第二章

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第二章

 人が行き交う駅。その駅構内にあるトイレの鏡の前で、冬弥は項垂れていた。  具合が悪いわけではない。何ならテンションの方は踊りだしたいくらいに高かった。  なんせ、今日は理久との初デートなのだ!  デートと言うのは比喩ではない。正真正銘、名前の通りのデート。恋人同士がよくする、あのデートだ。  かくいう冬弥も、未だに半信半疑である。  休憩室で理久が彼女に振られたと知ったあの日、冬弥は帰ろうとする理久の手を取って声高らかに告白してしまった。  するつもりはなかった。形だけでも励ましたほうがいいだろうと落ち込む理久に『元気出して』と言いたかっただけなのだ。  終わったと思った。どんな冷たい言葉が飛んでくるのだろう、とビクビクしていた冬弥は、もはや言い訳をすることも忘れていた。  だけど、理久の口から飛び出してきたのは思いもよらない言葉だった。 「オムライス、また作ってくれますか?」  だ。理久の声に動揺などない。むしろ、冬弥の方が混乱していた。現状の把握をしっかりできなかった冬弥が戸惑いがちに、しかししっかりと頷けば、理久は「じゃあ」と口を開く。 「不束者ですがよろしくお願いします、文月さん」  ぺこりと頭を下げ帰って行った理久に、冬弥は休憩時間いっぱいまでフリーズしていた。  ちなみに晴翔に事細かに報告をした際、今世紀最大ではないかという程大爆笑された。  冬弥も冬弥で、付き合えた喜びよりも『オムライスにつられたチョロい子』なのではないだろうかという心配のほうが勝った故、その報告会に冷静な者など存在しなかった。  そんな晴翔に促され、冬弥は理久とのデートの約束を取り付けた。ありきたりだが、映画デート。今話題の恋愛映画がよかったとのことなので、その映画を見に行かないかと誘えば了承してもらえたのだ。  誘った時、少しだけ不安そうな顔をしたのは気になったけれど。  冬弥は項垂れるのをやめ、鏡を見た。朝早く起きてしっかりしたセットに乱れはない。だが一応、指先で整えてみる。服も新調した一式だ。白いシャツの上から淡い水色のYシャツを羽織り、テーパードパンツを合わせている。興味本位でついてきた晴翔のイチオシコーデだった。  隅々まで確認した冬弥は、ポケットに入れていたスマホを取り出す。示されている時刻は約束時間のニ十分前。早すぎるか、と思いつつ、理久に『着いたら教えて』とメッセージをいれた。すぐに既読が付いたかと思えば、返ってきたメッセージに冬弥は慌ててトイレから出た。  理久はもう、改札前にいるらしい。  急いで改札をくぐれば、理久は確かにいた。スマホをジッと見下ろす理久は、冬弥には気が付いていない。  白色のパーカーに黒のスキニーパンツというシンプルなコーデが、理久のスタイルを強調している。  制服姿ではない理久に新鮮味と感動を味わいつつ、冬弥は駆け足で理久の元へと向かった。 「理久くん!」  名前を呼べば、理久はパッと顔を上げる。冬弥を見つけた理久の表情を、冬弥は見逃さなかった。 「おはようございます」 「あ、うん、おはよ。……早いね、理久くん」 「文月さんも同じようなものじゃないですか」  スマホをしまった理久は、いつも通りの無表情だった。楽しみなのかそうでないのかの区別がつかない表情。だけど、嫌じゃなさそう、というのは冬弥もわかった。 (さっき、あからさまに安堵してたよな……)  冬弥を見つけた時の理久の表情。それは、『安堵』という言葉がぴったりの表情だった。今日の約束が嫌だったら、きっと、そんな表情はしないだろう。 「文月さん?」  理久に名前を呼ばれ、冬弥はハッとする。理久の顔をジッと見すぎていたらしい。 「えぇと……服、可愛いね、制服じゃないからなんか新鮮」  苦し紛れに、だが本音を伝えれば、理久は自分の服装を見下ろした。 「服装に関して何か言われたのは初めてです。ありがとうございます」  冷淡に返ってきた理久の言葉。だが冬弥は上がりそうな口角をきゅっと引き締める。  