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S氏の原稿
Ⅰ
古来より人間というのは「やるな」と禁じられたことを敢えて行う。という傾向が見受けられる。
それは物語でも、神話でも同じことで。
鶴の恩返し、浦島太郎。もしくは冥界下りを行った、イザナギ、オルフェウスもそうでありました。
そしてこの私も「調べるな」と忠告を受けたにもかかわらず、こうして半年に渡り調査をしてしまったのは、意地ではなく執着に他ならないことでしょう。
一人の女子学生が無意識に負の感情を手作りの品に込め、友人らを祟ってしまった。
羨望や嫉妬の類は件の学生でだけではなく、誰しもが持ちうる感情だろう。
送られた友人たちは不可解な現象に悩まされ、そして私の友人たちの助言により解決をした。
その解決法というのは実に儀式めいたものだった。
ぬいぐるみを裂き、贈られたものを中に封じ贈り返した。
申し訳無さから正面に立って頂戴したものを送り返すのは失礼として大抵の人間は躊躇するだろう。
それでも、提案者は、
「その話だが、もうやめた方がいい」
と発言したあたり、相談者を思い遣っての発案ではないと分かるだろう。
提案者の第六感が本物であるならば、問題の女子生徒は思った以上に危険人物であると判断したのだ。
呪詛返し。
そういった言葉がある。
呪った相手に返される。しかも、大抵は倍になってやってくるのだ。
宇治拾遺物語では安倍晴明が少将の頭に烏が糞を落としたことにより、式神による呪詛を見抜き、呪詛返しを行ったとされる。呪詛を用いた人物は、自身の呪詛がかえってきて、死んだと記載されている。
件の女子高生も同じように返礼後、間も無くして引っ越し及び転校となった。
おそらく”返され”居られなくなったのだ。と、考えたのはすっかりこの話に興味を持ったからだ。
皮田と苗字を持つ件の女子高生は、カワタと呼ぶのではなく訛ってカンダと呼ぶ。
皮田一家はF県M村に住んでいた。
丁字路の突き当たりに家を構えていて、近所の人に聞けば結婚当初から住んでいた貸家だという。
一度家を出て、同じ場所に住み直した。ということだ。
丁字路の突き当たりは「路沖殺」にあたり、風水的にも良くなければ、民俗学的にも鬼が集まる場所と記されている。
更に、家は三角の形をし、その背後には川が流れていた。
それだけではなく、そこは元沼地であり、さらに良くない場所であろうと推測される。
私は皮田一家について聞こうとしたが、周囲の人間はそれに非協力的だった。
田舎だったので閉鎖的なのかと思うが、それ以上に皆は「皮田」という単語だけで顔を歪めるのだ。
件の家を遠くから拝見した時、パトカーが一台駐車されていた。
丁字路が故、交通事故だと思っていたが、該当する事故車両は見つからず車を降りた警官が皮田の敷地内へと足を運んだのが見えた。
こういった田舎でパトカーが来るなどすれば、暇を持て余した老人や主婦など野次馬の一つや二つ出来るかと思われた。が、通行人は見向きすらせず足早に通り過ぎただけであった。
いよいよ、私の好奇心は、否野次馬根性に火がついた。
酒と煙草、土産を持ち一人の老人に話を聞こうと動いた。
最初こそ、その老人は話すのを拒んでいた。しかし、次第に酔いが回ってきたのかゆっくりと語り出した。
「おそらぐまだ刳れだんだべ。近寄らねぇ方がいい」
「刳れた?」
私の言葉に老人はうんうんと深く頷いた。思い出しながら話をしているのか、目を瞑ってコップを持った手は少し下へ移動する。
「あそごは、そだ所だ」
「でも、あそこもここの村の一部ですよね?」
「一部だからこそだ」
その後、老人は酔い潰れ、これ以上の会話続行は望めなかった。
翌日、詳細を聞こうと話しかけたが、もうそれ以上話をしてくれることはなく、それどころか
「これ以上、関わらねぇ方がいい」
と、声を低めて言った。
私は納得がいかず、もう一度件の家に赴いた。そこで、数枚風景を撮影するふりをしながら、その家の周辺にシャッターをきった。
これ以上の情報は難しい。仕事もあったため、私は村を去ることにした。帰りのパーキングエリアで私はコーヒーを飲みながら撮影したものを見直すと、一枚だけ撮った覚えのない風景が映り込んでいた。
ベニヤ板で矢印を作った粗末な看板には「暮路野上」と白いペンキで描かれている。読み方が分からず、ネット検索をしたが検索結果には何も引っかかってはこなかった。
薄い板の矢印は件の家を指し示しており、”上”という言葉に疑問を持つのは、そこの土地が低い元沼地であったからだ。
私は件の女子高生事件を解決してくれた友人たちに調査結果を伝えることにした。
もう少し情報を聞き出せないかと下心はあったのだが、やはり「暮路野上」の正しい読み方は結局分からなかった。
しかし、他に得た情報がある。
「同じ村だから話をしてくれないんだと思います。
もし、他の人が聞いて非常識的なことだったり、村の大事な何かしらに関わるなら余計口は堅いと思います。
それでも知りたいのでしたら、少し離れた村の人に聞いた方がいいですよ。自分のことは言わないけれど、他の人の話はするって人、いますよね? そうすれば、きっと教えてくれます」
そう言ってくれたのは、同席していた一人だった。
折角の助言だったが、情報収集に難航していた私にはもう必要無いことだと思われていた。
諦めもあったが、こういった時、縁があれば何かしら手がかりや繋がりが得られる。という妙な自信があった。
そして実際のところ縁というのは不思議なことで、それを実行するのはさらに数ヶ月先のことだった。
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