第三章

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第三章

 冬も近付いてきた夜はさすがに肌寒い。昼間の温度のみで服装を決めれば痛い目を見るのは分かっているくせに、どうにも上着を持ってくるという考えは家を出る時点では忘れきっている。  バイトで火照ったはずの身体が冷めていくのを感じながら、冬弥は店の外でスマホを取り出した。  画面に映し出された通知を見て、冬弥は顔を顰める。  理久からの通知はない。代わりに、母からのメッセージが十件と、着信が五件。  しばらく考えた冬弥は、かけ直すことなく、メッセージに一件返信するだけにした。以前顔を出したし、これ以上時間を取られたくはない。 「ぅい~さみぃ~!」  響いた声に顔を上げれば、冬弥と同じく半袖姿の晴翔が店から出てくるところだった。 「お疲れ」 「おつ~。さみぃなぁ!」  スマホをしまって晴翔と共に歩き出す。今日のシフトは二人とも十八時まで。その後、宅飲みでもしようと約束していたのだ。 「こんだけ寒いとやっぱ熱燗が恋しくなるよな~」 「めんどくさいから普通の酎ハイにしろよ」 「日本酒は?」 「おごりなら」 「しゃーねぇなぁ!」  なぜかハイテンションの晴翔に肩を組まれ、微かにバランスを崩す。もうすでにアルコール入ってんのか、と睨みつければ、ニヤつく晴翔と目が合った。 「お前の恋路の話も、根ほり葉ほりきかにゃいかんからな」  そう、この宅飲みはただの宅飲みではない。  冬弥が相談したいことと、晴翔の野次馬精神の利害が一致してしまった宅飲みなのだ。  一人暮らしの冬弥の部屋は決して広くはない。それでも狭くないその部屋の中央にある机の上に、酒とつまみが所狭しと置かれていた。理久が見たら少し引くかもな、なんて思いながら、冬弥はあたりめをくわえた。 「んで? どこまで行ったん?」  目の前で日本酒の瓶を開けた晴翔が、チータラをくわえながらコップに酒を注ぐ。おちょこなんて洒落たものがあるはずもなく、普通のグラスだ。注がれた量はあほ程あった。  注ぎ終わった瓶を床に置いた晴翔は、後ろにあるベッドにもたれかかりながらにやにやと冬弥を見つめてきた。 「ちゅー? あっ! もしかしてもう……やだこのベッドで!?」  かと思えば、すぐにベッドから背を離す。一人で騒々しく話す晴翔を軽く無視しながら、冬弥は注がれた日本酒を口に含んだ。甘口で飲みやすいその日本酒は、少し油断したら飲み過ぎてしまいそう。明日は午後からの講義しかないとはいえ、気を付けなければ。 「ちょっとー! 無視すんなよ! ……えっ、ほんとにもうヤッたんか?」 「やってねぇよ。この部屋に来たことすらねぇわ」 「んだよ~、焦らすんじゃねぇよ! 危うくこのベッドで眠れなくなるところだっただろ!」 「お前は一生床で寝てろ」 「で? ちゅーは? さすがにした?」 「してない」 「えっ! ハグは?」 「……ない」 「手つなぎ」 「…………」 「お前枯れてんのか……?」  本当に根ほり葉ほり聞くらしく、下世話な話題までもぶっこんでくる晴翔。  友人の性事情まで知りたいとは思わない冬弥にとって、晴翔の興味はいっそ感心するまでもある。  あんぐりと口を開ける晴翔にあたりめを突っ込んだ冬弥は、袋から新たなスナック菓子を出して封を開けた。 「枯れてねぇし、いつかはそういうこともしてぇと思うよ」 「すりゃいいじゃん」  もぐもぐとあたりめを噛む晴翔に、冬弥は頭を抱えた。  そりゃ冬弥だってしたい。キスだってしたいし、その先だってしたい。理久のことはそういう目で見てる。そりゃもう、バッチバチに。  でもできない理由があった。 「未成年なうえに相手がちゃんと俺を好きなのかもわかんねぇんだぞ……」 「あー……犯罪者一歩手前になるわ」  軽く言われた晴翔の言葉に、冬弥は机の上に頭を乗せた。ゴンッと鈍い音がなろうとも気にしている余裕はない。  そう、冬弥が願う先は、一歩間違えれば犯罪者なのだ。そもそも高校生に手を出してる時点で危ない。さらには理久から「好き」だと言われたこともないのだ。  前回の遊園地で疑似告白はされたけど。 「んで? 冬弥の悩んでることはそれだけなん?」  あたりめを飲み込んだ晴翔に尋ねられ、冬弥は顔を上げた。 「……その子がさ、約束することに対して後ろ向きっていうか……良くない印象を持ってる気がするんだよな」  日本酒を口にしながら、冬弥は話した。  デートの約束を取り付ける際に不安そうな顔をすること。でも最中は楽しそうなのでデート自体に問題があるわけではなさそうなこと。 