嘘つきな彼

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   市役所に派遣中の刑事から、職員用の男子更衣室から小型カメラが発見されたと連絡が入った。秋乃翔平は自家用車に乗り込む寸前で清瀬からそれを聞き、清瀬と共に市役所へ急いだ。  発見者は二十七歳の男性職員で、なぜか顔には真新しい痣があった。顔色がなく、瞬きばかりしている。清瀬が「その怪我はどうされたんですか」と問うと、側にいた強面の刑事が「生活保護受給者とトラブルになった」と簡潔に答えた。 「加害者と面識があるわけですね。被害届を出しましょう。泣き寝入りなんかしたらダメですよ。こういうのはエスカレートしますから」  柔和な態度で清瀬は言うが、男はか細い声で「結構です」と断った。  清瀬は構わずメモ帳を取り出し、「相手の名前は?」と質問する。男は答えない。 「首にも痕がありますね。助けが来なければ命を落としていたかもしれない」  男が身震いし、首に手を触れた。 「清瀬、追い詰めんな」  強面が咎めた。 「ただの痴話喧嘩じゃないんですよ。広く知られるべき事案です。神谷さんこそ、知っていたなら被害届を出すよう勧めないと」 「僕が断ったんです。大事にしたくなかったから……」  男が項垂れた。 「業務上のトラブルですから、繰り返さないためにも対策を講じ」 「た、対策して防げるような問題じゃない。僕は運が悪かったんです」 「ですがどこでも起きうる事件です。役人が生活保護受給者に逆恨みされ、暴行された。こんなの見過ごせるわけがない」 「清瀬、出ていけ。あとは俺一人でいい」  強面が言い、清瀬は頬を強張らせた。 「盗撮事件を別件で上書きしたいんだろ。ムキになんな。今日は帰れ」  上書き? 秋乃はピンと来なかったが、清瀬は図星らしく、顔を赤くした。不意打ちの素直な反応に思わずドキッとした。彼のそんな表情、久しく見ていなかった。  清瀬は口を開いたが、結局何も言い返さず、更衣室を出て行く。秋乃も後に続いた。 「清瀬」 「帰ってていいよ。俺は残るから」  清瀬は正面玄関を出てすぐの、パーテーションで目隠しされた喫煙所に入っていく。 「どうせなら一緒に帰ろうよ。俺の車で来たんだし」  喫煙所には清瀬だけで、秋乃はL字の位置に体を据えた。 「いい。先帰って」  車の中で「好き」と言ったり、甘いミルクコーヒーを渡してきたり、こっちの殻をガンガン叩いてきたくせに、急にそっけない。そんな態度に胸がざわつき、殻が打ち破られてしまったことに気づかされる。 「……責めないのかよ」  たっぷりと時間をかけて紫炎を吐き出し、清瀬は言った。 「……俺は、伊藤が犯人で間違いないと思ってた。お前は伊藤と自分を重ねて、ゲイだってことを周りに知られるのが可哀想だからって、それっぽい理由をこじつけて捜査を長引かせようとしてるんだと思ってた」  清瀬は一息に言った。 「でも俺が先走りすぎてたんだ。俺は伊藤の居場所を奪いかけた。お前が昔、それで傷ついたって知ってるのに……」  彼は自分がゲイであることを大っぴらにしている。なんならそういうのを隠している方がダサい、情けない、と非難するタイプで、秋乃とは正反対だった。でも今の彼は、その時と少し違うような気がした。隠したい者の気持ちを尊重している。 「……ありがとな。昨日、止めてくれて。取り返しがつかないことをしてしまうところだった」 「俺もありがとう。大輝に怒ってくれて、嬉しかった」  清瀬は寂しそうに笑った。「いいよ」と言ってまたタバコを咥える。 「……伊藤くんはカメラを仕掛けたわけじゃなくても、大輝をハメたのは間違いない。だから……そんなに気にすることはないと思うよ」  清瀬はこちらを見ようとしない。タバコを咥える姿が、「早く帰れ」と言っているみたいで切なくなった。どうにか彼を振り向かせたくて「武瑠」と呼ぶ。自分が「大輝」と口にするたびに、彼が目の下の皮膚を引き攣らせることに秋乃は気づいていた。  思惑通り、清瀬が驚いたようにこちらを見た。下の名前で呼ぶだけでそんな顔をするのかと、秋乃は胸が詰まった。 「一緒に帰ろう」  清瀬は瞳を揺らし、俯くと灰皿にタバコを押し付けた。顔を上げ、頼りない目を向けてくる。 「俺も、お前のこと下の名前で呼んでいい?」  この答えは復縁に直結するだろう。そしてここで断れば、もうそのチャンスは二度と巡ってこない。チャンス、と考えている時点で、答えは決まっているようなものだった。 「いいよ」  答えると、彼の強張っていた頬がふっと弛んだ 「そば……行っていい?」  声が上擦りそうになるのを堪え、「いいよ」と答える。清瀬が大股で近づいてきて、至近距離で目が合う。 「キス、していい?」  答える代わりに顔を寄せ、唇を重ねた。前触れもなく涙が溢れた。五年前にフラれた瞬間から本当は、自分の方がこうなることを望んでいたのだ。彼の唇に舌を差し込む。急にがっつかれて驚いたのか、彼は身を引いた。 「キスしたかったんだろ」  それだけ言ってもう一度。今度は抱きしめ、自由を封じた。 「んっ……」  タバコの臭いをかき消すように彼の口腔を舌で突く。タバコなんて昔は吸っていなかった。彼とは二十歳を迎える前に破局した。  角度を変え、薄い唇を貪った。急にスイッチが入った元恋人に清瀬はついていけないのか、舌先がぎこちない。淫雛な手つきで腰を触れば、彼はびくりと体を震わせ、鼻から抜けるような吐息を漏らした。  話し声が聞こえてきて、秋乃はパッと唇を離した。足音はパーテーションのそばを通り過ぎ、離れていく。 「帰ろう」 「……ああ」  車に乗り込むなり、清瀬は「俺んち天竜川の方だから」と言った。
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