第一章・シェア

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 俺がタクシーを部屋の近くの煙草屋の前で降りると、彼もまた降りてきた。俺の後から降りてきた彼に訊くと、ここから家が近いんだと云った。  流石にそんな偶然はないだろうと思って訝しむ眼で見ると、彼もまた困ったように笑った。なんかそういう新手の強盗紛いじゃないかって俺が彼を疑ってるのをわかってる顔だった。  苦笑しながら彼はごそごそとパンツのケツポケの辺りをまさぐって、白々した蛍光灯に下に何かを差し出した。薄っぺらな白い小さな四角なそれには、「私立茄子ヶ丘学園中等部 校内管理技術者 笹井陽人」と、規則正しい字面で書かれていた。  差し出されたそれを恐る恐る手に取ると、儚い重さと彼の体温がほのかにあった。 「さ、俺の持ち手はこれで全部だよ。他に質問は?」  子供に言い聞かせるような口調が小馬鹿にされてるような気がしたけれど、ここでムキになると余計に大人気ないのは明らかだったから、「あるよ、質問。」と、こちらも応えるように子供のように軽く手を挙げた。 「どうぞ。」 「俺を送ってくつもり?」 「うん、一応。」 「別に女じゃないし、ここからなら5分ぐらいだし……」 「心配じゃなくって、タクシー代。俺さっき全部払ってたの、見てなかった?」 「あ……そっちか……」  我が身の保全ばっかり考えてるから、かかなくていい恥をかく羽目になる。昔からそうだ。用心深そうに見えて、実は抜けてるって言う。  真面目そうなのに、ぼんやりしてて掴みどころがない。何を考えてるのかわからなくて、群れるのが苦手で、孤立しがち。俺を形容する言葉を並べると大筋こんなもんだ。  ポツリと白い紙の上に垂らされた薄墨のような所在なさをいつも抱えてるからだろうか、なんなのか、ひとりいつもみんなから置いていかれている気分がするんだ。誰からも構われず、振り向かれない、寂しい、とは違う、ポツリとした気分。誰か他人といる時程それは強く感じた。だからなんとなく気付けばひとりだった。  その日だって、誘われて行った筈なのに、気付けば俺はひとり会場の隅にいた。もうそういう風になるのは慣れてしまっていたから、全然構わなかった。ああ、またかっていう感じだった。ひとり具合悪くなってひとり不愉快になって帰るだけだ、って。  なのに、この日は俺は知りあったばかりの男と連れ立って部屋にいた。  鍵を開けて、暗く闇に沈んでた空間に明かりをつけると、しんと冷えていた。  しかも、家を出る直前まで仕事をしていたせいで仕事部屋にしてる6畳の部屋のドアは開け放たれたままで、部屋のごみ溜めのような状態を曝している最悪な状況だった。  とても客なんて通せないんだけど、タクシー代を払わなきゃだから止むなく家にあげるしかなかった。だって、ただ金渡して、ハイ、さよならってワケにはいかないでしょ。一応、介抱もしてくれたんだしさ。お茶ぐらい出すのが礼儀かなって思ったんだ。  でも、内心彼が断るだろうって思ったのに………上がり込まれた。招いてしまったのは俺なんだから、今更拒むわけにもいかなかった。  仕方なしにダイニングの食卓にしてるテーブルの椅子に彼を座らせて、俺はお茶の支度に取りかかる。お湯が沸くまでの間の沈黙が、妙に密な気がした。さっきタクシーで感じた時よりもずっと近い、って。  椅子に子供のようにちょこんと座った彼は、物珍しそうに部屋を見渡していた。特に、開けっぱにしている仕事部屋へ通じるドアとその向こうには興味津津な様子だった。 「……きったない部屋だなーって思ってんでしょ?」 「や、俺んとこも似たようなもんだよー ねえ、あのさ、訊いてもいい?」 「なにを?」 「仕事、何してんの?」 「え…………えーっと……一応、物書き……」 「へー!……名前、訊いてもいい?ペンネームって言うのかな。」  俺はそういうこじゃれたものはなかったから、本名をそのまま告げた。  そう珍しくもない名前な筈なのに、口にした瞬間、彼の、アキくんの眼が大きく見開かれたんだ。思い掛けない何かとんでもなく素晴らしいものに遭遇したような、すごくキラキラした顔をして、そんでこう言ったんだ。
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