末松未知

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家の中は暗く、天上から裸電球がぶら下がっていたが今は使われておらず、煤けた石油ランプが唯一の明かりだった。 ガスも水道もないが、川の水を汲んでいる。天界を源流にしているような清流だと、老婆は言った。 日の出とともに起き、太陽が空にあるうちは山の中を散歩したり畑仕事をしたりする。食事も夜や雨の日以外は、外の椅子に座って山の景色に囲まれて食べる。 そんな自然に密着した生活を何年も続けていると、身も心も自然と同化していくのだと老婆は話した。 そして寿命の尽きる時も、自然から教えられる。 それは、今夜なのだ。 「え、まだまだお元気じゃないですか」 未知は老婆の言葉に反発した。 「いや、自然の思し召しなのじゃよ。私はもうずいぶん長いこと、自然の恵みのもとで生かされてきた。ちょうど立会人が訪れたことだし、もう決定したと言っていい」 食事は、囲炉裏の火で作っていた。五徳に乗せた鉄鍋で、畑の野菜や山菜、木の実などをぐつぐつ煮込む。 その食べ物を味わった未知は、調味料と言っても塩ぐらいなのに素材の味が存分に引き出されて美味しい。使用している水のせいもあるのだろうかと、感心した。 老婆は、ポツリポツリと自分のことを話した。 80年ほど前、老婆がまだ10代の頃、村はダム建設のため水没し、村人は新天地を求めて他所へ行った。 老婆の家は村の外れにあったため、一家はそこに残り、両親は50年ほど前に相次いで死去し、以来一人娘の老婆がたった一人で住んでいる。 それは未知がMUU2を通して聞いた話とほとんど一致したが、当人の口から語られると、それは古い白黒映像となって脳裏に浮かびあがり、リアリティを感じさせた。 村の守り神である池の神の話をした時、老婆は敬虔の念に全身浸され、声が震えた。 「年に1回、木々が色付く秋の満月の夜に、神の池に入って禊をする。それは私が子供のころからずっと続く風習じゃ。一人きりになった今も、続けておる。 そして、今夜がその禊の満月なのじゃ」 先刻から老婆が今夜寿命が尽きると言っていたのは、その禊の儀式と関連があるのかと、未知は推測した。 身を洗い清めて、天国へ旅立つということなのだろうか。 今は薄汚れた着物に隠されている老婆の肌をその際見ることになると思うと、未知は身震いした。 それはあくまで、老婆と聖なる池の神への敬虔な気持ちを共有したうえでのことと、未知は気持ちを引き締めた。 「その目で見てほしい」という老婆の願いは、伝説の紅葉に染まった肌のことを指すのに他ならない。 MUU2の代表として、自分だけがその奇跡に近い光景を目撃することができる。 未知の震えは、期待感と相まっていつまでも収まろうとしなかった。
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