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そもそも、コーヒーをブラックで飲むのは、嫌いだった。
ラテならいいが、コーヒー単体を飲むとなるとクリーマーかミルク、砂糖をたっぷり入れないと、苦くて耐えらない。
……そう、つい最近までは。
その私が、我慢してブラックのコーヒーを飲むようになったのは、アイツのせいだ。
「ツキカさんって、コーヒーに砂糖をたくさん入れるんだね?」
ある日、アルバイトの休憩室で二人きりになった瞬間、アイツはデリカシーもなく私に言った。
アルバイト先は休憩時間に、客用のコーヒーを自由に飲むのことが許される。だから、休憩の度に、私や俊介はコーヒーをためらいもなく飲むのであるが、……。
本当はティースプーンであと2杯は砂糖を入れたいところだ。しかし、恥ずかしくて手を止める。
「俊介くんは砂糖を入れないの?」
「オレはブラックが好きだから。この苦味が美味しいんだよね。それにブラックの方がカロリーが低いしね」
ムカつく。
カロリーの話を私にするなんて。
俊介はスタイルがいいし、いつもアウトドアメーカーのブランドを着こなして、オシャレだ。
痩せている俊介がブラックのコーヒーを飲む真ん前で、痩せていない私が砂糖とミルクを大量に入れたコーヒーを飲んでいると、惨めな気持ちになる。
「ブラックが好きって、まるで大人みたいなことを言うね」
「だってオレたち高校2年生なんだから、大人みたいなもんじゃん。今は18歳で成人なんだからな」
「私は、ブラックが飲めないお子様でいいよ」
「ツキカさん、かわいいね」
ムム、ムカつく。
その「かわいい」は女子としてではなく、小動物を見るような言い方だ。
私にこれっぽっちも気がないくせに。恋愛対象じゃないのに、「かわいい」なんて言ってほしくない。
「それ、セクハラだよ」
「え?」
俊介は、急に困惑した表情になった。
「私はかわいくないし、痩せてないし、そんなの自分でもよく分かってるし」
「いや、そんなことないよ。それにツキカさんって太ってないじゃん」
「太ってるよ。そんな言い方も、セクハラ!」
「ごめん」
頭を下げて謝り出した。そうだ、もっと罪の意識で苦しめばいい。
「俊介くんにかわいいなんて言われたくもない」
「分かったよ」
「それに、俊介くんは……」
「何?」
(スタイルもよくて、かわいくて、ちょっと天然なアイミのことが好きなくせに!!!!!!!)と喚きそうになったが、何とか抑えることができた。
「何でもない! もう私は仕事に行く」
私はけたたましく音が鳴り響くほど強く力を入れ、ドアの扉を閉めて、休憩室を出た。
私と俊介は、同じ地元の高校のクラスメートだ。
土曜と日曜の昼に、私たちは近くのホットドッグを販売する「FUCHITEI」という店舗でアルバイトをしている。
オーナーの名前がフチさんというから、この店舗名になったらしい。
「にぎわいの森」というその名のとおり、森の中につくられた屋外商業ゾーンの一角に、この店はある。
俊介はフチさんと一緒に、カウンター奥のど真ん中にある薪窯で、無添加の手作りソーセージを焼き、フランスパンにはさんだホットドッグを提供する。
私や他のアルバイトスタッフは、レジで先に注文を聞いて会計を済ませ、ドリンクやセットのサラダをプレートに並べるなどの作業を行っていた。
この店は特に土日が人手不足で、高校生のアルバイトを常に募集している。
フチさんに信頼されている俊介が、「ツキカさん、肉好きだろ?」と失礼な言い方でこのアルバイトを紹介されて、もう一年になる。
ちなみにムカつく俊介が、おそらく好きであろう美人で評判のアイミも同じクラスだが、この子については追い追い紹介する。
「何が『かわいい』よ。だったら、私と付き合えるっていうの? そんな気、全然ないくせに、ムカつく。ムカつく。ムカつく」
呪いの呪文を唱えるように、ブツブツ言いながら通路を進んで店の接客に戻る。
鬼のような形相になっていたのだろうか、同じフロントの姉さん的存在、カツコさんに「笑顔になりなさい」と注意された。
「いらっしゃいませ」
無理矢理、笑顔になってお客さんの対応をしながら、この瞬間に、心の中で決心した。
キレイになって、俊介を見返してやる。
それに、……コーヒーもブラックで飲んでやる。
それから2か月かけて私は、自分を大きく変えた。
毎日、高校のクラスでも俊介と顔を合わすのだが、休み時間や放課後にはいつも俊介の周りに仲のいい男子がいて、二人で話ができるタイミングなどない。
私は、学校でいつも人気者の俊介を横目でチラリと見るだけ。何度もチラ見しないように気をつける。
浮いている私には、いつも周りに誰もいない。だから、俊介は簡単に声をかけられるのに、俊介はそんなことをするはずもない。
私、悔しくて、悔しくて、悔しさで悶絶して、痩せたんだよ。
いい加減、気付きなさいよ。そして、「キレイになったね」くらい言いなよ。
アウターも、オシャレな北欧アウトドアブランドのノルディスクを着るようになった。
それだけじゃない。前は興味なんてなかったジャズをダウンロードして聴くし、歴史小説も読むようになった。
どれもこれも、みんな、俊介がアルバイトの休憩時間に教えてくれたものだ。
見返してやるつもりで自分を変え出したのに、気が付いたらすっかり、俊介に染まっている。
いつも、俊介のことで頭がいっぱいだ。
本当は、私を見てほしい。
……私だけを見て、話しかけてほしい。
どうしたら、いいのか。
どんな風に話しかけたら、自然な流れで俊介に近づいて、会話ができる?
