第一章

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 理久のことは本当にまだわからない。何が好きなのか、何が嫌いなのか。いつもバイトに来るときは学校の制服だから、私服だってわからない。休日は何してるんだろう。あ、SNSはやってるのかな。あの性格だとやってなさそう。バイトの連絡でも使うから、メッセージアプリをやってるのは知ってる。でも、個人的に連絡を取り合ったことは、まだない。 「なぁ晴翔」 「はいはい?」 「相手のことを知るにはどうしたらいい?」  この店は、終電がなくなる零時前が慌ただしくなる。でもそれを終えてしまえば、朝までゆったりとした時間が流れ始める。  店長は相変わらず、マネージャー室にこもりっぱなしだった。  冬弥は共に朝五時まで働く仲間である晴翔に声を掛けた。黙っていることが苦手なのか隙あらば喋り続ける晴翔は、相手の話を聞くのも意外と好きなのだという。 「気合いだよ」 「他には?」 「情熱?」 「他」 「んー、パッション!」 「一緒じゃねぇか」  全部勢いで答えた晴翔の足を蹴れば、大げさな反応を返してくる。恋人がいるという話はあまり聞かないが、コミュニケーション能力の高い晴翔がほかの学科の人たちと話しているのを多々見かける。  ここのバイトでも、年齢関係なく話しかけるのが晴翔だ。男女関係ないし、そこに理久だって入っているのを冬弥は知っている。 「なに? 例の子?」 「まぁ、うん」 「進展あったん? あ、飯誘えた?」 「断られた」 「ぅえ!? フラれたんか!」 「まだフラれてねぇよ!」  フラれてない! フラれてないはずだ!  冬弥は自分に言い聞かせ、晴翔を睨みつけた。驚いたような顔をしていた晴翔は、パチパチと何度か瞬きをした後、なぜかにやけ始めた。 「ははぁ、もしかしてもしかして、誘い方が良くなかった? むっつり出ちゃった?」  口元を隠して指をさしてくる晴翔にもう一度蹴りを入れた冬弥は、傍にあったお茶を飲み干した。 「むっつりが出たかは分からんけど……あぁ俺むっつりなんだなっていうのは分かった」 「だははっ! 何それどういう事! そっちのが聞きてぇんだけど!」 「うるせぇ! てか違う! そうじゃねぇ!」  晴翔と話すと話題が脱線するのはいつものこと。冬弥は混雑時に使っていた包丁などを洗いながら、元の話題に戻した。  あの後、理久が使ったスプーンをしばらく眺めていたことなど、晴翔に言ったら爆笑してそれどころじゃなくなる気がする。 「俺、その子のことわかんないんだよ。でも、一個だけ気になることがあって」 「気になるのはその子自体だろ」 「今は口出しすんな」 「うす」  洗っていた包丁を持ち上げれば、晴翔は黙って何度も頷く。これでしばらくは脱線する心配はないだろう。  そう思って洗い物を再開させた冬弥は、ふと理久の表情を思い出した。  寂しそうな、心細そうな、迷子のような表情。あれは、一体何に対してだったのだろう。  バイト中にそんな表情を見ることはなかった。 「と、冬弥さん?」 「え?」 「いや、あの、ぼくいい子に黙ってたんですけど……そっちも黙ったら意味なくね?」 「……あぁ」 「えッ、何それ脅され損?」  やだ傷ついた、とオーバーな泣きまねをする晴翔に、冬弥は謝罪した。 「で? 気になることって何」 「あー……」  冬弥は少しだけ迷った。  あの理久の表情を、話していいのだろうか。いや、話してはダメだという理由もない。だけど、なぜかは分からないけどためらってしまう。その理由さえも、今の冬弥にはわからない。 「……やっぱ何でもない」 「えー! 何それ! 一番気になるやつ! 何なのお前! 弄びやがって!」 「うるせぇ! 賄い作ってやるから許せ!」 「許そう!」  晴翔はキッチン担当のクセに賄いを作るのがめんどくさいと良くぼやいていた。ちょうどいい、理久に作るためのオムライスの練習台にでもなってもらおう。  冬弥は新たにフライパンを取り出し、材料を用意し始めた。  理久はいつも制服だから、こぼしてしまった時を考慮してケチャップライスはやめておこう。でも普通のご飯だと味気ないから、バターライスにしよう。ふんだんに材料を使えるわけではないので、少し質素になってしまうけど。 「晴翔、トウモロコシ残ってたよな?」 「えー、なになに? 俺何食わされんの?」  不安そうに、でもどこか楽しそうな晴翔が出してくれたトウモロコシを削いで、バターを溶かしたフライパンの中へ。少しだけ炒めてから、白米、追加のバターを同じフライパンの中へ投入していく。それと同時進行で卵を二つといて、小さなフライパンにいれる。 「うへー、なんかいい匂いする」  すんすん、と鼻を鳴らす晴翔に、冬弥は口角をあげた。  理久もこうやって言ってくれるだろうか。オムライスだけでもこうやってアレンジできるんだって知ってるかな。もし知らなかったら、少しだけ好感度も上がったりするかな。 『いい匂いですね』って、こうやって横で笑ってくれたりしてくれたらいいのに。 「冬弥、冬弥! まだ? 腹減ってきた!」 「子供か」  妄想に浸りそうだった冬弥は、晴翔の声で引き戻される。塩コショウも加えたバターライスを皿に盛って形を整える。その上に半熟になった卵も乗せれば完成だ。 「おら、食ってこい」 「やったー! サンキュー! 賄い休憩いただきまーす! 足りなかったら戻ってくんね!」  出来上がったオムライスを持って、足早に休憩に行く晴翔。フロア担当の子に自慢している姿は、作った甲斐があるってものだ。  まぁ、晴翔は所詮練習台だが。  晴翔の感想次第では、理久にも出せるだろう。素早く作れるようにレシピを頭の中に叩き込みながら後片付けをしていた冬弥は、マネージャー室から店長が出てきたのに気が付いた。その表情はまた拗ねたようなもの。  めんどくさいな、と思いつつも、キッチンに入ってきた店長は話を聞いてほしそうだった。 「……どうしたんすか」 「まぁた理久君に断られちゃったよぉ」 「理久くんですか」  思わず出てきた思い人の名前に、冬弥は少しだけ声が上ずるのを感じた。  この店長は学習もせず理久にシフトの調節を頼み込んでいるらしい。もし理久が店長の相談に応じて正規のシフト以外にも入ったら、会えるチャンスは増えそう。  それは嬉しいかもしれない。初めて、店長を応援できるかも。 「なんでダメだったんですか? 用事があるとか?」 「その日は彼女とデートなんだってぇ」  店長の言葉に、冬弥は一瞬動きを止めた。 「かの、じょ……?」 「はぁ~、シフトより彼女優先かぁ」 「彼女……」 「最近の若い子はさぁ、仕事よりも恋人を取るんだよねぇ」 「こいびと……」  何度も繰り返される事実に、冬弥は単語を口に出すことしか出来なかった。  理久は顔が整っている。表情をあまり動かさないせいか、人形のように美しいと思う時もある。  そんな理久を、女子が放っておくわけがない。 「そう、そうだよな……」 「あーぁ、シフトど~しよぉ」  店長と同じタイミングで、冬弥はため息をついた。 「冬弥ぁ! やっぱおかずも……えっ、なになに? 何この空気!」  ご飯が足りず、追加を要求してきた晴翔が入ってくるまで、冬弥と店長は同じ人が原因で違う落ち込み方をするしかなかった。
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