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挙式後のひととき
ハワイ挙式を終えて帰国した数日後、優梨はいつになく真剣な表情でスマホを覗いていた。
新会社設立の件だろうか……。
それであれば下手に口出ししない方がいいよね。
う〜でも気になるなぁ。
あれ? スマホを置いてタブレットに変えた。
資料が見えづらかったのかな。
こんなに真剣に向き合っているんだし、邪魔しちゃダメだよね。
淹れたてのコーヒーをそっと置いて寝室に退散しよう。
優梨の横にそっとマグカップを置いた時だった。
見てはいけないと思いつつ、視線が自然とタブレットに移動してしまった。
ガチャン!
思いもよらない視覚刺激により狂った手元がマグカップをテーブルの上に倒していた。
「うわっ! 大丈夫? 手、火傷してない?」
優梨はようやく気づいたのか、慌てながらも私を心配してくれている。
「う、うん。ごめん」
テーブルから溢れ落ちそうなコーヒーを素手で土手を作り乗り切ろうとするも当たり前のようにうまくいかない。
テンパるとどうも自分でも訳のわからない行動をしてしまう。
優梨がすぐに台拭きでなんとか被害拡大は阻止してくれた。
ただ、熱いコーヒーを素手で受けた私の手のひらはヒリヒリとして痛い。
「もう、何してるの? 葵らしくもない」
「ごめん……」
台所で優梨に手を添えられて火傷箇所を流水で応急処置されながら叱られるが、元はと言えば優梨があんなものをこんなところで見ていたのが悪いのだ。
「疲れてる?」
「いや、疲れてはないんだけど、その、優梨が見てたのが目に入って、びっくりして……」
「漫画読んでるイメージない?」
「あ、うん、というか、そういうジャンル読むんだなって」
「そりゃあれは読むよ」
そうだよね。そりゃ読むよね。
「すっごく綺麗だし」
うん、綺麗な絵だった。
「俺大好きだし」
そうなんだぁ。そんなに好きなんだ、意外……いや意外でもないか。
「すごく大切な思い出だし」
思い出? 昔から読んでるってこと?
いや、まぁ読んでてもおかしくは無いけど過去の恋愛とリンクしてるってことかな。
私の知らない誰かとの……
「惚れ直してもう一度恋してどうしたもんかと困り果ててるくらい」
まさか!
つい最近プロポーズしてくれたのに懐かしい漫画で心変わり?
嘘でしょ……
「わ、私じゃ物足りないのかな?」
「ん?」
「が、頑張るよ」
「頑張る?」
「うん。優梨が過去なんて忘れるくらい頑張る」
優梨が眉間に皺を寄せて眉毛をハの字に下げる。
「忘れたく無いんだけど」
敗北! 過去の女に敗北してしまった!
男は過去の女をファイリングするんだよね。保存するんだよね。上書きしてくれないんだよね。
別に上書きしなくても良いけど、せめて隠しファイル処理くらいして欲しかった。
「ねぇ、葵、何考えてるの?」
「え? べっ別に。わ、忘れたく無いこともあるよね。うん、分かった」
私が頑張ればいずれ忘れてくれるかも。
……そう思いたい。
「葵にも忘れてほしく無いんだけど」
「はぁ?」
あまりにも酷い提案に語気が荒だった。
「やっぱり何か誤解してるよね? こっちおいで」
優梨に連れられダイニングテーブルに横並びに座ると優梨はタブレット操作して私の目の前に置いた。
「これは……」
「世界線を超えてやってきた!」
うん、意味がわからない。
タブレットには『ゲキコン』の文字。
「俺と葵の漫画が異なる世界線にあるみたい」
「わ、私と優梨の?」
優梨が何を言っているのか分からないが確かにページをめくっていくと私と優梨の話のようだ。
「うん。すごいよね! 葵ってこんなこと考えてたんだーって思いながら読んでた」
そんなことであんなに真剣な目になるんだ。
「ってか、さっき読んでたシーンって」
「すごいよね、すごいよね! リアルで綺麗だよね。葵が主人公の漫画なら女性漫画だってもちろん読むよ!」
歯を見せてにっこり笑う優梨に何も言えない。
「あっそういうことか! 頑張ってくれるんだ。これからが益々楽しみだ。毎日一緒に寝ようね♡」
言葉にしたことを後悔しながらも漫画の世界に吸い込まれ一気に5話まで読んでしまった。
「優梨……」
「ん?」
優梨の袖を掴んで見つめる。
そんなに時間が経ってないのに、遠い昔のことに思える。
ここに優梨がいてくれる事は奇跡なのかもしれない。
「一緒にいてくれてありがとう」
私が微笑むと優梨は嬉しそうに優しい笑みを浮かべた。
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