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床上浸水になったけど、なぜか奇跡の連続だった話
2022年9月23日。祝日。
私の住む地域で『線状降水帯が発生する』と天気予報で、朝から発表があった。
あとから考えると、そんなに早く確実な予報が出せるなんて、気象庁は優秀だ。
しかし私は気にしていなかった。気象庁さん、ごめんなさい。
台風15号の接近、線状降水帯の予報、満潮になると水面が上がる川のそばに住んでいる。この三つが重なっているのに、私は友達と夕飯を食べに出かけていた。
和食のコースをいただき、とりとめのない話で盛り上がり、友達の車で家の近くまで送ってもらった。
まさに危機感ゼロ。
車で住宅街を通っていた途中、すでに道路が冠水していて、それを家の中から窓を開けて見ていたおばちゃんが、私達に腕で大きくバツを作って教えてくれた。
「通れないのか。じゃあ堤防沿いに出ようか」
友達はUターンして、川のそばに出た。
「うわあ!」
川を目の前にして、二人そろって驚いた。
21年この地で暮らして、初めて見る水位の高さだった。
しかし私は思った。堤防を越えることはなさそうだな、と。
私はこのとき、『今がピーク』だと思い込んだのだ。
自然災害に初めて遭う人は、少なからず、希望的観測で、そう思うのではないだろうか。これ以上にはならないよ、と。
家の前まで送ってもらい、友達と別れた。友達の車は車高の高い車だったので、無事に家に帰ることができた。
私は家に帰ってシャワーを浴びた。
息子は自分の部屋で、パソコンで友達と会話をしているようだった。
夫は
「雨がひどくてちょっと怖いから、寝る」
と言って、布団を敷き始めた。現実逃避だ。
私はここで初めて、頭の中に「?」が浮かんだ。
もしかしたら、少し濡れるかも?
「布団、敷かないで。全部押し入れの上の段に入れて!」
夫は私の言葉で初めて、ちょっと危ないのかな?と思ったようで、おろおろしながらも布団を上の段に上げた。
ここで少し説明。
私の住む地域を流れているT川は五十年ほど前に一度氾濫している歴史がある。
その後、堤防が整備されてからは、川は氾濫していない。
しかし問題は別のところにある。
海が満潮になると、T川の 水は流れなくなり、水位が上がる。T川の水位が上がっているときに大雨になると、T川にそそぐ支流がT川に流れないように、堤防に設置されている鉄製の堰が降りる。せき止められた支流の水は行き場を失い、あふれる。T川より先に支流があふれるのだ。
しかし今まで私の家とは反対側に水があふれていたし、市のハザードマップでも安全な地域に指定されていた。(現在、見直されて、危険地域!)
八年ほど前、一度、大雨でかなり水が上がってきたことがあったが、そのときは、我が家は床下浸水まであと六センチ、というところで助かった。トイレも下水が上がってきて、あふれる寸前までいったが、なんとかあふれずに済んだ。
そんなことがあったので、まあ今回も『うちはギリギリ大丈夫』みたいな気持ちと、『大丈夫でいて、お願い!』という気持ちが混ざっていた。
ここで奇跡の一つ目が起こる。
普段、夫は最後にお風呂に入り、浴槽のお湯を抜いて、掃除をしてくる。
しかしこの日は私が遊びに出ていたため、最後にお風呂を使ったのが私だった。
だから浴槽にお湯が残っていたのだ。
窓から外をのぞくと、すでに尋常ではない大雨。うちの裏の支流はとっくにあふれている。T川があふれているかどうかは見えない。道路はもう水でいっぱいで見えなくなっていた。
私は八年前に得た知識で、市指定のゴミ袋を浴槽にザッと入れて『水嚢』を作った。土嚢の水バージョンである。
土嚢を日頃から準備しておく場所はないし、水嚢なら、あとで水を流せばいいだけなので、処理もラクだ。
便器の中の水がブクブクし始めていたので、ドサッと便器の中に水嚢を入れた。
今度は洗濯機の排水溝からブクブク水があふれだした。
私はまた浴槽にザッとゴミ袋を入れて、水嚢を作り、排水溝の上に置いた。
もし浴槽にお湯が残っていなかったら、水嚢を作るのに時間がかかり、間に合わなかっただろう。
(結果については、後述。)
床下浸水くらいなら、水嚢は効果的なので、参考にしていただきたい。
それから私はものすごい速さで動いた。
クローゼットの下の引き出しを、引き出しごと抜いて、高い場所へ重ねて置いた。
引き出しが抜けないタイプのタンスは、中身を出して高いところへ重ねていった。下二段だけを避難させたのは、時間との勝負だったからだ。
次にキッチンに行き、食器棚とキッチンカウンターの一番下の段に入っているものを、ダイニングテーブルに載せていった。
シンク下に収納してあるお鍋、フライパン、ボールとザル、お米、などを、ガスコンロや調理台の上に、すべて上げた。
よし、終わり!
