神の池

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神の池

今夜こそ、言い伝えにある、月と池の神が交わるときだ。 太陽の光が消えつくしたのを見計らったように、東の山の陰から月が昇ってきた。 それは常にも増して大きく、地上を虎視眈々と窺う、野望をはらんだ満月だ。 この小さい村など呑み込まれてしまいそうだと、志保は鳥肌が立った。 今宵は年に1度、村の守り神が棲む池に入って水浴びすることが許される日だった。 毎年、山の木々が赤や黄色に色付く秋の満月の夜と、それは決まっていた。 百人に満たない村人のほぼ全員が、満月の光を浴びながら神の池で身を清める。それは、禊の儀式だった。 直径5メートルほどの小さな小さな池は柵で囲われ、周りの雑草を抜くなどしてきちんと管理されていた。 月が姿を現すと、子供や女衆から先に数人ずつ5~10分の間池に入って行水をした。 原則としてその間会話することは禁じられていたが、子供たちは年に1度の儀式に興奮して、押し殺した声で言葉をやり取りした。 14歳の志保も、そんな興奮に高鳴る胸を必死で押さえつけている子供の一人だった。 特に思春期の少女にとって、その興奮はやむを得ないものでもあった。 普段衣服に隠されている他人の肌を見ること、しかもその肌は目もくらむような美しさであったからだ。 この村の女性を中心にした約半数は、肌が透明だった。そしてその肌は、赤や黄に色付いた落ち葉をびっしり浮かべた池に入ると、紅葉した葉の色に染まった。 それは神の池で禊が正しく行われた証しと村人たちは考え年に一度の儀式を重宝し、また、池に守り神が棲むことへの信仰をいっそう深めた。 年頃の娘たちにとって紅葉に染まった肌を見せ合い、美しさを競い合う場でもあった。 服を脱いで池の中に入った志保は、急速に冷えて体温を奪っていく山の空気とは裏腹に、ほっとするような温もりを感じた。 池の水はいつも温かく、村人たちはそれを池の神の恩恵だとみなしていた。 池の水の温もりが肌にしみわたり、「気持ちいい!」と陶酔している間に、志保の透明の肌は紅葉の色にみるみる染まっていった。 その染まっていく速さと鮮やかさは、去年を上回っていた。 成熟途上の思春期の少女の肌は、最も染まりやすく美しさもひとしおだという。 自分の肌にうっとり見惚れていた志保がふと周りに目をやると、そこには彼女と同年代の少女が他に4人いた。 いずれも紅葉の色に染まった自分の肌に驚嘆し、そして同じように色付いた肌の少女たちの姿に、万華鏡を覗いたように幻惑された。
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