S氏の原稿

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 Ⅱ  夏、私はM村の近くでドライブをしに行った。  あれから仕事に追われろくに調査できず、また途方に暮れていた。  一度だけ村によって諦めてしまおうとした矢先、一人のオオダという方にお会いする機会を得た。  まず、「暮路野上」だが本当は「呉路野上」と書く。 「読み方は知らねぇげんとも、意味はそのままだ」  オオダ氏はそう言って苦笑した。 「あなたは皮田家を知っているんですか?」 「なんだ、おめもあの家さ、興味があるんだが?」  あなたも。という言葉に引っかかりを覚えつつ、私が肯定を示すとオオダ氏は頷いた。 「あそこの家は広ぐで、安いがんね(からね)。げんと、もしあそごさ、住むんだら苗字皮田さ変えねぐぢゃいげねぇ」 「苗字を変える? では、前に住んでいた方も苗字が変わっているんでしょうか」 「そうだ。げんとも、前の住人の苗字なんか知らねぇげど」 「苗字を変えるのはなぜでしょうか?」 「知らねぇ。ただ、引っ越しの条件なんだ。多分、家の表札が皮田だし、ここの住人は年寄りしかいねぇがら分がりやすくしてえんだべ」 「ですが、あそこには今すでに住人がいますよね」 「引っ越しするらしいんだわ。あそごは家が広いげんども、街がら来だぐせに「住みにぐい」って文句垂れてすぐに街さ帰っちまう。あそごは、元が沼地だがら地震では揺れるし、抉れっから」  刳れる、という単語には聞き覚えがある。 「地震で土地が刳れるのでしょうか?」  わざとそう尋ねると、アルコールで顔を赤くしたオオダ氏は「どうだったかなあ」と声の調子をあげて答えた。 「あそこは元沼地で、家が建つ前は物乞いがよう住んどったからなあ。腹が減りすぎて通行人を噛んだりしては、報復に寝転がってるモンを蹴られるってことが、たあくさんあった、いぐ(よく)ない土地なんだろうさ」  背筋に寒気が走り、私は黙ったまま水を飲んだ。 「げんとも、今はそだこどねぇ。田舎で不便がもしれねぇげんとも、空気も綺麗だし野菜も育づ。住人は優しい。おめ、あの家さ住みでえが?」 「まだ検討しています。なにせ、今資金面で困窮しているので……」  そう答えるとオオダ氏は笑った。 「さすけねえ(だいじょうぶだ)。貰ったらあげれば刳れねぇ」  私はそれ以上会話をすることはなく、足早に去った。  勿論、その後も、これからもM村に行くことはない。
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