朝の通い路

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朝の通い路

 朝は、はやくはやく、が口癖になる。  長男は、二年生くらいから友達と待ち合わせて、毎朝早々に一人で家を飛び出していた。  生まれて個性が見える頃からずっとマイペースな次男は、朝も自分のリズムで動く。それでいて遅れがちになると途端に学校に行く気を無くすという、面倒な性格だ。  はやく準備して、はやく出よう、はやく、はやく……。  効果がないことはわかっているのに、次男に向かって繰り返す。  繰り返すたびに、気が重くなる。  ようやく二人で家を出て、家の裏手からぼちぼち歩き始める。ゴミ出しのある日はゴミを持って、雨の日は傘を持って、  そこは通勤の車が渋滞を避けて入ってくる通りで、できるだけ車道から遠ざかり、脇の草を踏んで歩いたり、水たまりを飛び越したり、落ち葉をガサガサ賑やかして歩く。  はやあしー、いちに、いちに。  ペース作りは任されている。これが、難しい。遅すぎるとはやく行ってと言われ、速すぎるといつの間にか知らんぷりでついて来なくなる。自分で先に好きなはやさで歩きなよ、と言ってしまうとたいてい怒って牛歩になるので、機嫌を損ねないように、多少無理矢理でも盛り上げる。ついでに自分の頬も、ぐいっと上げる。  丁字路を過ぎると歩道が現れて、いくらか安全になる。  角に一軒家の敷地ほどの菜園があって、綺麗に手入れされ、周りにコスモスが植えられている。あの葉っぱはなんだ、じゃがいもだ、あ、立派なオクラが上向きだ、と会話が弾めば調子がいい証拠。今は……しなびた植物が土の上に折り重なって、漉き込まれるのを待っているようだ。残念。代わりに、コスモスと背比べをするが、いまいち乗り気でないようだ。  この歩道には、白木蓮の木が電柱よりもたくさん並んでいる。春は真白な花を咲かせて見事だ。夏は丸くて大きな葉が茂り、秋にほんのり色付きながら葉が落ちると、冬はもこもこ、つんつん、産毛に包まれた芽がたくさん。  あれ、歩道に落ちた木蓮のタネの、あの特徴的な毒々しい形と色は、いつも踏みかけてびくっとなるけど、どの季節だったかな。春でしょ、なんて、次男が適当に答えると、すこしホッとする。  次に通り過ぎるのは、まめに草刈りをされる空き地、そして駐車場。てくてく歩いて、ソーラーパネルの横を通り過ぎ、住宅街に入っていく。ゴミ捨て場はすでに通り過ぎているから、私は手ぶらでぶらぶら歩く。  さて、そろそろ正念場。住宅街から次の丁字路までの真っ直ぐな道は、次男の郷愁を強めがちだ。  ここに来るまでに一度でも次男を冷たくあしらっていたら必ず、そうでない時は三日に一回、ここらへんであの言葉が出る。 「行きたくないなあ」  明るく盛り上げようとして、気のないゲストを迎えた司会者のように張り切るせいで、このあたりですでに疲れてしまっている私は、この言葉にどすんと凹む。  次男は、学校に楽しさを見出せないらしい。勉強にはそう苦労していない。友達と喧嘩もしていないし、仲良くふざけ合って遊ぶけれど、それでもやっぱり、行きたくないらしい。  毎朝起きた時から10回は呟かれるけれど、この道で言われる言葉が、一番重たい。どう返すべきかが、とても重要になる。けれど正解は日替わりか、次男の気分次第なので、いまだに攻略は完全ではない。  そうだね、行きたくないんだね。  秘技、復唱戦法の間に、歩を進める。ここらでお友達が声かけてくれるといいのだけれど、残念ながら、遭遇できたことはない。  何度も話を聞こうと努めたけれど、次男は自分の気持ちを言葉にするのに、過ぎるほど慎重だ。さらにおそらく大人だって、月曜の朝のあの気の重さを表現するのは難しいだろう。  次男の気持ちに任せて休ませ、布団で一日過ごさせたこともあるし、遊びに行ってみたりもした。理を説いたこともあるし、大したことないよと笑い飛ばしたこともある。怒ったり泣いたり困ったり、先生やスクールカウンセラーにも相談した。  最終的に、次男は言った。 「わかってる。でもいやなんだもん。言わせてよ」  言うだけなら自由だけれども。  登校してしまえば楽しめることも理解している様子なので、本当に、難しい。気持ちはわかるけど、もっと前向きに楽しんでやろうとか、自分に克つぞ、というテイストの気持ちは持てないだろうか。持つ必要がわからない? そうか……。  というわけで、毎朝の付き添い登校である。  年間の成功率はおいておいて、今日は成功だ。お腹も足も痛くならず、真っ直ぐの道の終わりに差し掛かった。  次男とふたり、腰高の石垣の上、フェンスの足下に生えた草を覗き込む。  背は高くない。茎は3、4本、自立せず地面に力なく広がって、丸い指先ほどの葉っぱを二個セットでずらりと付けている。よく見ると、葉の影から細い茎が下へ伸びて、地面に潜り込んでいる。  落花生だ。夏の前に見つけて、ずっと成長を見守っている。  次男が細い茎を摘んで、そっと引っ張った。簡単には抜けなそうだ。畑ではない地面は固い。  それでも、それこそが落花生が元気である証拠だと受け止めたのか、次男は満足げに手を離した。