1、狂家

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 私は子供の頃、乗り物酔いがひどかった。将大にならって入ったそろばん塾の遠足で、鈴鹿サーキットに行ったことがある。レースを観るためではなく、併設された遊園地で遊ぶのが目的だった。  申し込みの時点で、嫌な予感は充分にあった。だがそれは、年の離れた将大と遠足に行ける最初で最後のチャンスだったから、絶対に逃すわけにはいかなかった。  その頃の私は五歳年上の将大を「お兄ちゃん」と呼び、本人に向けて、無邪気だが熱烈な愛情を提示してはばからなかった。  今思い出しただけで、恥ずかしさに叫びたくなる。  案の定、行きのバスで気分が悪くなった私は、母手作りの嘔吐袋を握り締め、こみ上げてくるものと必死に戦っていた。  車の揺れよりも、消臭剤の安っぽい人工の香りが苦手だった。その匂いを嗅ぐだけで、ああ、今日も駄目かと気が滅入った。  将大は友達の傍を離れ、わざわざ私の隣の席に移動してきてくれた。  何度も心配そうに私の顔を覗き込んでは、「典ちゃん、大丈夫か?」と背中をさすってくれた。  嬉しさ半分、疎ましさ半分で頷き返し、油汗を流しながら、こみ上げるものを飲み込んだ。  あの時、パーキングのトイレまで気力だけで持ちこたえたのは、将大にだけは嘔吐する姿や、吐しゃ物を見られたくないという、子供心にもいじましいまでの見栄があったからだ。
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