洗面台の下、本棚の下段の収納、下駄箱の下の段、布団が入っていた和室の押し入れ以外の部屋の押し入れなど、忘れていた箇所は多々あるが、このときは全部避難させたと思い込んだ。
社会人の息子が
「水が入ってきたー」
と玄関から叫んだ。
急いで見に行くと、玄関扉の下のサンからどんどん水が流れ込んできていた。
水ってこんなふうに入ってくるんだ……。
初めて見る様子に、一瞬、理科の実験のような気持ちになったが、すぐに我に返った。
玄関の三和土(たたき)にたまっていく水に
「どうか床下で止まって!」
と手を合わせて祈った。
しかし祈りは届かず、二十秒ほどで、床上に水が上がってきた。
平屋一戸建ての我が家。
避難する二階はないが、物置がわりにしている二畳ぶんのロフトがある。
私はスマホだけ持って、はしごを上がった。
ロフトは電気はつくが、窓もコンセントもない。
ロフトから下を見ると、掃き出し窓のサンからも勢いよく水が流れ込んできていた。
息子が
「畳の部屋、すごい。アトラクションになってる」
と言って、上ってきた。床下から水があふれ、畳が浮いたり沈んだりしていたようだ。
夫は二台ある除湿機の一台だけでも助けようとして、椅子の上に上げてきたらしい。
夫も息子も、私のように水が上がってくる前にてきぱき動けなかったらしく、(動揺したのだろう)息子はパソコン関係をできるだけ守り、スマホと携帯用バッテリーだけ持ってきた。自分の服のことは頭になかったようで、なにもしなかった。
夫はスマホさえ持たずに、無駄に濡れた足で上がってきた。
ここで二つ目の奇跡が起こった。
ロフトにタオルが十枚入った袋があったのだ。
一年ほど前に夫に頼んで買ってきてもらったのだが、生地が薄くて、結局ネットで買い直し、邪魔だから、と、ロフトに上げておいたのだった。
おかげで夫と息子は汚れた足を拭くことができた。
その日は暑く、ロフトは高い場所にあるためもっと暑く、窓もない。水分補給を心配したが、防災用に、と夫が買っておいたペットボトルの水がロフトにあった。まだ賞味期限が切れていないものもある。
「置くところないから、ロフトに上げてよ」
と、かつて不機嫌になった私って、実はすごい、と思ったが
「あ、俺、先見の明があった」
と夫が喜んだ。
それからまもなく、バチッとブレーカーが落ち、停電になった。
夫は懐中電灯を取りに、一度降りると言った。
「今、どのくらい深さがあるかわからないから、やめろ」
と息子は止めたが、夫はどうしても懐中電灯を取りに行くと言う。
しかたなく、息子が一緒に降りることになった。
なにを踏むかわからないから、靴を履こう、ということになり、たまたまロフトにあったテニスシューズやサッカーのアップシューズやおしゃれなブーツなどの中から足の入るものを選び、男性陣ははしごを降りた。
(ちなみに、私は水が上がってきたときのために、と素敵なデザインの長靴を買ってあったのに、下駄箱の一番下に収納していたため、水没してしまった。)
私はそのあいだにスマホで
『床上浸水 処理』
と検索バーに入力し、水が引いたあと、どうすればよいのかを調べ始めた。
インターネットがあるこの時代に感謝でいっぱいだ。
