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わたしは思わず、声の方を見上げる。
人さらいも他の者もみな、思わず、その声の方を振り向いていた。
青いように黒々とした馬。
美しい鞍の上に、そのひとはいた。
まだ若い……。
おそらくは、わたしを怒鳴った人さらいよりも、ずっと若い男のひと。
そのひとが身につけている裾の長い蒼い上着には、銀色の刺繍がふんだんに施されていて、頭には不思議な形で白い布が巻かれていた。
あれが、本にあった「白い帽子」かしら?
わたしは、ぼんやりとそんなことを考える。
その「白い帽子」の真ん中。
そのひとの、真っ直ぐな鼻筋のちょうど上くらいに留めつけてある綺麗で大きな石が、「蒼玉」という高価なものであることすら、辺境の草原に生まれ育ったわたしは知らなかった。
そして、そのひとは、大きく反った立派な太刀を腰に帯びていた。
このひとは、「騎兵」なのかしら?
でも……「緑の服」は着ていないのね。
とりとめもなく、そんな事を思い巡らせながら、わたしは瞬く。
すると、そのひとがわたしに向かって問いかけた。
「どこから来たのだ?」
それは決して大声ではないのに、とても深々とあたりに響いた。
どうしても答えを拒めない、そんな響きだ。
わたしが、自分の村がある草原一帯を示す地名を答えると、蒼い衣のひとは、ゆっくりと頷いた。
このひとは知っているの? あんな遠い場所のことを。
そう驚くとともに、わたしは、そのひとが先からずっと、街中の人々が喋っている聞き知らぬ言葉ではなくて、わたしに分かる言葉で話しかけていることにも気づく。
続けて「歳は?」と問われ、
「もうすぐ、十五です」と答えた。
すると、そのひとが人さらいに、
「これを貰おう」と告げる。
「これはこれは、さすがパシャ。お目が高い」
人さらいは、深々とこうべを下げて、そのひとに応じた。
そして顔を上げると、こう続ける。
「北の方の田舎者にしちゃあ、なかなかに臈たけたところのある娘でございましょう? 今は長旅で埃まみれになっとりますがね、なあに、ちぃとばかし磨きをかけてやれば、見違えまさぁ。それこそスルタンのハレムに置いたって、そう見劣りしますまいよ」
調子づいたのか、人さらいは話を止めようとはしなかった。
「ですが、パシャ。念のため、脱いだ身体の方を見なくても良いので? いえね、こいつらはこれから、風呂場で汚れを落して、セリ市にかけるんで」
そんな人さらいの長話を、「パシャ」と呼ばれた馬上の蒼い衣のひとは、
「構わぬ」のひと言で黙らせた。
そして、「このままでよい」と続けると、パシャは人さらいに皮袋を投げ落とした。
ずっしりと重たげなそれを、人さらいは、慌てて両手で受け止める。
けれど人さらいは、その皮袋を慇懃に押し戴きながらも、今一度、ちらりと上目遣いで馬上の貴人を見上げた。
「なんだ……『足りぬ』とでも言うか?」
パシャの口の端が、苦々しく歪む。
「いえ……ですが、パシャ。この娘はめったない上物でして。セリにかければ、いくらの値が付くことか。そうなれば仲買人の取り分も増えるというわけでして。わたしらも仲買人にも不義理できませんし、なんといっても長い付き合いですから……」
クドクドと言い訳を並べ立てる人さらいを、馬上の貴人が、
「欲をかくな!」と一蹴した。
「奴隷一人に、これほどの銀を出す仲買人が、どこにいる?」
胆力あるその声音に、人さらいも、思わず身体をこわばらせる。
けれどパシャは、次の瞬間には、ごく涼しく、その気高い口もとを解けさせた。
そして、もう一つ小さな革袋を取り出すと、人さらいへの膝へ落とす。
「これで仲買人にも手間賃を渡せばよかろう」
人さらいも、もうそれ以上、四の五の言うことはなかった。
そしてわたしはといえば、その間ずっと。
すっきりと凛々しく雄々しい馬上のひとの横顔から目が離せずに、ぼうっと呆けたように佇んでいた。
すると次の瞬間、私の身体が、突然、ふわりと浮き上がった。
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