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 夢を見ていた。赤毛の鳥と空を舞う夢だ。赤毛の鳥は、楓人を背に乗せ闇夜を滑降し、満点の星空を独り占めするような感覚を体験させてくれる。とても気持ちがよい。久しぶりに見た夢をもう少し堪能したい。そう思いながら夢見心地でいた楓人の元へ、近寄る物影がひとつ。 「…………おい起きろ。起きろって」  聞き覚えのある重低音が狭い空間を震わせる。腹の底から放たれる声音は、求めている人物のものではないけれど、なぜか安心するのはどうしてだろうか。楓人にはその理由が思い浮かばない。 「おい、楓人。起きてるんだろ? ったく、またこんなところにいやがるとはな。せっかく俺が隠れて会いに来てやったのに、呑気によだれ垂らして寝惚けるな」 「ん…………ん? また? アーサー……さん?」 「ああ、そうだ」  慌ててベッドから飛び起きると、確かにそこには、仏頂面した赤毛の男が鎮座している。地面はコンクリートなのに冷たくはないのだろうか。  驚きのあまり素っ頓狂な奇声を上げそうになり、静かにしろと睨みつけられる。 「あ、あの、ウィルは、ウィルからの、連絡はありましたかっ?」  覚醒してすぐに飛び出た質問が、ウィルの安否に関してだったのでアーサーに嗤われてしまった。最初に耳にした「また」という部分が引っ掛かるものの、アーサーは教える気はないようだ。 「とにかく落ち着け。一報はなにもないが、アイツは簡単にやられるような玉ではないぞ」 「で、でも、鏡が割れることは不吉だって言うじゃないですか!」 「ああ。それも諸説あってだな、鏡が持ち主の身代わりになるとか、別に鏡を割っても不幸にはならなかったとか、要するに、たまたま起こっただけの不都合を、割れた鏡のせいにしたいだけだな」  それにアイツとは双子だから、なにかあれば感覚でわかる──そう言われてしまえば納得するしかなかった。双子のことは双子にしかわからない。天涯孤独の身である楓人にはとうてい理解できない。 「そうですか……」 「で、本題だが楓人。お前がやったのか?」 「違います! アーサーさんも僕を疑ってるんですか?」 「んなわけあるか、確認だよ確認。調書が必要になるんだよ。恐らく誰かがお前を嵌めようと鏡を割って、罪を擦りつけたんだろう。寧ろ災難はウィルではなくて、お前に降りかかってるだろ」 「……これは自業自得だから、構わないんです」 「まぁな~。俺の忠告を無視して、さっそく余計なことに首突っ込んでるしな」 「うう……」  図星ゆえに反論の余地はなかった。落ち込んでいるとまた嗤われる。 「なぁ楓人」 「はい? なんですか。なんか怪しさを感じるんですけど……」 「勘が冴えてるじゃないか。ここから出たいか? 俺なら出してやれるぞ?」 「ほ……本当ですか?」  無実なのだから出たくて当然だ。蝋燭の火しかない暗くて少しだけ肌寒い、コンクリートと鉄格子の狭い空間は居心地がよくない。地下から三階に戻りたい。 「ああ、条件つきだけどな」 「…………条件とは?」 「──――俺と寝ることだ。セックスだな」 「……………………はぁ?」  にやにやしながら告げたアーサーに、思わず自分と相手の立場を失念するような態度を取ってしまった。予想もしなかった方法で揶揄されてしまえば当然だろう。酔っ払いの戯れ事のようだ。 「一発どうだ?」  右手の人差し指と親指で輪を作り、左手の人差し指を出し入れする。とても下品だ。眉間にしわを寄せ不快感を露にした楓人は、そっぽを向いて抵抗する。 「しません!」 「なんだよ、つまんねーな。ウィルが戻るまで牢屋に居続けるつもりか?」 「別にいいですよ、そのくらい」  アーサーを頼ろうとしたのが間違いだったと思い知らされる。最初からそのつもりだった。二、三日くらいなら耐えられる。 「なんでだ? 一人は寂しいだろ」 「僕にはアレシアさんが貸してくださった本がありますから、別に寂しくないです」 「なんだ可愛げないな」 「可愛くなくていいですっ!」  盛大に嗤われアーサーの玩具にされてしまった。面白いわけがない。  それからウィルとミシェルが帰還するまでの間、アーサーは頻繁に楓人の様子を窺うようになった。アーサーすら手懐けたと巷では噂になっていると耳にし、憤慨するも本人は愉快そうだ。一発やろうと言われたのも一度や二度では済まない。  段々と楓人も無遠慮になり「代理なのに暇なんですか?」と突っ込みを入れたり、「ちゃんと働きなさいと、執事さんから言われるでしょ?」など言うようになった。アーサーなりに楓人を気遣っているのだろう。ベッドに誘われるのは嫌だが、暇潰しと称して話し相手になってくれたのは助かっていた。少しだけ打ち解けたような気がした。
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