ネット情報によると、水が引いたら浸水した家具や畳は捨てること、ホースでガンガン水を流しながら、汚泥を外に掃き出すこと、床が乾いたら消毒をすること、とあった。
消毒は三種類あり、どの消毒でもいいらしかった。
私はさっそく、ベンザルコニウム、というものを、大手ネット通販で注文した。
そして、早めにリフォームすること、とも書いてあった。
夫は懐中電灯を、息子は電池を持って、はしごを上がってきた。
午前三時頃、朝の干潮に向けて水が引き始めた。雨はいつのまにか上がっていた。
私は掃き出し窓の網戸を開けて、早く水を出そうと思い、テニスシューズを履き、はしごを下りた。
汚く、臭い水に足を入れた瞬間は気持ち悪く、うっ、と声が出た。
引いてきたとはいえ、私の膝近くまで汚水に浸かった。
懐中電灯で照らした家の中を見回して、絶望した。
広いリビングに水嚢、トイレの汚物入れ、靴、サンダルなどがプカプカ漂っていた。
水嚢がリビングで浮いているのはショックだった。
水の力でトイレのドアもお風呂のドアも開いていた。のぞくと、一面汚い水に覆われていた。
浴槽に入っていた水は重しになると聞いていたが、下から上がってくる汚水の力に負けたらしく、栓が外れて、あふれている浴槽に浮いていた。
掃き出し窓の網戸を開けると、水が出ていく速さは増し、あっという間に浮いていたものも流れていった。
うちの裏の、支流があるはずの辺りを、どこかの家のお風呂が流れていった。浴槽だけが流れていったので、きっと古いお宅で、まだユニットバスではなかったんだな、とぼんやり思った。
車は屋根だけが見えていた。
エアコンの室外機は水没していて、見えなかった。
翌朝、明るくなると、外の水も完全に引いた。
我が家の車はライトがつきっぱなしになり、近所の車はクラクションが鳴りやまなくなった。
車のドアは開かなかった。
床上浸水は31.5センチだった。
外壁についた汚れの跡は、私の肩の高さくらいまであった。
水がT川の堤防を超え、あふれていたことはずいぶん経ってから知った。
ここから奇跡が連続して起こる。
まず。電気工事の方。
ブレーカーは勝手に落ちた。下のほうにあるコンセントは水没したので、電気が復旧しても、使って良いかわからない。とりあえずスマホの充電をしたい。もう二十パーセントしかない。
そこで私は、ある電気工事店を思い出した。名刺は……浸水していない!
一年ほど前、屋根からなにかのコード?が垂れ下がっていることに気づいた私は、インターネットで地域の電気工事協会を見つけ、電話をした。そしてその日の午後には派遣されてきた親しみやすいHさん。
私は名刺を手に、固定電話の受話器を取った。そして固定電話も壊れていることを知った。
そこでまだ使えるスマホで電話をした。
「去年、屋根の上のコードを直してもらったMです。覚えてます?」
「ああ、うっすら覚えてるよ」
「すぐ来てください!助けてください!」
十分ほどで来てくれて、すべてチェックし、少し調子が悪い箇所、一ヶ所だけ、夕方にまた来て直してくれた。
去年、コードが垂れ下がって、来てもらって、名刺をもらっておいて、良かった!