理久の〝初めて〟をゲットできた。  どんなことであれ、好きな人の〝初めて〟には弱いものだろう。それが男というものではないのか。もしこの世に好きな人から「初めてです」と言われて喜ばないやつがいるのならお目にかかりたい。今すぐ目の前に出てきてくれ。 「映画館あっちですよね。ちょっと早いですけど行きますか?」  冬弥が内心でパレードを行っていれば、理久が歩を進める。  今はその温度差さえも、楽しめるような気がした。  昼も過ぎ、ピークを終えたカフェは幾分か和やかな雰囲気だった。その窓側の席に座った冬弥は、持参したタオルで目頭を押さえていた。 「記憶ものってやっぱりずるいと思うんだよ。泣くよ、そりゃ。泣かないって決めてても泣くわあれ」 「途中大号泣でしたね、文月さん」 「嗚咽漏らさないようにするので精いっぱいだった」 「周りも泣いてたし、気にしなくてもよかったんじゃないですか?」  頼んだコーヒーとカフェラテ、サンドイッチを持ってきてくれたウェイトレスにお礼を言って、冬弥はやっとタオルを置く。  目の前の理久の表情は、相変わらずだった。 「理久くんはどうだった?」  理久の言う通り、周りも冬弥のように涙を流している人が多かった。だけど、理久の表情は変わらない。  あまり好きじゃなかったかな、と心配になって聞けば、理久は飲んでいたカフェラテを机に置いた。 「綺麗だと思いました」 「女優さんが?」 「物語が、です」  そう言った理久は、窓の外を見る。その表情に変化はないように見えるものの、どこか寂しそうにも見えた。 「羨ましいなって、素直にそう思いました」  冬弥はサンドイッチを運ぼうとした口を閉じた。  理久は彼女に振られてまだ間もない。あの落ち込み具合から、きっと彼女のことを大切にしていたのだろう。そんな理久に、恋愛映画は酷すぎたかもしれない。 「あ、恋愛がってことじゃないですよ」  反省していた冬弥に気が付いたのか、理久は言葉を続けた。顔を上げれば、理久はもう窓の外ではなく、冬弥を見ている。 「映画の中の二人は、互いに互いの幸せを願ってました。それって、難しいことじゃないですか」  いつもよりも言葉多く話す理久は、まっすぐに冬弥を見てくる。かと思えば、スッと視線を下げて、机の上のカフェオレを見つめた。 「……あの物語は、全員の優しさからなってる悲しい物語に見えました。誰もが誰かを思ってるからこそ、泣ける物語です」 「理久くんは、誰が羨ましいって思ったの? 誰かを素直に思える彼? それとも強く思われてた彼女?」 「彼女の方かもしれないです」  考えることなく、理久はそう答えた。なんとなく、冬弥も理久がそう答えるのではないだろうかと思っていた。理由は明確には分からない。だけど、本当になんとなく、分かったような気がした。  理久は時折、寂しそうな表情を見せる。それに気が付いたのは、本当に最近のことだが。一人でも生きていけそうだと思っていた理久は、存外寂しがり屋なのかもしれない。 「俺は、理久くんのこと本当に好きだよ」  場所を考えて声のトーンを落とした冬弥を、理久はジッと見つめてきた。  その目に疑いの色はないものの、信じている様子もない。 「ありがとうございます」  ただ純粋に、その言葉を受け取っているように見えた。  それ以上何かをいうこともない理久は、黙ってサンドイッチを口に運んだ。そんな理久に倣って、冬弥もサンドイッチを食べる。  カフェの心地よいざわめきから少しだけ切り離されたような静寂も、冬弥は気まずいとは思わなかった。  理久は、ちゃんと冬弥の気持ちをわかってここにいる。同性である理久のことを好きだと言っても、その思いを気持ち悪いと否定しないでいてくれる。  それがもし、理久の寂しさを埋めるだけであっても、理久と一緒に居れる理由になるのなら構わなかった。 (俺も好きです、って言われたら嬉しいんだろうけど)  その本心をかみしめるように、冬弥はサンドイッチを飲み込んだ。
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