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結局、新人が休憩から帰ってきて引継ぎをするまでの間、冬弥は徹底的にキッチンの掃除をする羽目になった。まぁ、締め作業が店長と新人だったのでむしろ必要な仕事だったとは言えるけど。
引継ぎも終わって、店長をマネージャー室から引っ張りだしたところで、冬弥の十二時間という超ロングシフトは幕を閉じた。大きな傷を心に負って。
(晴翔んちに乗り込んで飲み明かしてやろうかな……)
「文月さん」
ほぼ八つ当たりに近いことを企てながら勤怠を押そうとすれば、後ろから名前を呼ばれる。
小さく、それでも凛とした声に勢いよく振り向けば、そこに立っていたのはやはり理久だった。変わらず寂しそうな表情をしていた理久は、ややあって小さく口を開いた。
「……まかない、つくってくれませんか」
消え入りそうなその声に、冬弥は全身が熱くなるのを感じた。
「つ、作る! すぐ作るから着替えて待ってて!」
小さく頷いた理久を見て、冬弥は勤怠を押すのも忘れてキッチンへと駆けこんだ。呑気に鼻歌なんぞ歌っている店長を押しのけ、フライパンを用意した。
必要なのは卵と、バターと……あぁ、それだけじゃ質素すぎるからとトウモロコシも用意したんだっけ。あれ、パセリは入れたっけ。豪華にしていいって言ってたし、エビも使ってやろう。店長に小言を言われたけど、先に豪華にしていい店長なんだからそれは無視。
せっかく晴翔を使って練習をしたのに、慌てすぎて無駄なロスが増えてしまった。
何とかバターライスのオムライスを作って休憩室へ向かえば、すでに制服に着替えた理久が座って待っていた。
何か考えごとをしているのか、その視線は冬弥が来ても下がったまま。
「お、お待たせ……ごめんね、時間かかっちゃった」
その理久の前にオムライスを差し出せば、理久の目が微かに見開かれた。ゆっくりと顔を上げた理久の表情は、どこか驚いたようなものだった。
「オムライス……」
「えっと……少しアレンジしてみたんだ。普通のオムライスがよかった……?」
反応が思ったものと違って、冬弥はそのオムライスを下げようとした。だがすぐに、理久の手によって阻まれる。
「……いただきます」
何かをこらえるようにそう言った理久は、ゆっくりとそのオムライスを口に運ぶ。以前よりもゆっくりなその動作に、冬弥に緊張感が走った。
やはり、アレンジなどせずありのままのオムライスを出したほうがよかったかな。あのケチャップライスのオムライスが、理久は好きだったのかもしれない。
冬弥がハラハラと見守っていれば、一口目を飲み込んだ理久がほのかに息をついた。
「おいしい、です」
その声は気を遣ったものではなく、本心のように聞こえた。
理久のことを詳しく知っているわけではないが、嫌な印象を与えてしまったわけではなさそう。そう感じた冬弥は、安心で体の力が抜けたのを自覚する。
「よ、良かった。いっぱい食べて。なんなら俺のもいる?」
首を横に振った理久が、再びオムライスを口に運ぶ。それを見た冬弥は、やっと自分にも用意をしたオムライスを口に運んだ。
バターの甘い味と、卵の素朴な味がマッチしていて我ながらおいしい。エビも良い味を出している。ケチャップライスのような味の濃いものも美味しいけど、疲れた体にはこっちの方がいいかもしれない。
なんて自画自賛していた冬弥は、無言で食べる目の前の理久を見た。
オムライスを食べる理久の表情は、やはり寂しそう。なんなら、オムライスを食べ始めたころからその色はさらに濃くなっていた。
「……学校でなんかあった?」
あまり首は突っ込まない方がいいとは思いつつ、冬弥はどうにかしてやりたいと強く思った。放っておけないのはもう性なのかもしれない。理久ならなおさら。
とはいえ、簡単には話してくれないだろうな。冬弥は反射的に聞いてしまってから次の手を考えた。こちらから他愛もない話をして話を引き出す方がいいだろうか。まずは自分を信頼してもらってから……。
「遊園地に」
オムライスを口に運ぼうとした姿勢のまま、冬弥は止まった。理久を見れば、すでにオムライスを食べ終えていたところだった。
「遊園地に、行く約束をしてたんです」
小さく呟いたような理久の声は、諦めたような、それでも寂しそうな声だった。
冬弥はオムライスを口に運ぶのをやめ、理久を見つめた。
「遊園地?」
「今度行こうって、チケットも買ってたのに」
話が見えず冬弥が聞き返せば、理久は付け加えるように続きを話した。
少しだけ考えて、その話が今の理久の表情につながるのかもしれないと思い至る。
「それは、……彼女さんと?」
冬弥が尋ねれば、理久は小さく頷いた。
あぁ、やはりそうだ。冬弥は複雑な感情になった。
長期戦を覚悟していたのに理久がすんなり話してくれた喜びと、やはり理久に彼女という存在がいるという事実の悲しみ。相反する感情を抱えた冬弥は、誤魔化すようにお茶を飲み込んだ。
「……楽しみ、だったんだよな」
うまく言葉が見つからず、冬弥はそんな声掛けしか出来なかった。理久を思いやるというよりは、自分の感情を相手に感じ取らせないことで手いっぱいだった。
「でもほら、また次の楽しみに……」
「もう、いけないんです」
無理やり明るく振舞おうとした冬弥の言葉に被せるよう、理久が声を発した。
「いけない? どうして?」
「彼女には、フラれました」
冬弥は思わずガッツポーズしたくなるのを必死に抑えた。
そうか、フラれたのか、じゃあ今理久は、フリーというわけだ。
いやいや違う、そうじゃない、人の不幸を喜んでどうするんだ。
忙しなく変わっていく内心に冬弥は精神を統一させるように深呼吸をした。落ち着き始めた気持ちで理久を見れば、視線は下がったまま。
その表情は、高校生には見えなかった。それよりもずっと幼い、子供のよう。泣くのをこらえるような理久の表情に、冬弥は何を言っていいかわからなった。
「……オムライス、本当に美味しかったです」
ごちそうさまでした、と立ち上がって帰り支度を始める理久に、冬弥は思わずその手を掴む。
何も言えない。自分は、理久が彼女と別れて喜んでいしまったのだから。でも、何かを言わなくちゃ。話してくれた理久に、何かを言いたい。
そうだ、ありきたりだけど、『元気出して』くらいは伝えたい。
「あの、好きです!」
声高らかに発した言葉に、冬弥は自分自身を殴りたくなった。
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