第1話 日常が壊れる時~それ以前に壊れていたかも……~

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第1話 日常が壊れる時~それ以前に壊れていたかも……~

 その日の朝。窓から見えたのは、どんよりと曇った空でした。今にも雨が降り出しそうな、そんな空。  ――その瞬間、私は悲しくなりました。そして、泣きそうな気分になり――って、ちょっと待って! おかしい! おかしいって!!  何故、私は泣きそうになってる!?   今日は休日! 曇っていようがなんだろうが休める日。泣く理由が何処にあろう?  確かに首のヘルニアは痛いと言うか気持ち悪いけど……最近あんまり眠れなくなったけど……。  症状はキッツくても、そんなに酷くはないって整形外科の先生仰ってたはず。いや、『はず』じゃなくて確かに仰ってた。  なのに……なんで、私は泣きそうになってる?   今、自分で自分に突っ込んだけど……突っ込めたけど、大丈夫なのかな……私……――  そうやって考える中で、私の脳裏(のうり)には、一つの『病名』が浮かんでいました。   それは、理解出来る人と出来ない人がいる厄介な病気。  知名度もイメージも、今よりずっと悪かった――それを(わずら)ってしまったら、病院のその『科』にお世話になる病気になってしまったら、人生終わりみたいに思われていました。   少なくとも、私の周りの人々の大半はそんな認識だったはず……だと思う。  その病気の名前は――『鬱病(うつびょう)』  今でこそメジャーになったけれど、それでも感覚的に理解出来る人と、出来ない人とに分かれてしまう、未だ理解され(にく)い病気。  あ、ここで、『なんだ、鬱病のことか……』とか思ったそこのあなた! こんなもんじゃあございません!  どうか、このまま読み進めて行って下さいな。  私は首のヘルニアや鬱病だけでなく、世にも珍しい。『病名もない、原因も分からない病気』にかかったのでございます。  で、首のヘルニアと鬱病に話しを戻します。  まず、厄介だったのは首のヘルニア。その所為(せい)で私はまともに眠れなくなり鬱病にかかり、遂には仕事をやめて、治療に専念しなくてはなりませんでした。 『一番の原因は首のヘルニア。それが原因で鬱病にかかった』  私は家族にそう話しました。  が――鬱病が理解出来ないのは、『まだ』しょうがないと思います。  しかし、「首のヘルニアにかかったことが理解出来ない。納得出来ない」とか、言われても私とて困ります。  (のち)に分かったことですが、首のヘルニアはどんなに体を(きた)えていても、とある条件が(そろ)ってしまえばかかってしまう病気なのです。  当時は私もはっきり『これが原因だ』と、思えるものが分からず困りました。  何しろ父なぞは首のヘルニアと鬱病にかかった私に「お前が体を鍛えてないから!」「なんで仕事をやめなきゃならない!」「自分で車を運転して病院に行けるだろう!?」「仕事やめてこれからどうする気だ!?」「このままだと将来、野垂れ死にするぞ!!」……鬱病にかかった人間に言ってはならない言葉も交ざっていますよね。これ……いや、確実に交じってますよ。今、書いて冷静に見ると。  これらの言葉を、ほぼ毎日言って来るのです。    案の定。と言うか当然の如く。私の鬱病は悪化して行きました。  ストレスもガンガン溜まって行きました。  私は大好きだった小説が読めなくなり、漫画にもテレビにも、興味があった殆どのものに、興味を失って行きました。  そして――その時はやって来たのです。  それは◯年前の二月。節分の何日かあとだったと思います。  本当は節分の二日()。二月五日だったと思いますが、うろ覚えなので、断言は出来ません……。  私は、一週間ほど前から物を食べる、もしくは何か飲むと必ず具合が悪くなる。そんな状態を繰り返していました。  その日は朝から殊更(ことさら)胃痛が増して我慢出来なくなり、掛かり付けの個人病院で胃カメラをお願いしようと、母に頼んで車を出して貰いました。  でも、その病院の胃カメラは故障中。  私の症状を聞いた先生は、大きな病院に紹介状を書いて下さいました。  その病院は、先生のご家族――ご家族にも医師がいらっしゃるのです――が、時々、応援に行っている大きな救急病院でした。  私は母に頼んでその病院に行き検査を受けました。  その結果、緊急手術が必要と言われたのです。   が、手術出来る先生の手が()いておらず、私は母に付き添って貰い一晩中苦しんだ『はず』です。   しかし、その夜の途中からの記憶は、定かではありません。  それどころか、次に気がついた時には、私はストレッチャーの上で『二回目』の手術に向かう途中でした……。    
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