「約束に対して、何か思うところがあんのかなって思ってんだけど」  気になる点をかいつまんで話した。もちろん、相手が理久だということは伏せて。  晴翔はあたりめをくわえながらも真面目に聞いてくれた。んー、と声を漏らしていた晴翔は、あたりめを飲み込んで口を開く。 「その子さぁ、裏切られてきたんじゃね?」  日本酒を飲んでいた冬弥は、晴翔を見つめた。いつものふざけきった顔じゃない。 「ほら、良くドタキャンされる子っているじゃん。それってさ、その子との約束が相手にとって優先順位が低いから起こり得ることで、誰にでもあんだよ」 「……あの子も同じってことか?」 「本当のことは本人にしか分かんねぇけどな。でも約束に対して不安そうな顔をするっていうのは、〝また裏切られる〟って思ってんのかもよ」 「大事にされてこなかったって言いてぇのか」 「仮説だよ、ただの。落ち着けって」  袋から取り出した水を差し出してきた晴翔に、冬弥は素直に従った。  今自分が冷静でないことなど、言われなくともわかる。でも腹が立ってしまってしょうがないのだ。それは晴翔に対してなのか、それとも別のことに対してなのかも、今の冬弥には判別がつかなかった。 「でも可能性はあるんじゃねぇの。話を聞く限りだけど。前の恋人ともそうやって別れたって言ってなかったか?」 「……別れ方まで知らねぇよ。ただ、遊園地行く約束してたのに、フラれたって……」 「ほら。約束してたんだよ。前の恋人とも。だけど、行けなくなってる」  淡々と言われ、冬弥は水を一気飲みした。  確かに言われてみればそうだ。晴翔の言うことは筋が通る。納得せざるを得ない。理久がなんであんなに不安そうなのかも、約束に対してマイナスなイメージを持っていそうなのかも、合点がいく。 「その子に不安そうな顔をさせたくないなら、そもそも約束しないことじゃね?」  たたみかけるように、晴翔はそう言った。  水を飲んで少し冷静さを取り戻した冬弥の脳裏には、ひどく安堵したような理久の表情が浮かんでいた。  もし晴翔の仮説が正しければ、理久はまた裏切られるかもしれないと思いつつ約束をしてくれたのだろう。そして、遅刻した冬弥に『やっぱり』なんて絶望したのかもしれない。だけど待っていてくれた。  だから、冬弥が遅れてもやってきたことにひどく安堵した表情を見せたのかも。 「……俺が……」  声を発せば、喉が微かにひりついた。  掠れたような冬弥の声に、晴翔は黙って次の言葉を待ってくれている。 「俺は、安心させてやりたい」  不安そうな、悲しそうな顔をする理久はまるで子供の様だ。だけど、どこか大人びた諦めも入っているような気がしてちぐはぐに見えた。  生きづらそうなのだ、理久は。  約束は怖いものじゃない。むしろ、未来への楽しみなのではないだろうか。  冬弥にとってはそうだった。  来週、理久に会える。そう思うだけで、どんなことでも頑張れるんだから。 「約束をしても、大丈夫だって思わせてやりたい」  この気持ちを、どうか理久にも味わせてやりたい。怖くないんだと、教えてやりたい。  冬弥が力強く宣言すれば、黙って聞いていた晴翔が息を漏らすように笑った。 「冬弥がそう思うなら、それでいいんじゃね」  その言葉に、冬弥は面食らった。  反対されると思ったのだ。やめた方がいい、と。  そんな考えが顔に出ていたのか、晴翔はけらけら笑った。 「まっ、冬弥のお節介は今に始まったことじゃねぇしな。恋人にも適用するんなら、存分に世話やいてやりゃいいよ」  日本酒を一気に飲み干した晴翔は、豪快な音を立ててコップを机に置いた。 「ただ、相手を余計傷つけるかもっていう覚悟は必要だぜ」  その音がまるで釘を刺すような音に聞こえて、冬弥は背筋を伸ばす。  そうだ。もし冬弥が約束を違えてしまえば、理久の傷をより抉ってしまう可能性だってある。  晴翔の言葉を深く胸に刻んだ冬弥は、その約束をしみ込ませるように日本酒を飲もうとする。だが、目の前で急に口元を押さえた晴翔を見て慌てて酒を置いた。 「バカお前! 一気飲みするからだろ!」 「かっこよかったおれ……」 「あぁかっこよかったな! 今このシーンがなければ!」 「ぅえ……」 「あと三秒我慢してくれ! トイレまでとは言わんからせめてゴミ箱に……!」  慌ただしく介抱する冬弥は、自分の酔いなどきれいさっぱり忘れていた。お節介と言われるのも、冬弥の性格だけでなく晴翔の存在もかなり影響している気がする。  カーペットに吐かれてはたまらないと動く冬弥は、震え続けるスマホに気が付けなかった。
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