その時、人影が挙動不審な私の後ろから、サラリと抜け出した。
「俊介くん、ねえ、ちょっと見てよ。パタゴニアのウェアを買ってみたの。軽くて良くない?」
出たな、アイミ。
クラスのキラキラ女子だ。美人で、男子ウケがいい。
いいな。あんな風に無邪気に、自分が話しかけたいタイミングで俊介に近づけるパワーがあれば、どんなにいいだろうか。
アイミは俊介の周りにいる男子など無視して俊介に擦り寄り、ウェアの生地の良さをアピールしている。
あ、ずるい! 「この生地触ってみて」とかアイミが言ってる。あ、それにノッて、アイツ、指で触った!
そういうの、セクハラだって言ったのに。
俊介がデレデレしてる。
ムカつく。
そりゃ、私と違って、かわいいアイミに笑顔を振りまかれりゃ、私なんてかすんでしまう。
「そういえばさ、ツキカさんも、ノルディスクのアウター着てるよね?」
アイミとデレデレしながら、俊介はアウトドアブランドつながりで、強引に私に話をふってきた。
アウターのこと、気付いてたんだ。
でも、やっぱり、ムカつく。こんな私が惨めな状況で言ってほしくない。
「あれ着てるツキカさん、オシャレだよね」とアイミが勝者の貫禄を見せて、話を合わせる。
あ、アイミのヤツ、しれっと俊介の肩に腕をのせてる。
「うん。そうそう」と返事しながら、俊介が頬を赤らめたのを、私は見逃さなかった。
ムカつく。
もう、許せない。
「私は、アイミみたいにオシャレなんかじゃないし、あなたたちにオシャレだなんて言ってほしくもない!」
それを聞いて、俊介は「ごめん」と謝ったが、アイミは小馬鹿にして笑っていた。
悔しくて、私はクラスから出ていった。
言われなくても、分かっている。
そりゃ、男子ならみんな、私よりもアイミの方がずっといいし、一緒にいてドキドキするのだろう。
俊介だって、そうだ。
……でも、だったら、俊介は何で私だけ、一緒に「FUCHITEI」でアルバイトするように誘ったのよ。しかもクラスのメンバーには内緒にしてさ。
つい、浮かれて、働く私はバカみたい。
ムカつく。
私だって、変わったっていうのに。
その週末のアルバイトで、俊介と休憩時間が重なる時がやってきた。
休憩を取るタイミングがうまく合って、二人きりになるのは一か月ぶりくらいだろうか。
しかし、先日のアイミとの一件があったから、どこか気まずい。
「え!」
不意に、俊介が驚き出す。
「え、え、え。ツキカさんが、コーヒーをブラックで飲んでる……?」
俊介は、コーヒーを飲む私を指差して、心配そうに言った。
「何か問題でもあるの。もう、ブラックで飲むようになって2か月は経つよ」
「どうして? 自分の好きなように飲めばいいのに」
「だって、俊介くんにバカにされるの、ヤだもん」
「それに、さ。ツキカさん、痩せたよね」
「うん」
「この前、休み時間に歴史小説読んでたし、ジャズもケータイにダウンロードしてるの……?」
やっぱり、私の変化に気付いてくれていたんだ。
「そうだけど、問題ある? 私の勝手じゃない」
私は嬉しくて、ニヤつきそうなのをグッとこらえ、強がって言う。
「オレのことなんか気にしないで、ツキカさんが好きにすればいいのに」
その言葉を聞いて、私は吹っ切れた。
心臓が口から飛び出しそうだけど、もう、俊介に染まりたがっている自分を偽りたくない。
今が、その時だ。
「私は、……好きなようにやってるの。だって、俊介くんが好きなものを、私も好きになりたいんだもん。真似をして俊介くんに染まっていけば、嬉しかったり、悲しかったりする時、一緒に共感できるから。いけない? 要するに、俊介くんを独り占めしたい。……好き……なんだよ」
ついに、告白をしてしまった。
怖くて、うつむいていた顔を、おそるおそる上げる。
すると、意外だった。
俊介は、顔を真っ赤にしている。
「実は、オレは、最近、コーヒーに砂糖とミルクを入れて飲んでる」
「え? ブラック派だったのに?」
「うん。オレも、ツキカさんに染まりたくなってさ」
え? それ、まさか!?
「このアルバイトにツキカさんを誘ったのは、……好きだから……だよ」
嘘。そんな素振りなんかまったく見せてこなかったのに。
その時、「おーい、君たち。そろそろ休憩は終了だぞー」とオーナーのフチさんの声がドア越しに聞こえた。
せっかくのいいムードが、一気に消滅する。しかし、仕事は仕事だ。
私たちは立ち上がって、戻る準備をする。
ドアを開けようとした瞬間、「そうそう、あのさ」と俊介が言う。
「何?」
「痩せなくてもいいよ」
「どうして」
「そういうのが、好みっていうか……」
ムカつく。超ムカつく。
頑張ったのに、否定するなんて。
キレイになったね、とだけ言えばいいのに。
「それ、セクハラ! 何でもかんでも、私が俊介くんの思い通りに染まるなんて、思わないで!」
また、けたたましく音が鳴り響くほど強く力を入れて、ドアの扉を閉めると、その先に現実の世界がまっていた。(了)
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