そしてにやりと笑うと、行ってきます、と言って歩き出した。  通学の道のりとしては、まだ半分。けれど、そろそろ友達とも出会いそう。たぶん、お母さんと一緒に登校していると指摘されたくはないのだ。そこは、そろそろ一人前。今日に限っては、だけど。  時には、もう少し来てほしい、と言われて付いていくこともある。  やっぱり行きたくないなと、校門の前で1時間立ち尽くすこともある。  この先にはちょっとした公園もあって、並木も綺麗だ。でも今日は帰れるのだから、帰ろう。  ランドセルが緩やかな曲がり道で見えなくなるまで見送って、私も、来た道を帰り始める。  帰りは、自分のペースだ。ぼんやり辺りを眺めながら、一定の速さで足を動かす。  太陽が低い時期は、脇道に向けて設置されたミラーに朝日が当たって、反射光が道路に落ちる。それが光の魔法環に見えて、ひそかに心を騒がせる。あのミラーに魔法陣の切り絵をはったら、綺麗に映るだろうか、なんて考える。  住宅街の中に、南の海の色の屋根に、芽吹いた時から深紅のモミジが映える家がある。いつもその家を見て、みる……と呟く。みる、なんだっけ。青の仲間だ*。みる色。子供の頃友達が持っていた、少し本数の多い水彩絵の具セットに入っていた色の名前な気がする。海の漢字が付く色。海と珊瑚の色だものね、と一人納得する。  帰りのこの道で考えることは、いつも同じような気がする。  道沿い右手にずっと伸びる石垣と、その上の隙間なく茂ったコニファーの生垣が、夏も秋も冬も、あまり表情を変えずに立っているからかもしれない。春だけは、この石垣はトカゲの天国となっているので、視線は常に石垣固定だ。  生垣の頭の上のほうに、どんぐりの木が枝を伸ばすこともある。今は生垣と同じ面で、ばっさりと切り揃えられている。枝が伸びているときは、傘がいらないのにな、と思う。けれど次男は、イモムシが糸で降りてくるから、枝はない方がいいと言っていた。  住宅街を出る角を曲がる時には、往路では気づかなかった、輝く荒地に目を細める。 低い位置の太陽に向こう側から照らされて、土砂利の駐車場にしょぼしょぼと生えた草が、光を弾いて銀色の斑らな絨毯になる。鳥の声も近くなる。よくいる鳥だ。スズメにシジュウカラ、煩いムクドリに、ハトやカラス。たまにアカハラや、オナガを見るよと言ったのは、長男だったか、次男だったか。  この時間になると、住宅街の端っこの家でおじいさんが一人、高枝切り鋏を持って作業を始めている。見慣れない大きな木、次男曰くのりんごの木の手入れに余念がないのだ。今日は、木に残った葉を落としているのだろうか。まだ、赤い実を見たことはないけれど、実るといいな、と思っている。きっと次男が一番に見つけるだろう。  空き地は、草が光を白く弾きながら柔らかく風に靡くのが、美しい。ほんの小さな草原だけど、ナウシカの世界から切り取って来たようだ。夏の終わりごろから、この空き地は虫の鳴き声が絶えない場所になる。ジー、という単調なオケラの声もとても近くで聞こえるけれど、姿は見えない。次男が道でオケラを拾って帰って来たのは、去年だったか。今はどの虫ももう眠っているのか、静かだ。  木蓮の歩道に戻ってきて、その足元を見ながら歩く。時々、よく見る犬の散歩をしている人やランニングをする人に出会って、会釈をしたり挨拶をしたり。それでも視線はちらちらと、土の上。特に雨の次の日は、楽しみに見てしまう。なぜって、キノコが生えるから。キノコは、見つけるといいことがある気がする。  コスモスを眺めて、丁字路を曲がり、すでに通る車が減って静かな裏道に入る。  裏道の脇には、榎と桜の大木が並んでいる。それがちょうど半分ずつずらして重ねたような具合で、視野に入る。行く時は見えない景色。その奥行きが、結構好きだ。榎は茶色く褪せている。とてもよく似た茶色い木がずらりと並び、合間に桜が、遠慮がちに赤を足している。  春はこれが、桜並木になる。榎がまだ、冬眠しているような時期だ。  ふと思い出す。  長男のハレの日。夫が長男と手を繋いで、私は次男と手を繋いで、初めてこの道を通った日は、桜の見頃を過ぎて、吹雪のように花びらが舞っていた。もう7年以上前だ。  子供の緊張より、入学式の時間ばかり気にしていて、ばたばたと撮った写真を後で見て初めて、強張った顔に気がついたな。長男だけではなく、次男も、頬を固くして笑顔がなかった。夜の食事会では、それはもう、はしゃいでいたけれど。  次男も追いかけて入学して、それから五年経つのに、まだその強張りが取れないようだ。あと何日、二人で同じ道を歩くのだろう。きっと次男にも、わからない。  でもそれは、緊張や焦りで急ぎ足に通り過ぎていい時間ではないかもしれない。  繰り返しに見えても、同じ季節は二度とない。同じ日も、同じ朝も。  同じことを、毎朝思っている。一人で帰る時も。学校に行かずに引き返して来た次男と、連なって歩いて帰る時も。  だから今日も思う。実際に成功することは滅多にないけれど。  明日は、はやくはやく、と言わないでみようか。 *海松色(みる色)、本当は緑系統、オリーブ色です。調べました!
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