る間も惜しんで勉強して、あんたに喜んで欲しくって……上手くなりたくて……努力して」 「そんなこと知るかっ! 足りないのは事実だろ!」  足りない、そんなこと分かっている。  誰よりも分かっている。  だからいつも、才能の限界と戦っている。  身体が痛むまで踊って、喉が枯れるまで歌って、そうやって自分を磨いて伸び悩んで、心の傷口から涙を流している。  だから、慰めでもいいから、私が一番だって言って欲しかったんだ。  健は、私のそんな弱さを許してくれなかった。甘やかしてくれなかった。  ああ、私は弱い。  カナヲになってもそれは、変わらない。  考えて、自覚して目頭が熱くなってしまう。けれど、泣いたって健は許してくれない。  そのとき、私のスマートフォンが震えた。 「泉ちゃんから……ごめん、健。代わりに出て」  こんな姿、見せたくない。そう思って健にスマホを手渡すと彼は、目を丸くしてこちらに画面を向けてきた。 その画面に映っていたものは、SNSのスクリーンショット。  しかも、私のファンの呟きだった。 「カナヲ、最優秀じゃなかったけど最高だった」 「カナヲ、いつもより研ぎ澄まされててカッコよかった」 「カナヲ、勇気もらえたよ。ありがとう」 「カナヲ、誰よりも好きなアイドル」 「視聴者部門、最優秀おめでとう。いつも応援してます」 「カナヲのファンになりました! 私も強くてかっこいい女になりたい!」 「みんな……あたし」  耐えられず、私は涙を流してしまう。  何もかもが流れていこうとして、だから私は、そこへ自分の弱さや醜さまでもが混ざってしまうことを望んだ。 甘えてなんかいられない。  だって私は、どこかの誰かを自分色に染め上げていたから。  だって私は、彼らの一番だから。  だって私は、カナヲだから。  涙を素早く拭うと、スマホをポケットにしまった。  そしてこちらを真っすぐに見つめる健と対峙する。 「あたしは……負けない」  言って、彼の胸元へ拳を押し付ける。  覚悟を決め、そして言った。 「いつかあんたも、あたし色に染めてやるんだから!」  いつか。それがいつになるのかは分からない。  だけど、カナヲが一番だって言わせてやる。 「その日まで、待ってろよ……健!」
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