親切にしていただいて、ありがたかった。おかげで防災用の水を使ってポットでお湯が沸かせたし、ごはんも炊けた。
一年前の出会いは奇跡!と思わずにはいられなかった。
次にガス屋さん。
うちはプロパンガスを使用している。水が引いたので家の裏に見に行くと、外のガスボンベが全部倒れていた。
「すぐ来てください!」
うちの担当のIさんは、私が電話すると、すぐ来てくれた。
というのも、先月、給湯器とつながるキッチンのリモコンが原因不明の音を出して、とまらなくなり、何度も来てもらっていたのだ。
「うちの営業所も浸水して、倉庫のものがすべてダメになってしまって。社用車も使えないので、自分の車で来ました」
Iさんはガスボンベを直し、緊急停止を解除し、給湯器とガスコンロを確認してくれた。
先月、キッチンのリモコンが壊れて、何度も来ていただいていて良かった。おかげで顔見知りになり、自家用車で急いで来ていただいて、点検してもらえた。
この出会いも奇跡なのかもしれない、と思った。
次に工務店。
七ヶ月前。私はK工務店にメールで問い合わせをしていた。
和室の畳がボロボロで、歩くたびにほつれたイグサがトゲのように足に刺さり、和室が使えなくなっていた。
そこで私は良心的な工務店にリフォームしてもらいたいと考え、探したのがK工務店だった。
「六畳の畳をやめて、無垢の杉板にしたいのですが、K工務店さんならいくらかかりますか?」
「三十四万くらいです」
「今、お金がないんですが、お金を貯めたら、やってもらえますか?」
「お任せください」
たったこれだけのメールだった。
しかし私はこの日、電話した。
「床上浸水したので、和室のリフォームを早めにやっていただけますか?」
「床上浸水したら、床下や壁や断熱材もやらないと、危ないですよ。とにかくすぐ行きます」
K工務店のS社長は二十分で来てくれた。
S社長は災害時のリフォームにも慣れているのか、火災保険や市から発行される罹災証明書などについても教えてくれた。
畳が傷んでいたから。
だから私はじっくり工務店探しができていた。
浸水したあと、すぐに工務店探しなんて、冷静になっていない状態では、きっとできなかっただろう。
私はK工務店にすべてお任せすることにした。
七ヶ月前の細いつながりは奇跡以外のなにものでもない。
もしや、この災害のため?いやいや、まさか。
次にバイク屋さん。
うちにはジャイロキャノピーという、三輪、屋根付きの原付バイクが二台ある。一台六十万円!
どちらも新車で買って、一年ほど。
「すぐ来てください!」
購入したバイク屋に電話すると
「朝から電話が鳴り止まないんです。今日中に引き取りに行くから、エンジンかけないで!」
とバイク屋さんは言い、とりあえず一台、優先して直してくれた。
もう一台の修理は浸水からひと月後になったが、それでもまだ、引き取りにも行けていないバイクが沢山ある、とバイク屋のご主人が言っていた。
そのバイク屋で三輪の原付を二台買って、時期も間もなかったから優先してもらえたのか、定かではないが、ありがたかった。
まだ新車状態だったので、水没は悲しかったし、車両保険に入っていなかったことは悔やまれたが、親身になってくれるバイク屋さんで購入していたことが、奇跡だった。
以前、ほかのバイク屋さんにお世話になっていたが、あまり親身になってくれなかったのだ。
そして火災保険。
二十一年前。
土地を買って家を建てるという、人生最大の買い物。莫大なローン。
そのローンの契約の際、入らなければならない火災保険。
二十一年前、銀行の応接室で。
私達はなにもわかっていなかった。安心を買うと思って、くらいの気持ちだった。
手厚い保険に加入し、保険料の支払いで生活が苦しかった。ローンの引き落としと保険料の引き落としがダブルであると、生活費なんてほとんどなかった。
「保険より、今の生活のほうが大事だよ」
と夫に訴えたこともあった。
しかし夫の仕事が忙しく、保険を見直す相談に行く暇がなかった。
結果、暇がなくて良かった。助かった。
その「手厚い」保険、つまり特約に「水害」が含まれていたのだ。
もう、奇跡中の奇跡。
おかげでリフォームができる。(それでも足りなくて、持ち出しもあるので、もう貯金ゼロ。自転車操業……。)
そんなわけで、水害には遭ったが、まわりの方の温かい心遣いと、奇跡の連続で、なんとかリフォームへこぎつけたのであった。
リフォーム編へ続く!
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