第二章

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 すっかり暗くなった園内は、装飾された電球で色とりどりにライトアップされていた。来週から、冬のイルミネーションが本格的に始まるらしいが、今でも十分きれいだ。  そんな明かりに照らされて、冬弥はぐったりとベンチに座り込んでいた。 「大丈夫ですか?」  隣に座った理久が、水のペットボトルを差し出してくれる。それを受け取った冬弥は、情けなさを感じながらも右手を挙げた。  あの後、全力で回したコーヒーカップはあの中で一番早く回っていたらしい。そう受付のお姉さんが言っていたのだと理久が教えてくれた。  教えてくれた、というのも、コーヒーカップから降りた冬弥は目が回ってそれどころじゃなかったのだ。情けない自分が嫌で、数分休んだ冬弥はいつも通りに振舞ってその後もジェットコースターなどのアトラクションに乗った。それがいけなかったのか、体力は回復するどころか悪化する一方。  見かねた理久がベンチで休むことを提案してくれて今に至る。  情けなさにため息をつきそうになった冬弥は、隣に理久がいること考えて飲み込んだ。  理久の前では、極力情けないところは見せたくなかったのに。……まぁ、今日遅刻してきている時点でダメなのだが。 「……あれ、理久くんの飲み物は?」 「大丈夫です。喉、乾いてないので」  水を飲んで少し回復した冬弥は、理久の手元に何もないことに気が付いた。 「この時期は意外と乾燥するもんだよ。少しでもいいから飲みな?」  夏と違って目立った喉の渇きが得られないのは、この時期の厄介な所だ。冬弥は持っていたペットボトルを理久の手に握らせる。  手に持ったペットボトルと冬弥の顔を見比べる理久に飲むことを再度勧めれば、ややあって理久はペットボトルに口をつけた。 「間接キスって気にしないタイプなんですね」  そんな言葉を言い残して。  思わずせき込んだ冬弥は、自分を必死に落ち着かせて理久の方を見る。ケロッとした顔の理久の唇は、水分で潤っていた。  自分が口付けた部分に、理久の小さな口がくっついて。それをまた自分が飲めば……。  間接……キス……。  冬弥が凝視していたペットボトルの口が、ティッシュで覆われた。 「り、理久くん……」 「すみません。そんなダメージが大きいとは思いませんでした」  飲み口を丁寧に拭いた理久は、キャップを閉めてペットボトルを返却してくる。  違う、言いたいのはそうじゃない。  なんで、なんで拭いちゃうかな……。間接キスを意識させたならそのままさせてくれればいいのに……。なんならいっそ、間接じゃなくてもいいくらいなのに。 「もういい時間ですし、そろそろ帰りますか?」  間接キスをひきずる冬弥と違って、意識させた理久は時計を見てそう言った。  その理久の言葉に冬弥も時計を見れば、確かに良い時間だった。  ただ、閉園時間まではまだある。もう少しだけ、理久と一緒に居たいと願うのはわがままだろうか。でも、もう少し、もう少しだけ……。 「あ。あれ乗らない?」  何かないかと園内を見渡した冬弥は、とある乗り物を指さした。  ライトアップされた園内の中でも一等きらびやかなもの。少し距離があってもすぐにわかるほどの高さがある乗り物は、観覧車だった。  遊園地デートの締めにふさわしいものではないだろうか。  理久の了承も得てやってきた観覧車は、やはり少しだけ混んでいた。  考えることが一緒なのだろう。友達グループの客も多い中で、カップルの存在が一際多いように見える。 「今日、すごく楽しかったです」  並んでいる最中、ふいに理久がそう零した。  横を見れば、理久は冬弥の方ではなく、観覧車を見上げていた。ライトに照らされた理久の横顔は、どこか儚さも感じられる。 「ありがとうございました」  そう言って視線を向けてきた理久に、冬弥は朝の出来事を思い出す。 「ねぇ、ずっと気になってたんだけど……」  理久と目を合わせたまま、冬弥は口を開いた。 「なんで今日、会った時に『ありがとうございます』って言ったの?」  一時間も遅れてきた冬弥を、理久はずっと待っていた。そしてやっと来た冬弥に、理久は怒ることも呆れることもしなかった。  安心したように、『ありがとうございます』とこぼしたのだ。 「怒っていい場面だったのに……いや、俺がこういうのも変なんだけどさ」 「来てくれたので」  聞き方が難しい、と試行錯誤していた冬弥の耳に届いたのは、理久の凛とした声だった。 「文月さんは、来てくれた」  かみしめるように言った理久の声は、変わらず凛として芯があるように聞こえる。けれど、表情は違った。  またあの表情だ。  迷子の子供のような、寂しそうな、泣きそうな顔。マネージャー室で見た表情と、同じものだった。 「……遅刻しても、来たから『ありがとう』なの?」 