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わたしの村は貧しかった。
この村だけではない。どの村も同じように貧しかったはずだ。
国は今、ふたつの大国によって引き裂かれていたから。
それでもわたしは、村を束ねる父さまの下、ゆたかではなくとも平穏な暮らしをしていた。
家には、村の普通の家々ならばめったに持ってはいないであろう、いくつかの書物すらあった。
わたしは「おはなし」が大好きだった。
本に書かれていることだけではなくて。
日々の畑仕事のせいで、いつも疲れ切って不機嫌な村の大人たちが、まれに酒でも飲んでくつろぐと思い出して語り聞かせてくれるような、村で起きた昔の出来事や古い神さまや精霊たちの話も。
「おはなし」ならなんでも、わたしは好きだった。
家の本の中に、一冊、異国のことを記したものがあった。
金銀に貴石を埋め込んだ歯車仕掛けの小鳥や、たくさんの尖塔を持つきらびやかなタイルの宮殿。
行き交う人々には、炭のように黒い肌を持つものがいて。
繻子織と天鵞絨の服に、金襴緞子の腰帯を締めて白い帽子を被った緑の騎兵が、海べりの断崖を駆け行く――
そんな事々を記した本が。
その国がどこにあるのか。
それが今でも、本当にあるのか。
わたしには、なにも分からなかったけれど。
でもそれでも、わたしは、その本が好きだった。とても好きだった。
緑と枯草色。
季節によって、どちらか一色に色づく平地が、遠い山脈のふもとまで果てしなく続く。
そんな「この場所」とは全く違った国のことを、わたしはいつも、心のどこかに思い描いていた。
そして。
この村での平穏な日々が、これからもずっと続いて行くのだと。
そう思っていた。
でも、ある日突然に、それは変わってしまった。
なにもかも、変わってしまった。
黒い馬にまたがり平野を駆け巡る民が、村にやってきた。
値打ち物など何もないこの村からは、わずかの金銀と水と食べ物くらいしか奪えないのに。
否、初めから、彼らの目的は「物」じゃなかった。
彼らは人さらいだった――
黒い馬の民たちが村からさらったのは、わたし以外には、西の麦畑を手伝っていた男の子がふたりだけ。
村の皆に、逃げ隠れするいとまはなかった。
つまり、この寂しい村には、人さらいの気に入る人間すら、それほどはいなかったということなのだろう。
わたしと男の子たちは、村から離れた場所に停められていた馬車の荷台に載せられた。
形ばかり日よけの幌がかかっているだけの、板張りで吹きさらしの荷台の上で揺られ続けるのは、ひどくくたびれる旅だった。
わたしたちよりも先にさらわれ、荷台に乗せられていた人たちも、一様に青ざめた顔をして、くちびるを噛み締めていた。
人さらいは、無体なことは決してしなかった。
でも、だからといって、やさしく扱ってくれたとは言い難い。
飢えない程度に食物と水を与えられ、夜だけは馬車を止めて、野中に張った粗末な幕屋の中で寝かせてもらえる。
そんな程度の扱いだった。
そして、ある日。
わたしたちは港町にたどり着く。
長い荷馬車の旅は、そこで終わった。
歩いているたくさんの人々。
箱のように四角い家が、途切れる様子もなく延々と続いている。
ああ、これが本で読んだような「街中」というものなのね?
わたしは、そう合点した。
馬車が停まり、荷台から降ろされたときには、わたしは、疲れと街の騒々しさに、ひどく目が回ってしまっていた。
「早く歩け」と、人さらいに肘で小突かれ、わたしは懸命に首筋を真っ直ぐに伸ばす。
目の前の大きな建物の中へと入らされるようだった。
そこは、古びて砂埃に赤茶けてはいたが、入口に施されている浮彫がとても綺麗だった。
その装飾を見つめて、思わず足が止まってしまったわたしは、また「早くしろ」と、人さらいに怒鳴られる。
人さらいの声が、あまりに荒々しくて怖ろしく、ビクリと肩をすくめた瞬間。
「しばし待て」と。
今度は、まるで反対のことをいう声が、ごく高いところから降ってきた。
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