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禊
巨大なオレンジ色の月が昇ってきたのを見た未知は、今日がスーパームーンだったことを思い出した。しかも皆既月食で、天文ファンならずとも一見に値する希少な現象だった。
老婆は月の出の前に神の池へ出向き、未知は家の縁側で月が姿を現すのを待機していた。
縁側から神の池は畑越しに眺めることができたが、今天頂目指して昇りつつある満月は、その光を神の池へと意図的に凝らしているように見えた。
「月と池の神が交わる」
老婆の言葉が未知の心の中でろうそくの炎のように何かを示唆して揺らぐ。その揺らぎを大切に抱えて、未知は「さあ!」と自分に合図を送り、カメラを手に立ち上がった。
近隣の木々の色付いた葉が吸い寄せられてでもいるのか、小さな池の水面は赤や黄色の葉で覆われていた。
と、そこに何事か事件が起こる予兆のように、波が立った。
人間が池の中に入ったのだ。
その人物の肌は、透き通っていた。
未知は前もって白子(アルビノ)を想定していたが、白子とは違う、まさしく透明な肌だった。
「こんなのは見たことがない……」
未知は絶句した。
驚嘆の言葉は、喉で凝結した。
未知の驚愕は、それにとどまらなかった。透明な肌がみるみる紅葉の色に染まっていく光景に、未知は息もできなくなった。
畏怖に近い感情が心を席巻し、ブルブルとした震えが果てしなく湧き出てきた。
しかし、自分は老婆に最期を看取る立会人として見込まれたのだ。役割をしっかり果たさなければ。
未知はカメラを構え、夢中でシャッターを押した。
その間にも、神の池では驚異的な異変が起きていた。
紅葉色に肌を染めた人物は、どんどん若返っていったのだ。その変化は速すぎて、目で追うこともできない。
未知は池に近付き、その人物を子細に見ようと目に力を入れた。
月光が未知に負けまいと池の面を集中的に照らし、眩しさで池の中の人物を見極めることができない。
しかし紅葉色に染まった肌は輝くように美しく、その肌の持ち主はどう見ても10代の少女としか思えなかった。
未知は我を忘れて、ただ美しい少女に見入った。
少女の顔には、地上の汚れを落とし天界の祝福を受けた者の恍惚の表情が浮かんでいた。
それを見た未知も恍惚となって、失神しそうな気がしたが、その時、今度は月に異変が起きた。
満月が欠けていき、赤銅色へと色が暗くなった。
「月食だ!」
と未知は心の中で叫んだ。
それがどのくらい続いたのか、時間の感覚をなくした未知にはわからなかったが、夢幻の奥底に正体をくらまそうとする「食」のさなかの月に、池の中の少女が両手を差し伸べていた。
すると、その手に月光が触れたかと思うと、少女の鮮やかな肌の紅葉色を吸い取っていった。
そして月は再び生気を取り戻し、明るい赤へ、黄味を帯びた色彩へと移り変わっていった。
未知は朦朧とする意識の中、「おお!」と嘆声を発した。
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