「はい」  迷うことなく頷く理久の表情に、変わりはなかった。少し俯きがちになってしまったけど。  そんな理久に、冬弥は一つの仮説が頭の中を巡った。 「ねぇ理久くん。俺がデートしようっていうの、嫌?」  冬弥が尋ねれば、理久は首を振った。その速度に、ウソをついていないことは分かる。 「じゃあ、デートしようって言った時、不安そうな顔をするのはどうして?」  少しずるい言い方だったなと反省する。でも、これはずっと気になっていたことだった。  最初の映画デートの時も、今回の遊園地デートの時も、冬弥が誘えば理久はまず不安そうな顔をする。なのにも関わらず、了承はしてくれるのだ。デート中も不安そうな顔はほぼしない。むしろ、楽しんでくれている方だと思っている。  理久の表情が曇るのは、誘った時だけ。 「……慣れて、ないだけです」  あぁ、ウソをついてるな。  冬弥はすぐにわかった。  こんな歯切れの悪い言い方をする理久は滅多に見ない。いつも凛とした声で、はきはきと話すのだ。  視線を合わせようとしない理久に、冬弥は頭を巡った仮説が正しいのかもしれないと確信を得た。  理久は、『約束をする』ことに対して何かしら負の感情があるのかもしれない。  冬弥とのデートの約束自体が嫌なわけじゃない。理久は嫌なことは嫌だとはっきり言えるタイプだと、店長で証明されている。だから、もし冬弥とのデートが嫌ならその時点で断っているだろう。一番最初、ご飯に誘った時もそうだった。  だけどデートには来る。デート中も楽しんでくれている。だからデート自体に問題があるわけではない。  もう一つの証拠として、今日の待ち合わせの出来事もあった。  理久から借りたモバイルバッテリーで回復したスマホには、理久からのメッセージは一つもなかった。理久は冬弥に催促しなかったのだ。なのにも関わらず、スマホを握り締めて駅で待っていた。それも一時間も。  何があったのだろう。聞いても、いいのだろうか。  未だにうつむいたままの理久を眺めていた冬弥は、アトラクションスタッフの女性の声に顔を上げた。 「すごいタイミングだったな」  ライトアップされた園内を後にしながら、冬弥は隣の理久にそう声をかけた。  冬弥の言葉に生返事をした理久の視線は、手元に固定されたまま。そこにあるのは、『観覧車優先乗車券』。  もう次に案内されるという時、スタッフの女性から掛けられた言葉は「点検のため営業中止」というものだった。  代わりといって渡されたのは、期限なしの優先乗車券だった。  その券をジッと見つめる理久は、何か考えている様子。周りも気にできない程その券を見つめる理久に、冬弥はその肩を押して道の端っこへと寄った。 「理久くん。間違いだったら恥ずかしいんだけど」  他の人の邪魔にならないよう隅に寄った冬弥は、そう前置きをして持っていたチケットをかざした。 「約束、しようとしてくれてる?」  冬弥の言葉にぽかんとしていた理久の目が、徐々に見開かれていく。かと思えば、不安そうにうつむいた。その反応は、冬弥の言葉が正しいと言っているのと同じだろう。  先ほど並んでいるときに考え至った仮説が、より強固なものになっていく。  理久は『約束』に対して、何かしらの感情をかかえているのだ。 「約束するの、怖い?」  思い切って聞けば、理久は顔を上げた。その表情は不安げなままで、何かを言いたげに開いた口は静かに閉ざされた。そのままきゅっと固く閉ざされた口はもう、簡単には開かないだろう。  冬弥は力が入りすぎてしわのよったチケットごと、理久の手を包み込んだ。 「また来週来ようよ。イルミネーションも始まるみたいだし」  包み込んだ理久の手が冷たいのは、外気の寒さにやられたからなのか。それとも、緊張からなのかは定かではない。 「絶対守るから。何があっても、絶対来るから」  『絶対』なんて言葉は逆に軽く聞こえてしまうと、誰かが言っていた気がする。でも、それでも今はそう伝えたかった。  嘘でも偽りでも見栄でもない。冬弥の心の底からの言葉だった。 「……行きたいです」  小さな声で、それでもはっきりと、理久は答えてくれた。  冬弥は、まだ不安の残っていそうな理久が信じてくれたことを感じ取った。何があったのかはわからない。教えてもらうにはまだ、信用が足りないのかもしれない。  それなのに、冬弥を信じて返事をくれた理久に愛おしさを感じる。  応えたい。理久のその信用に応えたい。  でももし、このまま理久が本当のことを言ってくれなかったら?  自分の仮説が間違っていたら?  理久は何に怯えているのだろう。理久は、何を怖がっているのだろう。  それを教えてくれる日は、いつか来るのだろうか。  そんな一抹の不安を感じない程、冬弥は楽観的になり切れなかった。
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